高嶺のきみに恋をした



新開くんは私とは住んでいる世界が違う人だなぁ、って思っていた。
彼は強豪と呼ばれているうちの自転車競技部でたくさんの活躍を見せているし、周りにはいつも部活の仲間がいて楽しそうにしている。誰にでも優しくて、イケメンに分類される彼は当然女の子からの人気も高い。この学年で誰が好き?と女の子達に聞いて回ったら、きっと大半の子が新開くんか東堂くんと答えるだろう。

教室の隅で一人静かに本を読むのが好きで、目立たない地味な私とは存在している次元が違うなぁ、と彼を遠目から眺める度にそう感じる。

そんな高嶺の存在の彼に、無謀にも私は恋をしてしまったのだ。

一目惚れだった。一年の入学式の時に偶然目が合って…まんまと私は恋に落ちてしまった。それ以来三年間、私は新開くんにずっと片想いをしている。
けど臆病な私には彼の気を引こうとアタックするなんて出来るわけがなく、彼とロクに会話もできないまま三年生になってしまった。
きっとこのまま、密かに新開くんへの気持ちを抱いたまま卒業を迎えてしまうのだろう。自分でも一途だななんて感心する。会話だって軽い挨拶を数回しかしたことなくて、ただ一方的に彼を見ている事しか出来ないのにずっと好きでいるだなんて。

でも、私はそれでいいと思っていた。だって彼と私じゃ、全く釣り合わないもの。気持ち悪いと言われるかもしれないけど、遠目から彼の姿を見ていられるだけで充分だ。感覚的には、少し距離感の近いアイドル、或いは物語の中の登場人物を見ているような感じ。

つまり──新開くんに恋をしたその時に、私はもうこの恋を諦めたのだ。

だというのに、人生というのは本当に何があるのかわからない物で、チャンスは突然巡ってきたのだった。


黒板の右端に書かれた文字を眺めて、ついはぁっとため息を漏らす。
『日直』と横向きに書かれた白いチョークの文字の下に縦並びに書かれた二つの文字。それは『苗字』と『新開』。いずれ回ってくるだろうと思っていた日直の仕事がまさか、新開くんとだなんて……。
これは夢なんじゃないかと思って、確かめるように視線を横に向ければそこには私と同じく黒板消しを手にしている彼がいる。
これは現実なのだろうけど、夢みたいだ。黒板消しを片手にぼんやりした頭のまま、一限目の授業の先生が黒板びっしりに書き走った文字をのろのろと消していくと、雑な走り書きの文字は綺麗には消えず、ただの白いもやのような物に変わる。これじゃ消しているというかただ文字をぼかしていると言った方が正しい。この消し方じゃきっと二限目の先生に「日直ちゃんと綺麗に消せー」と怒られてしまうだろうな……私だけが怒られるならともかく、新開くんまで叱られてしまうのはだめだ。
ちゃんとやろうとぐっと黒板消しを持つ手に力を入れて、上から丁寧に消そうと背伸びをしたその時…ふっと真横に感じる存在と、頭の上に落ちる影。


「上の方、届かないだろ?ここはオレがやるよ」


反射的に間近に聞こえた声の方向を見上げると、新開くんの目がしっかりと私に向けられていて、思わずひっくり返った声を上げてしまいそうだった。三年間ずっと遠くから見ているだけだった彼の整った顔がこんなに近くにあるという事実だけで、心臓が口から飛び出てしまうんじゃないかって思うくらいにドクンと跳ねて、顔も火が出るんじゃないかってくらいに熱くなって、私はコクコクと頷くだけで精一杯だっていうのに新開くんはいつもの涼しい顔で私の頭より上の文字を消していく。


「ぁ、ありがと…新開くん…」


ようやく絞り出せた声は恥ずかしいくらいに上ずっていて余計に顔が熱くなる。こんなみっともない声を出してしまうなら黙っていた方がよかったと後悔した。


「いいって。オレも日直なんだからさ」


そう言って新開くんの形のいい唇は緩い弧を描く。黒板消しを持ったままの姿でも様になるなんて、これだからイケメンはずるい。これ以上彼の事を見ていたら茹で蛸になってしまうだろう。「う、うん…」と吃った返事を小さく返して、黒板の文字を消すことに集中した。

この状況は…新開くんと日直になって話す機会が生まれた今の状況は、いわゆる『お近付きになるチャンス』というやつなんだろう。
だけどそれは、彼に話しかける勇気が私にあればの話。そんなもの当然無いどころか、こうして近くに並んでいるだけでもどうにかなってしまいそうな私にはせっかくのチャンスも無意味だ。
けど、こうして彼の隣に立てているだけでも充分幸せだ。今この瞬間、新開くんの一番近くにいる人間は私なんだなあって考えると嬉しくなる。それに、遠くから見ているだけだけじゃ気が付かなかったことに気が付けるし。思っていたよりも彼と私の身長差は結構あるって事、後頭部に小さな寝癖がある事、彼はこんなに近くで見てもやっぱりかっこいいって事……。
黒板の文字を消しながら、ちらりと新開くんの姿を盗み見てはすぐに視線を逸らしてを繰り返している私は完全なる不審者だ。


「苗字さんってさ、いつも何読んでるんだ?」
「へっ!?」


まさか新開くんに話しかけられるだなんて思ってもなくて、驚いた私は肩を跳ねさせたと同時に素っ頓狂な声をあげてしまった。おめでとう私、不審者レベルが上がったよ。


「いつも本読んでるよな。何読んでんのか気になってたんだ」
「あ…あー、えっと……す、推理小説…とか…かな……」


正直新開くんが私の名前を知っていてくれたってだけでも嬉しいのに、いつも何をしているのかまで知ってたなんて嬉しい反面、それを通り越してむしろ恥ずかしい。だって私が彼の事をこっそりと見ている事までバレてしまっているんじゃないかって怖くなってしまう。


「へぇ、苗字さんも推理小説好きなんだな」
「…も、ってことは……新開くんも…?」
「ああ。っても部活が忙しくて最近は読む時間もあんまりないんだけどさ。前は結構読んでたんだ」
「そうなんだ…!なんか、意外だなぁ」


失礼かもしれないけど、小説とか…まして推理小説なんて縁が遠い人だと思っていたから。新開くんの新しい一面が知れた事ももちろん、彼と私に共通点があった事がすごく嬉しい。


「はは、やっぱ意外か」
「ご、ごめん…!変な意味じゃなくて…!」
「いや、いいんだ。部活の連中にも推理出来なそうなのに意外だって言われたし、実際読んでて犯人もトリックも当てられた事あんまり無いしな」
「あ…それは私も。この人犯人ぽいって思ったら全然違う人だったり…」
「意外だな。苗字さんって頭良さそうだからすぐ分かりそうだなって思ってたよ」
「頭いいだなんて…全然そんな事ないよ」


黒板消しを持ったままの手と反対の手をぶんぶんと振ったところで気が付いた。あんなに綺麗にやらなくちゃと思っていた黒板は、まだ半分も文字が消し切れていない。つい新開くんとの会話に夢中になってしまっていた。でもそれはどうやら私だけじゃなかったみたいで、私から黒板に目を向けた彼も「おっと」と小さく声を上げていた。


「そろそろちゃんと仕事しないとな。次の授業に間に合わなくなっちまう」
「うん、そうだね」


私達は顔をお互いから黒板に向ける。新開くんと話せた事、同じものが好きって事が分かって嬉しくてついにやけてしまいそうな口に力を入れて抑えながら、止まっていた手を再び動かして黒板の白い文字を消していく。


「なぁ、苗字さん」
「えっ…!な、なに?」


また名前を呼ばれるだなんて思ってもなかった私の肩はまたビクリと跳ね上がる。黒板を消していた手もついそのままピタリと止めて新開くんに顔を向ければ、彼はスラスラと黒板の文字を消しながら私を見ていた。


「今度でいいからさ、苗字さんのおすすめの小説教えてくれよ。苗字さんと話してたらまた読みたくなっちまった」
「あ…う、うん!もちろん!何冊か持ってくるよ!」
「お、いいの?サンキュー。じゃあオレも面白かったやつ持ってくるよ」
「ほ、ほんと?ありがとう…楽しみにしてるね」


堪えきれずに笑うと、新開くんの口元も弧を描いた。やっぱり彼の微笑みは凄まじく眩しい。これにクラっと来ない女の子はいないんじゃないか…と思いつつも今これが向けられているのは私だけなのだと思うと、嬉しくてその場で飛び跳ねたくなるような気分だった。きっと一生私には向けられることの無いと思っていた微笑みが今目の前にあるんだ。
ずっと住む世界が違うのだと、近付くことなんて無いだろうと思っていた彼に少しだけ近付く事が出来た気がした。

自惚れかもしれないけど……この恋を諦めるのは、まだ早いのかもしれない。





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