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邪推は拗れて仇となる

肩口に顔を埋めれば、みょうじの匂いがする。腕を背中に回して抱きしめても、みょうじは怒らないどころか、身動き一つしなかった。
欲しいものを手に入れるには、リスクを冒してでも嘘を吐くべきだった。そんな後悔が湧くくらいには、みょうじが好きだったのだから仕方ない。

「いや……何で唐沢くんが落ち込むんだよ。今フラれたの私だろ」

あまりに黙っていたからか、みょうじがいつもの調子に軽口を叩こうとしていた。結局失敗して、空元気な声になっていたが。
みょうじが頑張っているのに、自分だけ自分の失態に落ち込んでいるわけにもいかないので、顔を上げてみょうじの方を見る。薄暗い中でも、みょうじの目に映る僅かな光で、俺の方を向いていることが分かる。
確かに付き合えないと言ったことに変わりはないけど、それでみょうじをフったつもりはなかった。

「嘘つけ!」

俺の弁明にみょうじはすぐさま吠えた。そして、みょうじは少しだけ身を固くして、軽蔑した声を俺に向けてきた。

「まさか遊び…?」
「違う」

みょうじは人のことを何だと思っているのか。
本人の自覚はないだろうが、遊ぶ相手にみょうじを選んだら間違いなく半殺しにされるだろう、というのが部内の男の総意だ。この事実も言ったら殴られる気はしている。だからこそ俺としては敵が一切いなくてよかったのだが、やはり最大の敵はみょうじ本人だった。
いい加減みょうじには俺が男であることをしっかり認識してもらわないと困ると思っていたら、急に音信不通になるし、そんなみょうじを偶然見かけたと思えば路上でキスはするし、酔った男とじゃれ合っているしで、少しもおもしろくなかった。みょうじは放っておけば一人でフラフラしているような、正確にはみょうじ自身が気に入った相手以外とはじゃれ合わない人だから、きっと周りの酔っ払いに絡まれているだけだろうことは分かった。しかしみょうじのことだ、これからも俺の知らないところで、自分の性別を忘れて好き勝手やる可能性が高い。
音信不通に関しては後で新しい携帯を見て解決したが、不用心に鍵も閉めず、玄関先で寝ているくらいだ。叩き起こして説教するくらいやってもよかったけど、そもそも俺に時間がなかったから、一旦は周りを牽制してやればいいと思って勝手にマーキングした。そうしたら夜中に家まで突撃してきた。俺が犯人だと気付いたのなら、もっと慎重に動くべきだろう?
その後は俺もしくじっているので、あまりみょうじを一方的に責めることはできないが、ちゃんと気持ちは伝えたはずなのに、またこれだ。

「みょうじのことは好きだ。それに嘘はないよ」
「お、おー……」

改めて言えば、みょうじは曖昧な返事で視線を逸らす。
これは本当にやり直しな気配がする……と頭を抱えたくなったところで、みょうじはぼそぼそと呟いた。

「改めて言われると…ちょっと照れるな……」

今までのみょうじなら絶対にありえない反応だった。むしろそんな反応、今までどこに隠してきたのか知りたいくらいだった。
思わずみょうじの頬に手を伸ばしたら、みょうじはさっきまでの控えめに照れる姿を放り投げて、いつもの女性らしさ皆無の奇声と共に、脇腹に一発手刀を入れてきた。

「触るな!」

『乙女心と秋の空』とはよく言ったものだ。
俺はみょうじが好きで、みょうじは俺のことを好きだと言っていたが、何で頬に触れただけで叩かれないといけないのか。

「みょうじは俺のこと好きなんだろう?」
「好きならキスしていいってもんじゃない!」

みょうじがそう言った次の瞬間、みょうじは靴で俺の素足を踏んだ。さすがに思いっきり何度も踏みつけられたら、素足なんだから痛いに決まっている。
その隙を突いて、みょうじは勝手に家の中に上がろうとするから、慌てて手を伸ばしたがうまくかわされてしまった。足は痛むが、ラグビーの試合中にぶつかり合う痛みに比べればマシだ、とすぐにみょうじを追って捕まえる。幸い、何やら部屋中を見回していたところだったようだ。
みょうじの名前を呼べば、ぎこちなく俺の方を向いて、乾いた声で笑う。

「いやー、ごめん。痛かった?」

半笑いのみょうじからは全然誠意が感じられなくて、それを追求すれば、すぐさま不機嫌な表情に変わった。

「だって唐沢くんが悪いし」

みょうじの言い分は、付き合ってもいないのにベタベタ触るな、というものだった。みょうじらしいと言えばみょうじらしい。
しかし今更「付き合おうか」なんて言えば、恐らくみょうじは余計な勘繰りを始めるだろう。それで答えに辿りつけなければいいのだが、恐ろしく真っ直ぐに突撃してくるのがみょうじだ。一瞬にして足元を掬われるだろう。今も部屋に侵入して、何かを探すように部屋中を見回していた。最初に部屋に入れるのを渋ったせいかもしれないが、やはり油断ならない。ならば、何としてでもみょうじを納得させるしかない。邪推を始めないように。
みょうじの肩を押して風呂場の方へ案内すると、みょうじは嫌そうな顔で俺を見上げたが、俺が「訊きたいことがあるんだろう?」と訊ねれば、嬉しそうに両手を出してきた。大人しくシャワーを浴びてくれるようだ。差し出された両手の上にきれいなバスタオルと、適当に着替えられる服を渡すと、脱衣所のドアを閉めた。


時間稼ぎにはこれで十分だろう。



脱衣所から出てきたみょうじは、何やら尊大な雰囲気を出そうとしていたが、俺が貸した服がみょうじには大きかったからか、服に着られている状態で、全然格好がついていなかった。思わず笑うと、みょうじはつかつか寄ってきて、手のひらで俺の肩を叩く。
……全くみょうじはこの状況が分かっていない。
俺を叩いたその手を掴んで引き寄せれば、みょうじはバランスを崩して俺の方に倒れた。温かい背中に腕を回すと、近付いてきたみょうじの髪から普段自分が使っているシャンプーと同じ匂いがする。

「ねえ、なまえ」
「うわああ!名前を!呼ぶな!」

顔を寄せすぎたせいか、耳元で理不尽に怒られて少し耳が痛んだが、夜だからか、そこまで声量は出さないでくれたようだ。

「俺は付き合ってもいいと思ってるけど、大学卒業したら別れることになるかもしれない」

最初からこう言っていればよかったことを言えば、みょうじ……いや、なまえは不審そうに俺を見る。

「仕事の都合かな」
「えっ!もう内定決まったのか!」
「まあね」

一切嘘はついていない。大学を卒業した後、なまえと別れるとして、その時になまえにあまり寂しい思いをさせたくないというのも間違いではない。

「別れることが前提でもいいのなら、付き合ってもいいけど」

なまえは渋い顔で唸る。それも当然だろう。自分でもかなり酷なことを言っている自覚はある。
けど、なまえの返答は質問の斜め上を行っていた。

「分かった!政略結婚か!」

違うけど、違うと言うとそれはそれで面倒だ。
なまえはそれで納得したのか「唐沢くんも大変だな…」なんて勝手に同情してくれた後、今度は酷く焦ったように、俺の腕から抜け出そうと暴れ出した。

「どうした?」
「いや、だって、政略結婚するなら、私といたらまずくない?」

否定しなかった俺が悪いが、勝手に勘違いを始めたのが少しおもしろくて、このまま放っておくことに決めた。

「別に?俺はなまえが好きだからね」
「やーめーろー!」

一人で悶絶し始めたなまえを改めて抱きしめて、耳元で「俺と付き合う?」と言ってみれば、なまえは「嫌だ!」と今にも泣きそうな顔で怒る。無理矢理言わせたようなところはあったが、欲しかった答えは得られた。
なまえから手を離して立ち上がると、なまえは警戒したように部屋の隅に逃げていく。

「そこで寝るのかい?」

俺がベッドに腰掛けて手招きすると、なまえはぶんぶんと首を左右に振った。

「貞操の危機を感じるので嫌です!」
「何を今更」

そういう危機感は人の家に来る前に持ってもらいたい。

「今までなまえに何かしたことあったかい?」

我ながら悲しい質問に、なまえはあっさり納得して寄ってきたから、余計に悲しくなったが自分で言ったのだから仕方ない。
こちらに背を向けてはいるものの、隣に収まったなまえの髪を指先ですく。コンディショナーでも置いておいてあげれば、もう少し指触りはよかっただろう。

「唐沢くん…」

静かな部屋の中でも聞き逃しそうになるくらい小さな声で名前を呼んできたなまえに返事をする。

「好きだよ」

今にも消え入りそうな声のいじらしさを「かわいい」と言ったら、なまえは怒るのだろうか?


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