「鉢屋くんに罵られたい」
「はるこはそれを俺に言ってどうしたいの」


ぱくりと団子を食べた尾浜が困ったような、それでいて心底嫌そうな顔をしてわたしを見た。
あっぶねー。もしこれが尾浜ではなく鉢屋くんだったら私は天に召されていた。
ごろりと畳の上に寝転がったまま、隣に座っている尾浜を見上げれば、団子を嚥下するために彼の喉仏がごくんと動くのが見えた。余談だが鉢屋くんの喉仏は世界で一番セクシーである。



「お前はわたしが居ないと何もできないんだなって言われたい。」
「俺の声聞こえてる?」
「聞こえない。鉢屋くんの声以外はみんな雑音だ。」
「へーそうヨカッタネ」
「いじわるな鉢屋くんがかっこいい」
「へーそうヨカッタネ」
「おちゃめな鉢屋くんがかわいい」
「へーそうヨカッタネ」
「結論として鉢屋くん尊い」
「へーそうヨカッタネ」
「尾浜死ね」
「はるこが死んだら良いんじゃない」



こちらの話を聞かずに適当に相槌をうっていたかと思ったが、どうやらちゃんと聞いてはいたようだ。はは、と爽やかに笑ってそんなひどい事を言い放った尾浜は、よっこいせ、と重たい腰を上げたかと思うと布団やらなにやらが入っている襖を開けてお煎餅とかそういう類のお菓子がたくさん入った缶を取り出した。


「あーあ。尾浜に死ねって言われても全然きゅんとしない」
「三郎に言われたらきゅんとするの」
「する。きゅんきゅんしすぎて死ぬ。」
「そんな事言って、はるこってば雷蔵と三郎の区別付いてないだろ」
「付いてるし。」
「付いてないし」
「付いてるもん!」
「付いてないだろ」
「しつこいな!ついてるってば!!だから、死ねって言われてきゅんとしたら鉢屋くん、イラっとしたらその他の人間なの。わかる?」
「とりあえずはるこの中で人間は三郎かそうじゃないかで二分されてる事はわかった。」
「いやだってそれくらいざっくり分類できてれば生きていけるし。正直尾浜も竹谷も久々知も不破も、鉢屋くん以外はみんな誰が誰が区別付いてないし。えっと、君は尾浜であってるよね」
「別に良いけど、そういう事いう子にはもうおやつ分けてあげられないなあ。」


にこにこと人の良さそうな笑みを浮かべたままお菓子の缶を自分の足の上に乗せた尾浜は、残念、はるこの好きなやつ揃えといたのになぁ。なんて言っている。くそう、なんて卑怯な男だ。これが鉢屋くんだったら、鉢屋くんからお預けをくらっているというその状況だけでお腹いっぱいになったのに。
ちょうどおやつ時。すっかりお菓子をわけてもらえる気になって居た私の胃袋が恨めしげにしくしくと痛んだ。



「嘘に決まってるじゃないですかやだー、私の世界はは鉢屋くんと尾浜様とそれ以外の人間に分類されています。生意気言ってすみません。」
「あは」



プライドなんてものはこの乱世を生き抜く上で邪魔にしかならないと、私はそんな事を思うわけである。
腹ばいになって頭をグリグリと畳に押し付けて反省の意を示せば尾浜は楽しそうに笑って膝の上で抱えて居たお菓子の缶を私の目の前に置いた。


「わーい尾浜くんかっこいー」
「わあ、凄い棒読み。喜車の術もまともに使えないなんて、もっとまじめに勉強しなよ。」


尾浜の部屋にあるお菓子はみんな美味しい。恐らくは誰かからの貰い物なのであろう、どこで買ったのか聞いても、さあ?忘れちゃった、とすっとぼけられる。忘れたという彼の言い分が嘘か真かわたし程度のくノ一では小悪魔尾浜の真意を読みとく事はできないが、様々な種類の菓子が少量ずつ詰め込まれたこの缶は尾浜の忍者としての優秀さを物語っているようで腹立たしい。絶対くのいちを誑かして貢がせているんだ。そうに違いない。



まあこうやっておすそ分けしてくれるし尾浜はいいやつだ。なんて言ったって鉢屋くんの友達だし。鉢屋くんの事を好きな人間に悪い奴はいない。鉢屋くんは世界平和の象徴だ。



「はは、なんか餌付けしてるみたい」


ふんふんと鼻歌を歌って腹這いになったまま好きなお菓子を漁る私の頭を尾浜はぽんぽんと叩いて楽しそうに笑った。



「小動物のような愛くるしさを醸し出して相手の庇護欲を駆り立てるのが得意なの、くノ一っぽい?ねえ、くノ一っぽい?」
「はいはい、くノ一っぽいくノ一っぽい。可愛いよ。はるこは三郎以外の人間を人と思ってないとこが玉に瑕だよなー」
「でも私尾浜のこと鉢屋くんの次くらいに好きだよ、お菓子くれるし」
「へぇそうなんだ、じゃあ俺ははるこのことタワシの次くらいに好きだよ」
「いや何番目なんだよそれ」
「さあねぇ」



適当なことを宣う尾浜にちっと舌打ちをしながらお目当ての煎餅を探し当ててボリボリとそれを頬張る。ああ、美味しい。このお醤油の焦げた香りがたまらない。香ばしい。
寝転がって食べる私をみて尾浜は何か言いたげに口を開いたがおいしいねと言ってそれを遮ってやった。どうせお行儀が悪いとか、食べかすがどうのとか、そんなことを言うつもりに違いないのだ。お煎餅を食べる至福の時間にそんな無粋な言葉は必要ない。
おいしい、ともう一度言ってコロンと仰向けになって尾浜の顔をしたから見上げれば…良かったね。と周囲に散らばったせんべいのカスを見て半眼になった尾浜が呆れたように吐き捨てた。



「そういえばこの前実習でさぁ」
「うん?」
「忍たまに何か奢らせるって奴があったんだけど」
「ああ、知ってる。ハチが餌食になってたやつだ。」
「ああ、まあ竹谷は優しいからね」
「でも俺のとこには誰も来なかったなぁ」
「ああ、まあ尾浜は怖いからね」
「怖いことないだろ」
「ノーコメント。でね、ここで問題です。私は誰をターゲットにしたでしょうか。ヒントは鉢が付きます。」
「…うっわぁヒント全然要らない。ヒントが答えになってる。一人しかいないでしょ。そもそもそれ以外の人間は区別付いてないんだから」
「チッチッチッチッはいブー、時間切れでーす。正解は鉢屋三郎くんでしたー。」
「そうだと思ったってば。で?それがどうかしたの?」



ズズッとお茶をすすった尾浜はさして興味もなさそうに続きを促してくる。



「いや、ターゲットにしたは良いんだけどかっこよすぎて逆に貢ぎまくった」
「え?何してるの馬鹿なの?」
「挙句お前それで実習大丈夫なのか?と実習だとバレた上で心配されて」
「ダメダメだね」
「かっこいいうえに優しいんだよ鉢屋くんはすごいよねぇ」
「はるこは凄くばかだよね」
「うるさいな、それでお情けでお団子奢ってもらって、」
「へぇ…三郎が、ねぇ」
「でも優しくてカッコいい鉢屋くんから奢られるなんてそんな事あってはならないからこっそり同じお団子を買って鉢屋くんの部屋に置いておいたら、」
「いや、なにしてるのはるこ。バカなの?」
「補修になっちゃった」
「もう一度言うけどなにしてるのはるこ。バカだろ。」
「くノ一にむいてないのかも」
「向いてないよ馬鹿だから。」


馬鹿馬鹿と連呼して呆れたように笑った尾浜は次のターゲットはちゃんと騙せる奴にしなよ。とわたしのおでこをパチンと叩いた。



「三郎以外は馬の糞なんだろ、いくらでも騙せるじゃない」
「いてて、いや、流石に馬の糞だなんてそんなひどいことは思ってないけど」
「へぇ」
「まあ、確かに鉢屋くん以外の人間なんて馬の糞と同じくらいどうでもいいけど。」
「だいたいそういう実習を本当に好きなやつに仕掛けてどうするの、そういうのはハチとか騙しやすそうなやつに仕掛けるのが一番」
「尾浜は竹谷のことをなんだと思ってるの?嫌いなの?え?実は竹谷のこと嫌いなの?」



はは、と笑ってお茶を飲み干した尾浜は寝転がった私のすぐ隣に手をついてお菓子の缶を漁る。



「で?なんで急にそんな話を?」
「補修のターゲット誰にしようかなって聞こうと思ったけどもうその感じだと答えは竹谷一択じゃん」
「そう?そんな事ないんじゃない」
「じゃあ誰?竹谷以外で私でも騙せそうな忍たま」
「んー」


ぼんやりと天井を眺めながらおせんべいを咥えて尾浜の返事を待つ。悔しいがこいつは優秀な忍たまだからこういう相談をすると間違いなく的確なアドバイスが返ってくるのだ。
あ、あの天井のシミ、鉢屋くんに似てる。


「例えば、」
「例えば?」



尾浜の部屋はいいなぁ。お菓子もあって鉢屋くんみたいなシミもあって。ここは天国か。
もぐもぐとせんべいを咥えながら尾浜の言葉の続きを促す。


なにを勿体ぶる必要があるのか謎の間に眉根を寄せた私の耳に、しゅるしゅると何かが擦れる音がして寝転がった時邪魔にならないようにと高い位置で結んでいた髪の毛がパッと緩んだ。
なんで勝手に私のか髪を解くんだ。うっとおしいじゃないか。早く教えてくれ。



「例えば、俺とか」
「っ」



俺とか、とあまり聴きなれない尾浜の普段より幾分か低めの声が鼓膜を揺らしたかと思えば、ぼけっと見上げて居た天井を隠すように尾浜の人の良さそうな笑顔が逆さまに現れた。



「い、いや、俺とかって…」


びっくりして咥えていたお煎餅を落としそうになったがそんな勿体無いことをしてたまるかと唇に力を入れて耐える。
にこにことわたしを見下ろす尾浜の一つに括った長い髪が、頬を掠めてなんともくすぐったい。
俺とかってなんだ。尾浜なんて騙せるわけがない。なにを言っているんだこいつは。



「お、はまなんて騙せるわけ」
「うん、だから、」



逃げようと身動ぐ私に気づいたのか、それともたまたま体制を整えようとした結果そうなったのか定かではないが、尾浜の右手が、わたしの耳のすぐ横、畳に散らばった私の髪の毛の上にドンと落ちて来て髪の毛が僅かに引っ張られた。痛い。動けば髪がちぎれる。髪は女のいのちだぞ!



「騙されてあげてもいいよ、」
「あ」
「俺が、はるこに」



畳について居ない方の尾浜の手が、わたしの口からお煎餅を引き抜いて、
ペロリと、まるで甘い飴を舐めるかのように自然な流れで抗議しようと薄く開いた私の唇を舐めた。




「っ」
「あは、醤油の味だ」




衝撃の展開に身動き一つ取れない私を見下ろしてそんな事を言い放った尾浜の嘘くさい笑顔に、何故か猛烈に心臓が締め付けられたのはきっと気のせいだと思いたい。





【恥の多い生涯を送って来ました:太宰治『人間失格』】