学生戦争 | ナノ

「原田ー、いるか?」
 ガラッと保健室のドアを開け放ちながら言われた言葉に、ご指名よと救護班の先輩がくすくすと笑う。その反応ももう慣れたもので、はーいと返事をしながら広げていた書類を片付けた。
 私の声が届いたのか、三瀬先輩はいたいた、と快活に笑いながらこちらへ近付いてくる。日常と化しているこの風景に、何だかな、と思わず苦笑をこぼした。
「はいはい、今日はどうしました?」
「いやー、ちょっと擦っちまってさ」
 差し出された左手はその甲から赤く血が滲み出ていて、既に洗ったのだろうほのかに濡れている。また躓いたんですか? と尋ねると模擬演習だって! と返され予想外の返答に私は目を丸めた。不服そうな表情を浮かべられてしまったけれど、三瀬先輩は普段の行いを見直すべきだ。
 骨張っている手を両手で包み込み、患部の状態を観察する。砂は洗い流せているようだし、問題ないだろう。シュッと予告なくスプレー式の消毒液を患部にかけると、いっ!? と大袈裟にされた反応がおかしくて笑みが漏れる。あれだけ日常的に怪我をしておいて、小さな擦り傷の消毒が痛いだなんておかしな話。
「ちょ、原田……予告なし、だめ、絶対!」
「何仰ってるんですか。はい、終わりましたよ」
「え、もう?」
「この程度であれば絆創膏は却って治癒を遅らせますから。先輩だって消毒液くらいならお持ちでしょう? わざわざ保健室にいらっしゃらずとも問題ありませんし、私を捜すより同級生に治療して頂いた方が早いですよ」
 もちろん、大きな怪我ですと診せて頂かなくては困りますけど。そう言って苦笑をすれば、三瀬先輩は決まりが悪そうに頭を掻いた。細められた目は宙を泳ぎ、不思議な紫色の瞳は蛍光灯の光を受けて青く透き通っている。
「あー……何か、癖になってるんだよな。原田に診せるの」
 そうは言っても、先輩が一年生の時は他の誰かに診せていただろうに。それでも私が入学すると、彼はいつの間にか私のもとへ来るようになったのだけど。いつから、だっただろうか。きっかけは覚えていない。
 そうですか。口に弧を描きながら呟けば、おう! と先輩は笑う。その癖はいつになったら治るのだろう。治療薬を私は知らない。それならば、ずっとこのままなのだろうか。
「まあ、怪我をされないのが一番ですが」
「……気を付ける」
 ふと、去年、私が手当てのいろはも知らなかった頃を思い出す。そうだ、また砂糖を使って治療してみようか。三瀬先輩が覚えていらっしゃるかは分からないけれど。
「処置をした分だけ書類を作成しなければなりませんしね、お気を付けください」
「え、まさかそれが面倒なだけ? 詩野ちゃん、俺の心配とかは!?」
「保健室ではお静かに」
「……スミマセン」
 三瀬先輩と顔を合わせた分だけ、私は成長しているのだろう。そう思うとくすぐったかった。