屋上には他に人影は無い。白髪の彼は高い夏の空をただぼんやりと見つめていた。そのぼんやりとした口元には煙草が咥えられている。別に旨くはない。だがいつの間にか習慣になっている。
今は授業中でこんなところでこんな事をしていてはいけない。それは彼も分かっているし、彼だっていつもこんな事をして居る訳ではない。別に授業が嫌なわけでも同級生が馬鹿げて見えるわけでもない。
ただ何か、ほんの少しの心が彼を居た堪れなくさせた。
「どうなるのかな」
上を向いて寝そべっていた身体を横に向けて僕は何となく思った言葉を口にした。深い意図があっての言葉じゃない。まるで呼吸をするかのように自然と出た言葉だ。
「どうすんの?」
だから、その言葉に返事をする者が居ることなんて全く予期して居なくて、素早く起き上きる。咥えていた煙草を思わず落とした。彼が煙草を吸うところなんて学校の皆は誰も知らないのに。
「ばっちり見ちゃったよ。駄目だぜ。青少年が喫煙なんて」
ティキ・ミックがしてやってりと得意げな顔をした。
「これはペロペロキャンディーだからいいんです。貴方こそ、いいんですか?教師の癖に学校の敷地内で喫煙なんて」
「これはペロペロキャンディーだからいいんだよ」
「ばっちり煙出てますけどね」
「それはお互い様だろ?」
そう言うと徐に彼の隣に座る。不覚だった。よりによって担任に見られるとは。誰にも知られるつもりは無かったのに。
「少年って面白いな。派手な外見の割に優等生ちゃんかと思ってたら授業サボって喫煙なんてさ。いつからやってんの?」
「別にサボったのは今日が始めてですよ」
「違うって。煙草だよ。担任としてそこは注意せにゃならんだろ。ばれたら停学にされちゃうぜ」
アレンはこの担任の事が嫌いだった。いつも飄々としていて、子どもじみているかと言えば掴み所がなく何を考えているかよくわからない。アレンは大人に囲まれて育ったからそういう「胡散臭さ」を嗅ぎ分けることができる。義父、クロス・マリアンとある同系統な「胡散臭さ」。
「もしかして僕を脅すつもりですか?自分だって・・・・・・」
「俺と少年とは立場が違うだろ?」
顔を寄せてにやりとわらう。それはいやな大人の笑みで、思わず後ずさってしまう。なんだか悔しい気持ちが押し寄せる。
「そんなに睨むなよ。もともと天涯孤独の身で養父が死んで、三年前に引き取られた義父は借金を残して失踪。そりゃぐれたくもなる」
「僕を馬鹿にしに来たんですか」
事情を、この担任はおろかクラスメイトにもそんなに詳しく話したことなどないはずなのに一体どこから聞きつけたのだろう。
「違うって。俺は話をしてるだけ。少年だって理不尽に思ってるんだろ?生まれた時から子どもは親の因縁に縛られる。それに従って生きている内に無限の可能性を少しづつ狭めて、気が付いた時にはもう人生の設計図の半分は描かれちまってる。自分が常に将来の選択をしていることに気づかない。そして、ある日急に自分が大人にならなければならないことに気づく。少年も同じだ」
「説教、ですか?」
「だから、ただの雑談だって」
そう言い切ったこの男の表情は清々しく、いつもの剽軽さとは少し違った。
「だがもし、少年の設計図の半分を描くのを俺が手伝ってもいいなら、飯でも食いに来い」
担任は煙草の煙を消した。
「次の授業は俺の担当だ」
颯爽と去って行く。それは大人の背中でアレンは無自覚に見えなくなるまでその背を見つめていた。
残された彼は担任が消えた扉を暫く見つめていた。手に持っていた煙草の灰がぼたりと落ちた。彼は懐の煙草をくしゃっと握り潰し、屋上を後にした。了