コツ、コツ、コツ、コツ。 靴の音を大きく響かせて、学生服を着た少女は日が傾きつつある街を足早に歩く。 肩で切り揃えた髪が一歩を踏み出すたびに日の光を反射し、揺れる。 夕陽に染まった人々と建物。 「ああ……もう…ハァ」 少女は今日、予定より早く下校するつもりだった。しかし、友人の落としたペンを探すのに、結局一時間ほど費やし、結局いつも通りの時間に下校することになってしまった。 ペンは結局、友人の鞄の奥に入っていた。 「ご、ごめん、ほんとに……ごめんね、私本当に気が付かなくて」 友人は普段からおっとりとしていて、どこか抜けているところがある。 そこが彼女のいいところでもあり、少女は彼女のそんな所が好きだった。 しかし、今回の事ばかりは少女をうんざりさせた。 私がいつもどれだけあなたの不始末を庇って、赦して、見ないふりをしたと思ってるの? 「ごめんなさい、読んでるときに、つ、机の上に置いて、目を離してたら、その、弟が……湯呑を倒して」 ついこの間も、少女が貸したお気に入りの恋愛小説を茶漬けにされたばかりだった。 どこにもない。と言っていたペンを鞄から見つけ出し、少女はそれを何も言わずに持ち主に突き付けた。 「あ、う」 持ち主はぽろぽろと涙を零す。知るものか。 「いい加減にしてよ。もう嫌よ」 少女はその一言だけを残し、夕暮れの教室に立ち尽くす友人を置いて、学校を後にした。 「ああ!……ああ!」 少女はさらに歩調を強め、前方をろくに見ずに道を曲がる。 少々彼女に言い過ぎてしまったかもしれない。いや、彼女には一度あれくらい言ってしまった方がいいのだ。彼女はあれからどうしただろう。どうして気になる?どうして心配する?も う嫌だ。自分が?彼女が?もう嫌だ…。 ふと顔を上げると、少女は薄暗い路地裏に立っていた。 「どこ……ここ」 道を間違えたのかな。 「ああ、面倒くさい……」 少女は後ろに向き直り、歩いてきた道を引き返そうとした。 斜陽が建物の間から細く、しかし強く差し込み、路地裏を赤く染める。 気味が悪いな。 最近、この街では不気味な連続殺人事件が起きている。 背中を一突きにされ、真っ赤な血をたくさん流して死んでしまう。 級友の男子生徒が学校に持ち込み、休み時間に他の生徒を集めて読んでいた怪しげな雑誌に、その事件の記事があったことを少女は思い出していた。 好奇心から一度見せてもらったことがあるが、余りに生々しく書かれた記事に少女は気分を悪くした。できるだけ思い出したくはない。 雑誌には、この事件の犯人は「怪人」であると書かれていた筈だ。 人間ではない、あくまで「怪人」であると。 コツ、コツ、コツ。 少女は違和感に気付く。 この路地は、そんなに長かったか。 遠くに通りを歩く人々が見える。警官。車。若い男。赤子を抱く女性。学生。 しかし歩けども歩けども、明るい通りには出られない。 コツ、コツ、コツ。コツ、コツ、コツ。 少女は足音が増えたことには気が付いたか。 うつむいてゆっくりと歩く友人の姿が建物と建物の間に見えた。泣いているのだろうか。 今からでも遅くない。彼女に謝ろう。 しかし通りへは出られない。 コツ。 少女は歩みを止めた。 こんなに通りが近く見えるのに、真直ぐな路地を抜けることができない。 赤い路地裏に少女はただ一人立ち尽くす。喉が渇く。唾が飲み込めない。 コツ、コツ、コツ、コツ、コツ、コツ、コツ。 少女の背後で、もう一つの足音は止んだ。 少女は背中の毛が逆立つのを感じた。「いる」のだ。ここにはもう一人が。 その瞬間に、記憶の奥に閉じ込めたあの雑誌の記事を全て思い出した。 『犠牲者は背中を己の血液で真っ赤に染め』 少女は声を聞いた。何かを尋ねる男の声だ。 『まるで赤いマントを身に付けているかのように』 「赤いマントは」 「た、助けて!チヤ子!チヤ子おおおっ」 路地の向こうで、おっとりとして少し抜けている少女、チヤ子は、路地の奥を見遣った。 しかし、それだけだった。哀れな少女の叫び声は通りを行き交う人々の話声や、車の音に掻き消されてしまった。 路地の奥で友人の身に何が起きているのか、何も知らないチヤ子はまたうつむき、路地の前を通り過ぎて行った。 「いりませんか?」 銀の刃が少女の薄い体を貫いた。 生温かい血が噴き出す。 見る見るうちに紺の学生服は血を吸い込み、赤というよりどす黒く変色していく。 体を数度短く痙攣させ、突き刺さったナイフをずるりと引き抜かれると、少女はそのまま地面に崩れ落ちた。 血は絶え間なく土に浸み込んでいく。 路地に差し込む夕陽よりも赤い、くすんだ色のマントを着古した軍服の上に身に付けた男が、地面に体温を奪われていく少女を見下ろしていた。 「ああ……ヒッ、綺麗だ、ヒヒッ」 男は歯を剥き出しにして、引き攣ったような震え声で笑った。 何か一仕事をやり遂げたような、作品を完成させた芸術家のような、ある種の達成感と満足感をその目に浮かべていた。 「あなたにとてもとてもとても似合ってますよ、ヒヒヒヒッ、どんな服で着飾るよりも、フヒッ、美しい背中には赤いマントが最も相応しい。ヒヒッ、ハハハ」 男は顔の大きな傷跡を歪ませ、笑い続ける。 少女の死体をそこに置いたまま、男はマントを翻し、もうすっかり日が落ちた路地裏の闇に消えていった。 東都を侵食する「怪人」赤マント事件はこうして、今日も犠牲者が、一人、また一人と増えてゆく。 |