幻影 | ナノ
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第一章
‐幻影‐

           
  
 燦燦とすべてを照らす太陽でさえ少年を照らしてはくれないようだった。
 白い少年は嘆息する。

 彼は不安だった。それは暑さのせいかもしれなかったし、あの影のせいかもしれなかった。

 その人と出会ったのは寒い冬だった。何の繋がりも無かったのに、何故その人は少年を拾ったのか、それは少年自身にも分からない。けれども少年はその人を慕っていた。まるで父のように。

 しかし今、少年はその人を恐れている。その人は、常に少年に付き纏う。そう、今でさえ。
 空虚な瞳で、ただただ見つめる。
 それは影だ。

 少年は己を捨てた世界に失望していた。その人は笑って少年の言葉を聞き、少年を優しく抱きしめた。

 それは快い記憶。

「世界は思っているよりずっと広い」

 愛していた。

 けれど少年はその人を殺した。

 その骸は屠った後に素早く、太陽が見ていないうちに土を盛った。だからもう無い。
 けれど少年今だ、影に追われる。

「僕は世界が憎かった」

 嗚呼、これは影だ。影なのだ。

『立ち止まるな、歩き続けろ』

 その人の手が、優しく少年の手を掴み、けれども強い力で少年をひっぱていく。

 その人は病だった。それは重度のものであったがその人はそれを嘆いた事はない。少なくとも少年の知る限りでは。
 それでも自らの生に悔いがあっただろう。だからこうして付き纏う。影になっても。
 少年に涙はもう無い。全て枯れ果てたのだから。

『さあ行きましょう、アレン』

あの男が少年の新しい名を呼んだ。男が付けた、今となっては忌まわしい名前。

『ぼくたちはずっと一緒です』

 あの時その人はそう言った。それから男は今までの〈名〉を捨て、生まれ変わった。そう、その人の手によって。
 少年にとって、その人は神にも勝る存在だった。絶望から少年を救い出したのだから。

 でも結局、少年はその人の首を思い切り絞めた。その掌に有りたけの力を込めて。

 後に残ったものは骸と抵抗されたときにできた傷のみ。何故か髪は白髪に変わった。
 その時でさえ、少年はその人を愛おしく感じていた。
 だから、骸を抱きしめた。
 その人の生を止めたのは、病などではなく自分であるというのに。

 少年はその住み処を去った。何故彼を殺したか、それは少年にも分からない。後悔はしていない。その人は少年を恨んでいるだろうか。そうだろう。でなければ影になってまで付き纏うはずはない。
 けれど、それは少年にとってどうでも良いことに感ぜられた。恨んでいようがいまいが自らの罪に変わりはないからだ。だから、住み処を去ったのだ。
 もう少年にとって生きるも死ぬも同じことなのだから。だから居場所など不必要だ、と。


 少年は彷徊い歩く道を選んだ。そしてその時からすでに影は少年を追うようになった。
 影は少年を呑み込むつもりなのに違いない。少年にとって影が自らを飲み込むのは、少年が恐れ、また憧憬する死と同等の事に思われる。
 それはどちらも同じ筈だった。しかしそれに気が付いた時から、少年は死ぬのが怖くなった。
 影は少年について回る。しかし、危害は加えない。時折目の傷がきりきりと痛むが。

 弱るのを待っているのだ。現にその存在は少年の神経を摩滅させるには十分であった。それを呪いと人は呼ぶのだろうか。

 少年は足を止めた。少年が辿り着いた場所は海であった。
 流離い疲れてしまった彼は疲れのせいか火照った足をその海水に浸けてみた。その冷ややかな心地が全身に染み渡る。快い風が吹く。
 少年はその瞬間のみ、影を忘れる事が出来た。それは殺人者ではなくただ一人の平凡な少年だった。

「こんなところでどうした、小僧」

 少年は、背後から聞こえたその声に驚いた。そして同時に少年はあの声を重ねた。
 背後に立っていたのは深紅の男。神父服で、顔の半分を仮面で隠した奇怪な恰好。

「ただ何となくここに居ただけです」

 言ったのち、少年は彷徊い出してから初めて声を出したことに気づいた。

「こんな時間になにが何となくだ。さっさと家に帰りやがれ。糞餓鬼」

 その言葉でやっと辺りが暗いことに少年はやっと気が付く。横暴な口調。思わず重ねてしまった人とは似ても似つかない。

「帰る場所なんてありませんよ」

 言った後でハッとする。何を言ったのかと後悔した。こんなこと初対面の、名前も知らない相手に話す必要はなかっただろうと。

「なんだ、家出か?」

 少年の身なりはここ暫くの放浪で浮浪児と変わりなかったが男はそう判断しなかった。実際違うのだが詳しく話す義理はない。だから少年は否定をしなかった。肯定と目の前の男はとらえたようだ。

「だったら家に来い。泊めてやる」

 言われた言葉を少年が理解するのには暫しの時間を要した。何故そんなことをしてくれるのだ、赤の他人じゃあないかと。

「だからもうそんな辛そうな顔するんじゃねえよ」

「え」

 その言葉を切欠に、もう出ないと思っていた涙がこぼれた。







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