13
「まずい。」


家の近くの公園でゆらゆらとブランコを揺らしながら仰ぎ見た空は、日が傾いて綺麗な綺麗なオレンジ色に染まっている。
しかしそれをみて、ああなんて綺麗な夕焼けだと思えるほど私には余裕がなかった。


まずいぞ。


先ほどと同じことを心の中で繰り返しながら、一縷の望みをかけてもう一度カバンの中を探る。
お願い、勘違いであってくれ。そう願わずにはいられない。
しかし、神は時に無情なもので、
お目当ての自宅の鍵は、たしかにしまったはずのカバンの中から見事に姿を消していた。


「まじかぁ」


このままでは野宿か。と絶望に浸りながらキコキコと軋む音を立てるブランコを力なく揺らす。
先ほど、こうなったらお咲ちゃんに連絡して一晩家に泊めてもらおうとかけた電話が繋がる事はなかった。所謂八方塞がりというやつだ。
そういえば昨日今日と仕事の休みをもらっていたし、なんなら実家に帰るような話をしていたような気もしなくはない。


「くそぅ、どこに行ったんだ私の鍵は」


まさに絶望。キャラキャラと笑いながら家に帰っていく子供達を、いいな君達は帰る家があって。と完全に八つ当たりの恨みがましい目で見送る。


「アイツやべーよ」


ぱっくりマンだかざっくりマンだかなんだか知らないが、お菓子のおまけのシールを公園中の子供達から巻き上げていた太った少年が金魚の糞の如き友人にそんな事を言いながら帰っていく。
いややばいのはお前だ。キミは何故その歳にしてそんなにも根性がひん曲がってしまったんだ。と心の中で言い返す。口に出さないのは私が立派な大人だからだ。
でも、せめてもの仕返しにベッと舌を出してやったらぎゃああああ!と叫びながら走って逃げられた。超失礼なやつだ。


「あれ、はるこちゃん?」


そんなことをしながらゆっくりと沈んでいく夕日をなすすべもなく眺めていたら突然、入口の方から聴こえて来たのは久しくお店で姿を見かけない私の天使の声。
はは、幻聴まで聴こえて来たのか。自虐的に笑って声のした方を見れば、いつもの黒い隊服じゃない、おそらく私服であろう着物に身を包んだ山崎さんが不思議そうにこちらを見ていた。
服はちがうものの、優しい声、柔和な顔つき、紛う事なき山崎さんだ。


「やっ!!!!」


普段見たことのない新鮮すぎるその姿に絶望が吹き飛ぶ。山崎さん…!!という私のセリフは彼のあまりの眩しさに言葉にならずに消えた。
ああ可愛い。山崎さん可愛い。私服という事は今日はオフだろうか。


「こんなところで何してるの?」


赤い夕日に照らされて全身がオレンジがかった山崎さんは天使かなにかと見間違うくらい可愛い。
ゆっくりと公園に足を踏み入れた彼はキコキコとせわしなくブランコを揺らす私の隣のブランコに座った。
よっこいしょ、という掛け声にときめいたのは内緒だ。山崎さんは江戸という荒野に唯一残されたオアシスである。鍵をなくして荒んでいた私の心が一瞬で癒された。問題はなにも解決していないがそんな事はどうでも良い。
今は私のとなりに山崎さんという天使が座っているという事実の方が大事だ。


「はるこちゃん?」


大人の体重を乗せてキィと軋んだブランコの金具の音で現実に引き戻される。
私の名前を呼んだ山崎さんが身動いだのだろう。
ゆらゆらととなりのブランコが揺れた。


「あ、ちょっと色々とありまして」
「公園から帰っていく子ども達を鬼の形相で見てるヤバイ女が居る。あれはきっと鬼婆だ。」
「え?」
「ってさっきすれ違った男の子が言ってたから見に来たんだけど。はるこちゃんが座ってたからびっくりしたよ」


すっと居住まいを正して山崎さんの方を見たら、ハハと笑いながらそんな事を言われた。
絶対にあのぱっくりマンの少年だ。私が君に何をしたと言うんだ。怒るぞ。



「ぱっくりマン…あのクソガキめ」
「ぱっくりマン?」
「ん?いや、あれ?ざっくりマンだっけ。まあどっちでもいいや。気にしないでくださいあとでちゃんと報復しておくから大丈夫です。」


今度会ったら彼のシール集めを著しく妨害してやろうと心に誓って山崎さんに気にしないでと笑えば、私のセリフを聞いた彼の頬がヒクリと引きつった。


「…なんかよくわからないけど犯罪だけはやめてね」
「……あ、そんな事より山崎さんは今日はお休みですか?」
「うん?…ああ、うん、まあそんな感じかな」


果たしてあの少年がシールを巻き上げるのを妨害する事は犯罪だろうか。いや、これは教育である。他人の子供を叱れる、そんな大人が江戸にはいるのだ。親が叱らないのであれば周りの大人が正しい道を示してやらねばならない。決して鬼婆と言われたことへの報復ではない。断じて違う。


そんな事よりと強引に話題を変え、彼の服装について尋ねると、なんだか歯切れの悪い返事が返ってきた。そんな感じとはどういう事だ。仕事が休みみたいな感じ、それは休みではない。サボりという事だろうか。


「まさか…さ、サボりですか…?あの山崎さんが…?」
「ああ違う違う、サボりじゃないよ。沖田隊長じゃあるまいし。」


ハハハと笑って否定はするものの、別の説明はない。彼は真選組。きっと誰にも言えない仕事もあるのだろう。深く追求はしない。


よく見たら彼の服はところどころ汚れているし、きっと何か潜入捜査的な事をやっていたのだろう。そんな仕事があるか知らないけど。

でもきっとそういう危険な仕事も当然あるのだろう。
真選組は江戸に蔓延る悪を殲滅するらしい。沖田さんがこの前そんな事を言っていた。あなたが一番の悪でしょ。と言ったら刀の鞘で臍を思い切り突かれた。間違いなく彼は悪だ。


「それで、はるこちゃんはこんなところに座って何をしてたの?」
「うーんと、」


鍵をなくしたと言えば阿呆だと思われるだろうか。
そんな事を考えたら正直に告白することが躊躇われる。
もごもごと口ごもっていると、私からここにいる理由を聞き出す事は諦めたのか山崎さんは「まあ、いいや。」と言って立ち上がった。


「もう暗くなって来て危ないし、家まで送ろうか。」
「え。」


ブランコに座ったままとなりに立つ彼を見上げたらパチリと視線が合わさって、その顔ににこりと人の良い笑顔が浮かぶ。優しい。天使だこの人は。


幸せすぎる申し出にゆるゆると頬が緩んだが、そんな時に一瞬頭をよぎったのは先日の坂田さんのお説教だ。邪魔しないでよまったく。と頭を振って坂田さんのアホ面をかき消す。



「あマジで?じゃあ頼むわ。」



ざわざわと謎に騒ついた胸に手を当て、優しい優しいお巡りさんに返事を返そうとしたその時である。


突然背後から、ぬっと腕が伸びて来たかと思えば、聞き覚えのある声でそんなセリフが聞こえて山崎さんの頬がヒクリと引きつった。


ブランコに座った私の頭上に伸びた白い腕は赤いリードのようなものを握っていて、ハァハァと獣の息遣いが聞こえる。


「だ、旦那」
「うわ、坂田さん。なんですかそのでかい犬は。」


振り返らずとも声でわかる。
それでも山崎さんの視線をたどって後ろを振り返れば感情の読み取れない表情で犬のリードを差し出す坂田さんが立っていた。


prev next

bkm