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下戸vsうわばみ1

お腹の上に腕が乗った衝撃で目が覚めた私は、さっきまでうなされているかのような唸り声を漏らしていた唐沢くんの顔を見ていた。
まだ外は暗いようだけど、カーテンの隙間から入り込んだ夜明け前の仄かな青い光で、唐沢くんの輪郭は分かる。私の方に向いた顔は、今はうなされていないのか、とても穏やかなものだった。でもこんなに凝視しているのに起きる気配はないらしい。まあまだ早いだろうから当然かもしれないけど、できれば始発近い電車に乗りたいから、もうしばらくしたら起たい。
そんな微睡みの時間に、昨日の話題が頭の中を駆け巡り始めるのも仕方ないことだと思う。
私は唐沢くんが好きで、唐沢くんも私のことを好きだと言った。いわゆる両想い。普通ならここで一歩進んでお付き合いを始めたりとかするんだろうけど、唐沢くんは私に「卒業後は付き合えない」的なことを言った。唐沢くんの実家のことなんてよく知らないから、候補に挙がるのは『許嫁』か『政略結婚』だと思った。許嫁はまだしも、政略結婚は本当にあるのかよく分からないけど、唐沢くんは否定しなかったから、もしかしたら本当にあるのかもしれない。付き合えないのか、付き合ってもいいのか、意見がコロコロ変わるのは怪しいところだけど、唐沢くんも唐沢くんなりに何か悩んでいるのかもしれない。いや、絶対何か悩んでる。
そんな条件のせいで私は付き合うことを渋った。他の人ならどうするんだろう?卒業後別れること前提でも付き合うのだろうか?
唐沢くんはいろいろあったせいもあるかもしれないけど、あと男に相手に使う言葉じゃないけど、ガードは固い方だし、遊び歩くチャラチャラした人でもないから、多分付き合ったら…考えるのも恥ずかしいけど、大切にはしてくれると思う。そういうところは一切疑いはない。だけど、交際期間に終わりが設定されているのなら、例え唐沢くんが私のことを大切にしてくれたとして、結局残るのは寂しさだけじゃないか?そんなの絶対に嫌だ。それなら昨日の段階でフラれた方がマシ…だったかどうかは微妙だけど、多分時間が経てば経つ程諦めは悪くなる一方だと思う。
だから付き合わない。唐沢くんは私の好きな人だけど、恋人じゃないから、私が束縛したり妬いたりするのはお門違いだっていう関係なら、まだ私が私自身を説得しやすい。そうなったら、唐沢くんとの関係はどうなるんだろう?変わらないまま…なんてことにならないだろうことは、昨日の唐沢くんの様子でよく分かった。あれは駄目だ。さっきチャラチャラしてないって評価したけど、あれは駄目だ。何て言えば正しい表現になるのか分からないけど、カップルみたいな空気を作るのはやめてほしい。とにかくやめてほしい。思い出すだけでモヤモヤと言うか、ムズムズと言うか、全身痒くなるような、じっとしていられない気分になる。そんなのずっと続けられたらいつか気でも狂うんじゃないか?勿論慣れる可能性もあるけど、慣れるまで付き合わされるこっちの身にもなってほしい。いや、そもそも、勝手に彼氏面してるところからおかしくないか?あれ?
目の前で静かに眠る唐沢くんの鼻でも摘まんでやろうかと思ったけど、心の中で頬を連続でつついておく。うやむやになったけど、勝手にキスマークつけられたことはまだ許してないのだ。いっそ正拳突きしても許されると思う。
それにしても、唐沢くんって結構嫉妬しやすかったりするんだろうか。それはもっと困る。付き合ったら私が後々諦め悪くなりそうだけど、付き合わなくても唐沢くんが諦め悪いんじゃ、どっちも似たようなものじゃないか?

「はあ…困ったな……」

思わず呟いた言葉に反応してか、唐沢くんの目がうっすら開く。「起こしちゃった?」なんて声をかけたら余計に起こしちゃうだろうか、と考えていたら、唐沢くんの方から声をかけてきた。

「起きてるのかい…?」
「誰かさんに起こされたからなあ」
「それは…ごめん……?」

何をしたか自覚がないのにとりあえず謝った唐沢くんは、体勢を変えるようにもぞもぞと動く。お腹の上に乗っていた腕も動いて、代わりに頭を掴むような形で手を添えられた。

「そろそろ起きないと…だっけ……?」
「もうそろそろだけど勝手に起きて行くから、唐沢くん寝てなよ」
「いやだ…」

唐沢くんの手に力が入って、唐沢くんの方へ引き寄せられる。寝起きの唐沢くんの胸元は温い。温いけど、ちょっと待て。

「朝から暴れる元気ないんだけどさー、離れてもらえませんかね?」
「何で?」
「ベタベタするな」
「……何で?」

ええ…何で訊き返されないといけないの…。
理由は勿論『付き合っていないから』なんだけど、それを言っても唐沢くんはぼやっとしたまま「でもみょうじは俺のこと好きだから」と謎の理論を展開してくる。……嫌ではないから謎理論ではないかもしれないけど、嫌じゃないけど嫌なんだよ!っていうのがどうにも伝わらない。
少し悩んだ後、乱暴な言葉だけど、言いたいことが伝わればいいかと、できるだけ乱暴に聞こえないように言う。

「卒業したら捨てるくせにー」

半分寝ぼけていた唐沢くんは今の言葉で目が覚めたのか、深い深いため息を吐いた。けど言いあぐねているのか、ただ私の髪を指先で弄るだけで、返事らしい返事は出てこない。
さすがにまずかったか、と私の方から「いい言葉がなかったんだよ…」と訂正を入れると、小さな声で頷かれたけど、どうやらダメージを与えすぎたっぽい。唐沢くんも何かに悩んでいるのに、追い打ちかけたら可哀想だった。私が悪かった。
けど、今の自分の言葉で一つ、名案を思い付いた。私が嫌なのは付き合ってもないのにベタベタされることと、付き合っても終わりが来ること。

「じゃあ、唐沢くんが諦めて、卒業後も私を選べばいいんだよ。そしたら私も付き合っていいし、唐沢くんも別にベタベタしてきてもいい。名案だ」
「ええ……」

私の名案に、唐沢くんは驚いたのか呆れたのか困ったのか全く分からない変な声を出したから、唐沢くんの顔を覗き込むために、唐沢くんの手を押し退けながら少し距離を取る。

「いや、何でそんな顔するんだよ」

複雑な心境をそのまま顔に出したんだろう、変な表情の唐沢くんは、恐る恐る訊ねてきた。

「それは……実質…プロポーズ、では…?」

唐沢くんの疑問に唸り声をあげながら考えてみる。
唐沢くんが卒業後別れることを諦めればいいだけだと思ったんだけど、許嫁だか政略結婚だかを諦めるってことでもある…ってことになるのか。それはつまり、俗に『駆け落ち』と言うやつだ。確かにプロポーズか。

「あー…まあ、そうなっちゃうな…?」

自分で言ったことだけど、そこまで深く考えて言ったわけじゃなかったから、結論に達した今でもあまり腑に落ちない。
唐沢くんは盛大なため息をついた。きっと私の発言と反応の両方にだ。

「でも名案だろ?」
「そう…か……?」

唐沢くんも腑に落ちてないらしい。名案であることには変わりないんだけどな。

「私のこと好きだろ?」
「好きだけど…」
「でも付き合っても卒業後は付き合えないんだろ?」
「まあ…うん」
「じゃあそれを諦めるしかないな!」

また変な声を出した唐沢くんは、それはもう心底困っていると顔が言っている。何としぶとい。

「分かった。私が唐沢くんを口説き落とす」

目指せ、健全な関係性!
そう決意を固めた私に、唐沢くんは静かに重く長いため息を吐いてから、唐沢くんも「分かった」と答えた。でもそれは、私の名案への回答ではなかった。

「じゃあ俺も、期間限定ではあるけど付き合ってもらえるように、口説くしかないわけだ」
「はあ?何でだよ」
「何でって、付き合ってないと……駄目なんだろう?」

そう言いながら私の髪を指で梳いて、意味ありげに微笑む。だからやめろって言ってるのに。
むっとしたつもりだったんだけど、唐沢くんは笑みを崩さないままで、私の額に顔を寄せた。額に軽く触れたものが何であるか気付くよりも先に、反射的に唐沢くんの脇腹に手刀を落とす。

「それが嫌なら、なまえが諦めて、俺と付き合おう?」

息がかかる距離でくすくす笑うから、額がくすぐったい。

「絶対、嫌、だ!ベタベタしたいから期間限定で付き合うとか、ほぼセフレだろ、それ!」
「そういう言葉を使わない」

厳しめに諌められたけど、私は間違ってないと思うんだけど?だって、期間限定の彼女なんて、セフレと同じ、割り切った関係だろ。唐沢くんがそう思っていないとしても、私は嫌だ。嫌すぎる。唐沢くんはもっと私を大事に扱うべきだ。
私の抗議を聞いた唐沢くんは起き上がって、私を見下ろしながら苦笑する。

「大切にしてるつもりだけどね」
「どの辺がだよ?」

そのまま文句を続けようとした唇を、唐沢くんは人差し指一本で止めた。軽く触れる程度だったのに、続きは言えなくなった。

「じゃあ、やめようか。……なまえは乱暴にされてもいいようだから」

そう、唐沢くんが静かに言ったから。


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