餅雪の夜 | ナノ
クーデターの夜が明けた。
夜通し降り続いた雪は、工場の煤煙と、街が吐き出す排気物を洗い流した。
そんな澄み切った空気の中、雪に濡れた街は昇りはじめた朝日にきらきらと輝いている。
立ち尽くすことしかできなかった。綺麗な朝焼けだ、と思った。
吐き気がする程に。

俺は地べたの雪にそっくりな泥水でびしょ濡れの姿、おまけに殴られて血が滲み、腫れ上がった顔で通りを歩いていた。
昨夜の警報のお陰で、幸いにも通りには俺の姿をジロジロと眺める人間はいない。

濡れたままの服はこんな冬の朝には最悪だった。冷たい風は刺すように体温を奪っていく。
一つ、小さなくしゃみをした。その拍子に足元に視線を落とした。踏まれてグシャグシャに融けかけた雪。

空を舞う雪は美しいけれど、一度地に落ちれば、泥に、排気に、その身を無惨に汚していた。

泥ならまだいい。
俺は立ち塞がる無数の軍靴の隙間から、赤くまだらになった雪を見た。

夢か、野望か、恨みか。未だに彼らが望んでいたものが何かは俺にはわからないが、大きな意志によって何かを変えよう。成し遂げようとした者達が、確かにそこにいた。

……あいつも、そんな志士の一人だった…と言ったら、些か大袈裟すぎる気がしてきた。まあいいや。
透。たった一人の馬鹿な弟。

あいつはあの時、俺に何を求めたのだろうか。
そんな馬鹿なことは止めろ、と、殴ってでも止めてほしかったのか。
戦いに飛び込む勇気が出ない背中を押してほしかったのか。

偶々新聞社の仕事も非番で寝ていた俺は透に起こされた。全身を最前線に赴くような装備に身を固めた透が枕元に立っているのを見て、「どうしたんだよおまえ、戦争でも始まったのか?」と笑った。

次に交わした言葉は、「イッテキマス」と「イッテラッシャイ」。透と最後に交わした言葉。

どちらにしろ、俺は何もしなかった。あいつに対して、何もできなかった。
ただ、曖昧に遣り過ごしただけ。

……馬鹿なのは、俺じゃないか。
日常を壊すことが、ただただ怖かっただけだったんだ。

あいつはこの街の「何か」を変えようとしたのだ。


政府の情報規制で萎縮している報道機関なんてクソ食らえだ。
俺は透の代わりに、上部だけは美しいこの街の真相を引きずり出すことに決めた。
そして、透が何処へ行ってしまったのか。それがいつかわかる日へ、走って行くことに。
いつか必ず迎えに行く。




***

「……あ、煙草切れちまった……な、妹尾。買いに行ってこない?駄菓子買うついでにでもさ」
「自分で行け」
あれから三度目の春を迎えた今、妹尾という仲間と作る、我らが『星叢稀報』も漸く軌道に乗ってきた。売上も延び、政府が(今は)威信をかけて育てている天木電波塔も日に日に延びて行く。
あの塔も、怪しいもんだ。
「高品質な情報を都民の皆様に」?どうせ、情報操作の道具に過ぎない天狗の鼻のように思い上がった電波塔だ。いつか神様の怒りにふれて、粉々にされてしまえばいい。
と、思ったら自然とこんなセリフが口をついて出た。

「……神様なんて、いるのかね。その点どう思います?妹尾くんは……」

書きかけの原稿に目を落としたままの妹尾は答えない。相変わらずあいつ没頭すると回りが見えなくなる。

俺は重い腰を上げて、煙草を買いに埃っぽい編集室(兼、妹尾の研究室)を後にした。

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