MY HEROINE



「なぁ小野田くん、苗字さんと付き合うて何年なんや」
「ぅえっ!?」


久しぶりに会った鳴子くんと今泉くんと入った居酒屋の席で、鳴子くんからの唐突な質問にボクは思わず大きくてひっくり返った変な声を上げてしまったけど、周りが賑やかだったおかげで注目を浴びずに済んで良かったとホッと息をついた。
ボクの向かいのソファ席に座ってワイングラスを片手にした今泉くんと、ボクの隣に座ってジョッキを片手にほんのり顔を赤くした鳴子くんはそれぞれ「相変わらずの反応だな」、「なんやその変な声」って面白そうに笑う。その2人にボクもつい釣られて笑ってしまう……こんなやり取りは大人になってからも変わらないなぁ、なんて懐かしくて嬉しい気持ちになる。


「で、どうなんや」
「…付き合う、なんて…ボクと苗字さんはそんな関係じゃないよ」
「ハァ!?もしかして別れたんか!?」
「付き合ってたんじゃないのか、お前と苗字さん」
「ち、違うよ!その…なんていうか……ボクと苗字さんはこ、恋人…、とかじゃなくて…!ただのアキバ友達ってだけで…!!」


声を裏返しながらもなんとか2人にそう説明すると、2人揃って呆れたようにハァ…と深くため息を付いた。

──苗字名前さん。

彼女は高校時代のボクや今泉くん達の一つ年上の先輩で、自転車競技部のマネージャーさんだった。
部活中の彼女はとても凛としていて、テキパキと動いてボク達選手を支えてくれていた。でも練習中はボクらを鼓舞するというよりも煽るような言葉で捲し立てて……苗字さんと出会ったばかりの頃、ボクは彼女のことを怖い人だと思っていた。

けどある時…ボクは苗字さんの秘密を知ってしまった。
苗字さんのカバンの中に、当時絶頂期だったラブ★ヒメの女性に大人気のイケメンキャラの一人、コタローくんのフィギュアが入っていたのを偶然見てしまった。焦る苗字さんをよそに、ボクは同じ部内にもアニメが好きな人がいるかもしれないっていう事にテンションが上がってしまって、色々と質問攻めにしてしまったのをよく覚えている。当時苗字さんはアニメが好きだという事を、周囲には隠していたのだ。
あの時は申し訳ない事をしてしまったなぁ…って思っているけれど、それををきっかけにボクの苗字さんへの印象はガラリと変わったし、距離も縮まった。
お昼休みは一緒に過ごすことが増えて、特に当時リアルタイムで放送していたラブ★ヒメの放送翌日は必ず一緒にお昼ご飯を食べながら感想を言い合った。他にもお互いにどんなアニメが好きなのかとか、観たことがないアニメがあればお互いにおすすめし合ったり……正に自転車競技部に入る前に、ボクが憧れていた“誰かとアニメを語る”というそれだった。
アニメを語る時の苗字さんは、部活中の厳しさは見えなくて。まるで小さな子供のように目を輝かせて楽しそうな笑顔を浮かべる苗字さんのことを、ボクはただ、可愛い人だなぁ…と思った。
そうして気がつけば、ボクは苗字さんの事が好きになっていた。女の人にこんな感情を抱いたのは初めての事で、最初はどうしていいのかわからなかったけど…ただ、苗字さんと一緒にいる事が、話している事が、どうしようもなく幸せだって感じていた。

でも結局、ボクは苗字さんが高校を卒業するまで想いを伝える事はなかった。その間ボクが出来たのは、勇気を振り絞って「一緒にアキバへ行きませんか!?」と、誘う事だけだった。あの時は緊張して半分頭が真っ白で…いつも以上に情けない声だったのは覚えている。
それなのに、苗字さんは部活中じゃ絶対に見れないようなぱあっとした笑顔を浮かべながら頷いてくれた。
それから有難いことに、苗字さんが高校を卒業しても何ヶ月かに一回アキバに行ったり、一緒のアニメのイベントにも行ったりした。

けど、彼女には相変わらず想いを伝えられないまま。


「このままでええんか、小野田くん。好きな事には変わり無いんやろ、苗字さんのこと」
「それは……」


苗字さんに気持ちを打ち明けて、受け止めてもらえたらそれはすごく嬉しい。だけど、拒否されてしまったら…今日まで築き上げてきた苗字さんとの関係が崩れてしまいそうで怖かった。ボクが苗字さんの事をそういう目で見ていると知られてしまったらもうボクと会ってはくれないんじゃないかって不安だった。


「このままでいいんだ…ボクは今のままで、幸せだから」


ハァァ、と鳴子くんと今泉くんは再び同時に深くため息をついた。どうしてそんな反応をされたのかわからなくて狼狽えていると隣に座っている鳴子くんに「アホ!」と怒鳴られてしまった。


「小野田くんはそれでええかも知れんけどな、苗字さんは多分ちゃうで」
「え…?」
「そうだな。そう思っているのは小野田だけだ」
「い、今泉くんまで……」
「鈍感な小野田くんは気付いてへんようやから言うけどな、あっ…からさまに小野田くんの事好いとったで、苗字さん!」
「コイツと意見が合うのは癪だが、鳴子の言う通りだぞ。小野田。分かりやすいほどお前が好きだったと思うぞ、苗字さん」
「えっ…、ちょ、ちょっと待って…!?」
「あの時気付いとらんかったの、小野田くんとカブくらいやで」


2人の話が衝撃的すぎて頭の中がぐちゃぐちゃだ。
2人はなんて言った…?苗字さんがボクの事を……?
その日は、お酒なんて一滴も飲んでいないはずなのにどうやって家に帰ってきたのか、よく思い出せなかった。







鳴子くんと今泉くんと会った日から1週間後の今日は、苗字さんと今話題沸騰中の大人気アニメのイベントに参加した。

先週鳴子くんと今泉くんからあんな話を……苗字さんがその…ボクの事を好き…だなんて信じられないような話を聞いた時から、今日はどんな顔をして彼女に会えばいいのかわからなかった。
苗字さんと2人で出かける時はいつもドキドキしているけど、今日はドキドキどころか心臓が飛び出てきちゃうんじゃないかって思うほどバクバクしていた。
苗字さんを待ちながらいっそ帰ってしまおうかなんて、酷い考えすら一瞬浮かんだけど…待ち合わせ場所にやってきて「今日のイベント、楽しみだね!」って無邪気な苗字さんの笑顔を目の当たりにしたらそんな考えは吹き飛んでしまった。
やっぱり、苗字さんと一緒にいられるのは幸せだ。それに…もしも鳴子くんと今泉くんの言う通り、苗字さんもボクと同じ気持ちでいてくれたなら…それはとてもとても嬉しくて、幸せだ。


イベントの内容は最高だった。主要メンバーの声優さんによる裏話トークや朗読劇、そしてアニメの最新情報などなど……その興奮冷めやらぬまま、ボクと苗字さんは会場近くのレストランに入ってひたすらイベントの感想やこれからの展開が楽しみだと言う事を語り合った。
そして、ひとしきり熱い会話を繰り広げた後。そろそろ遅いから帰りましょうかと切り出そうとした時、苗字さんがぽつりと告げた。


「…小野田くんとこうやってイベント行ったりするの、今日が最後になるかも」
「…え」


頭の上に重たいものが落とされたような衝撃だった。
一体どうして…?ボクは彼女に何か失礼な事をしでかしてしまったのかな…!?
不安になって慌てて苗字さんに訊ねるとそうじゃないんだと彼女は申し訳なさそうに笑った。


「実はね…会社の人に結婚を前提に付き合って欲しいって言われてて」
「え…けっこ……つきあ……、え…!?」
「将来焦りたくないし、いい人だし…そろそろ現実に目を向けようかな、なんてね」
「……そう、なんですか…」


本当は祝福するべきだってわかっている。だけど急に焦りが胸に込み上げてきてじんわりと汗をかきはじめた。…嫌だと思った。苗字さんとアキバやイベントに行けなくなる事よりも何より、他の人の元へ行ってしまう事が。

本当は一緒にイベントに行けなくなってもアキバ仲間ですから、そう言うべきだってわかっているのに…何も言葉が浮かばなかった。

──ボクじゃだめですか。

その言葉以外は。


「え……小野田くん、今、なんて…?」
「へ…?」
「今言ったよね?ボクじゃダメですか…って…」
「え、え、え…!?声、出てましたか!?」
「うん、バッチリね」


面白そうに口に手を当てて笑う苗字さんに反して、ボクは火が吹けるのではと思うほど顔が熱くて心臓がドクンドクンと騒いでいた。
ああ恥ずかしすぎる…!それにこれから幸せになろうとしている苗字さんになんて事を言ってしまったんだボクは!


「ねえ…今の、どういう意味かな?」


ボクを少し上目遣いに見てくる苗字さんの瞳は微かに揺れていた。
もしも、“苗字さんもボクのことが好き”ってことが本当なら……今まで彼女の気持ちに気付くことができなかったボクがこんな事を思う資格はないのかもしれないけど…
どうか、ボクを見てほしい。


「ボ…ボクは…、苗字さんの事が、す、好きです…!」
「…ほんとに?」
「ひゃ、ひゃい…!」


勢いで言ってしまったことを今少しだけ後悔している。想いを伝えた事よりも緊張してしまって吃ってしまったり声が裏返ってしまった事がすごく恥ずかしい…!それにカッコ悪すぎる。本当ならラブ★ヒメ第3期の最終話のコタローくんのようにもっとかっこよく……ってこんな時にアニメの例えをしてはダメだ…!


「ボ、ボクじゃ男として頼りないかもしれません…幸せにするから、なんてかっこいい事も自信を持って言えません……で!でも!側に、いたいんです…苗字さんの…!」
「小野田くん…」
「だ、だから、あの!ボクと、その…!」
「う、うん…」
「結婚してください!!」


あれ…ボクは今、なんて言った…?結婚、してください…?
苗字さんは目を丸くさせて驚いた顔をしたまま、パチパチと瞬きを繰り返した後ぷっと笑いを零した。


「結婚って…気が早すぎだよ」
「あ…で、ですよね……」
「でも、嬉しい。すっごく」


目を細めて楽しそうに笑っていた苗字さんは口元の手を下ろして、ほんのりと頬を赤く染めながらボクをじっと見た。


「私も、小野田くんが好き」


照れ臭そうに笑ってそう笑う苗字さんはとっても可愛くて。苗字さんの言葉で紡がれるボクが好き、という言葉も本当に嬉しいのに、言葉が出なくって……アニメだとこういう場面では主人公がヒロインを抱きしめていたりするけど、そんな事ができる勇気があるかは別として、今ここがレストランでなければ間違いなくボクも彼女を腕の中に閉じ込めていたかもしれない。


「ありがとうございます…!ボク、今すごく幸せです…」
「うん…私も幸せ。だって、ずっと小野田くんのこと好きだったんだもん」
「あ、それ…本当だったんですね…」


怪訝そうに首を傾げた苗字さんに、鳴子くんと今泉くんが言っていた事を話すと「やっぱり気付かれてたか…」なんて恥ずかしそうに笑っていた。


「ええと……こんなボクですけど、これからよろしくお願いします。苗字さん」
「…苗字さん、じゃなくて…名前で呼んでほしいな」
「えっ…!ええ、っと……!名前、さん…」
「はい。こちらこそよろしくお願いします。坂道くん」


なんだか照れ臭くて、ボク達は同時に笑いを零した。


「それと。またいつか、もう一度言ってほしいな……結婚してください、って」
「は、はい…!必ず…!」





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