学生戦争 | ナノ

 白いマグカップにコーヒーを注ぐ瞬間が好きだった。どちらかというと紅茶派だったというのに、今では自分の分だけを淹れる時もコーヒーを選んでしまっているのだから、習慣とは恐ろしいものだと思う。とくとくと注がれていくコーヒーは、茶から色味を強め黒となる。芳醇な香りがふわりと浮き、私は口元を緩めた。
 サーバーをシンクに置き、さてととトレーにマグカップを乗せる。給湯室と司令室は比較的近くに位置しているけれど、あまりゆっくりしていると冷めてしまう。生まれが良いからか、あの人はコーヒーの味にうるさかった。冷めたことによって落ちる風味も舌が敏感に感じ取ってしまうようで、まだ慣れない頃は随分と指摘されたものだと思う。
「……あら」
 彼は砂糖もミルクも必要としない方だから、他には何も必要ない。そう思いいつもなら素通りしてしまう棚に、視線が止まった。砂糖と塩と、需要の高いものはすぐに手に取れるようにされているそこには、今日は見慣れぬ容器があった。ふと好奇心に駆られて持ち上げてみれば、漂うコーヒーとは違う香りにその正体はすぐに見当がついた。
「ああ、」
 明日は、確か。
 誰かの置き忘れだろうかと視線を滑らせると、まだ熱い湯の残るケトルが視界に入る。私はくん、とコーヒーの香りを吸い込み、小さく笑った。

***

 では、失礼しますね。普段と同じ言葉を残し背を向ける私に掛けられる言葉はない。ことり、マグカップの動く音がした。私は司令室から出、ゆっくりと扉を閉じていく。
「…………あめえ」
 静かな部屋に広がる声に、まるでいたずらが成功したような気分になって声を立てないように笑んだ。スプーン一杯のチョコレートソースが甘いだなんて、余程敏感な舌なのだろう。言葉とは裏腹に苦々しげな表情を浮かべているだろう彼を思い浮かべ、またおかしさが押し寄せてくる。
 彼はきっと、明日が何の日かだなんて気付かない。だからこれは、ただの気まぐれないたずらで終わるのだ。