学生戦争 | ナノ

 圭ちゃん、と自身の名を呼ぶ声が頭の中で反響する。
 他軍に所属していると知っている筈なのに、その警戒心のなさには呆れるしかない。だけど伸ばされる手を振り払わなかったのは、紛れもなく自分なんだ。
「あ、これ似合う」
 不意に髪に触れられ、内心びくりと心臓が跳ねる。平静を取り繕いつつ横に眼球を動かせば、紫音が瞳を輝かせながらこちらを見上げていた。窓ガラス越しの日光を受け、金は鈍く、青は鮮やかに輝く。……何度見ても鏡写しのような瞳をしている、と思う。このオッドアイだけでなく、髪の色も、切り揃えられた前髪もよく似ている。自分達は。
 まあ、外見は、だけど。
「……何? これ」
「バレッタ。圭ちゃん普段髪結ばないけど、これでハーフアップにすればお揃いだよ」
「これ以上似せてどうするの……」
 内面は、恐らくは一度死にでもしない限り似せられないのではないだろうか。どうしてか嬉しそうに笑む、ぽやんとした紫音の顔を見下ろす。これでライフルを持たせたら肝が冷える程に正確な射撃をするのだから、人は見掛けによらないものだ。……あんたが言うなよって話だけど。
 紫音に引っ張るようにして連れて来られた雑貨屋はがやがやしており、そこかしこにきらきらとしたものが置かれてある。髪にあてがわれていたバレッタを受け取り眼前に翳してみると、これもリボンとフリルのついた可愛らしいもので思わず頬が引きつった。こいつ、自分はシンプルなものを選ぶ癖に。
「うわ、少女趣味」
「大丈夫、圭ちゃんなら似合うよ」
「そういう事を言ってるんじゃないの、買わないからね」
「えー……」
 返してきなさい、とバレッタを紫音に押し付けるも、フリルを指先で弄りながらむくれてみせる。まったくもう、リボンだとかフリルだとか、そこまで着飾るつもりは毛頭ない。第一そういうのは、紫音の方が似合うだろうし。
 ……ばれないものだなあ、と思う。意外と。自分の顔の客観視はできているつもりだけど、それでもここまで疑われないのは想定外だ。はあ、と息を吐き出す。信頼されると、その分心苦しい。
「……普通のヘアゴムでならしても良いよ、ハーフアップ」
 あまり、信じないでくれないかな。
 ぽん、と紫音の頭に手を伸ばすと、驚く程簡単に触れる事ができ思わず苦笑する。駄目だなあ、こちらの武器を知らない訳ではないだろうに。
 ほんと? と紫音は言う。期待を込めた声色で。黒のヘアゴムね、と付け足すとお揃いだと彼女は淡い笑みを浮かべた。
「あんたこそ、たまにはバレッタでも着ければ良いのに」
「私は良いの」
 紫音はもうバレッタに未練はないようで、ことん、と近くの棚に置かれたそれを目で追う。……おかしな子。他軍だというのに気安く近寄って、こんな、友達みたいな事をして。それともいつでも割り切れるような、そんな性格をしているのだろうか。こっちは息づくのもやっとだってのに。
「圭ちゃんは優しいね」
「……買わないから」
「違うよ。いつも最後には譲ってくれるから」
 色の違う双眸で、彼女を見下ろす。色の違う双眸がこちらをまっすぐに見上げていた。はあ、と溜め息をつく。どうだろうね。そう言って浮かべた笑みは、皮肉なものだったかもしれない。
「最後の最後に、譲ってもらうのは私かもしれないよ?」
 きょとん、と紫音は瞳を丸くする。自分とよく似た瞳は、それでも美しく見えた。数秒間の空白。彼女は、ゆるゆると頷いた。
「良いよ、最後の最後は、私が譲るね」
「何に対してかも分からないのに?」
「圭ちゃんだから大丈夫」
 何の根拠もない一言に、今度は純粋におかしくて笑った。この子は一体どこまでが本気なんだろう。どこまで、こちらに手を差し伸べるつもりなんだろう。
 そっか、と笑う。そうだよ、と紫音は頷いた。約束、と言われたから、約束、と繰り返した。
「じゃあ、そろそろ出ようか」
「うん、今度はケーキ屋さんに行こうね」
「それは約束しないよ」
 足並みを揃えて、雑貨屋を後にする。これを崩す日が来るのだろうか。その前に一度だけで良い、今の約束が果たされたなら。きっと、譲れぬものを譲るのはこちらの方だろう。
「えー、だめ?」
「だーめ」
 だから、一度だけ。いつか俺と言わせて。