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愛しい人を想う人

ショーケースの中に主力商品であるチョコレート菓子が並んでいるうちの店は、このフロアの中でも特に人の往来が激しい。普段から女性のお客様が多い、いわゆるデパ地下の店舗だけれど、このバレンタイン商戦の時期は、男性のお客様は敬遠してしまうのか、ほぼ女性のお客様と言っても差し支えない程だ。だから、今目の前でショーケースを覗き込んでいるこの男性は目立っていた。けれど、ただ『男性だから』という理由でもなかった。現に向かいの焼き菓子を専門に扱っているお店のショーケースの前には男性がいるし、もう少し広く見渡せばちらほらと見受けられるが、他の男性は多くの人から一瞥されたりはしない。
それは彼が、先日行われた会見に出ていた一人…確かボーダーの忍田…さん、だからだ。未だに週刊紙やワイドショーで話題になっているくらいだから、一度は彼を見たことがある人は多いだろう。
そんなちらちらと人の視線を受けている彼は、周りの視線なんて気にも留めず、真剣に商品を見つめている。よく小さな子供がべったりとショーケースに貼り付いて覗き込んでいることはあるけれど、彼は何をそんなに熱心に見つめているのだろうか、と疑問が脳裏を過る。

「かわいいな…」

雑多な音の中から確かに聞こえてきた男性の声。今ショーケースの前にいる男性は彼しかいないので、彼の声で間違いないだろう。俯いて口元までは見えなかったけれど、眉が下がっているように見えた。
常時販売している商品はどちらかと言えば洗練された上品なパッケージのものが多いので、かわいいとはちょっと違う。かわいらしい商品もあることにはあるけれど、少なくとも彼の視線の先にあるのはバレンタインを意識した商品しかないので、完全にバレンタイン向けの商品のことを言っているとしか思えない。
一応逆チョコという文化もないわけではないけれど、あまり浸透している感じはなくて、逆チョコと思しき商品を買っていかれる男性は大体シックなデザインのものを選んでいかれる。物によっては通常のラッピングも出来るけれど、最初からバレンタイン仕様の物もあるので、もし逆チョコを買うつもりならば…と一声かけてみると、彼は顔を上げて少し照れくさそうに微笑んだ。

「チョコを贈ろうと思ったが、どれもかわいらしくて決めかねてしまって……もしおすすめがあれば教えてもらえませんか?」

渡すお相手がどんな方か分からないので、若い方がよく買われる商品からお年を召した方が好まれる商品まで数点紹介すれば、彼は最初に紹介した紹介を気にしていたので、恐らくは同僚や部下、もしくは恋人辺りだろうか。
お相手の好みが分かれば他にも候補があるので、こちらから質問するとお相手の好みを教えてくれたので、それを参考にプレゼントのお相手の好きそうな味のもの、今の売れ筋や期間限定等紹介する。
彼はしばらく悩んだ後、バレンタイン限定ではあるものの、洗練されたデザインのチョコレートを選んでくれた。

「メッセージカードはお付けになりますか?」

包装のデザインと一緒に訊ねると、彼の表情が一瞬表情が固まったので、分かりやすくサンプルの一覧を見せる。
この時期だけしか使えないバレンタイン用や、誕生日用、親しい人へのお礼用等のテンプレートなカードもあれば、自分で書くスペースがあるものまである。彼は一通り目を通したあと、困ったように笑って肩をすくめた。

「チョコを贈るのは大変だな…」

ある程度商品を決めるまでに会話をしたので、このラインなら大丈夫だろうと、逆チョコですか?と少し踏み込んでみると、彼は会見の映像で見た時からは全く想像もできない程の柔らかい笑みを浮かべた。

「本当はホワイトデーに返すべきなんでしょうけど、ホワイトデーまで待てそうになかったんです」

女性は毎年これを経験するんですね、と目を伏せ笑う。
彼の言うような、一ヶ月もそわそわするような女性は多分そんなに多くない。恋に夢を見るような女の子か、それともお返しを期待する人か。でも、もしかしたら、彼のように男性の方がそわそわしているのかもしれない。
この人かわいいな…って思ったら、私もつられるように笑ってしまった。大の大人に使う言葉ではないのだろうけれど。
メッセージカードはなくても大丈夫であることをお伝えすれば、どちらがいいのか分からないからと任されたので、バレンタイン用の中でも一番落ち着いたデザインのものをおすすめさせてもらった。これは仕事のお得意様に持って行かれるらしい男性もよく選ばれているので、恐らく彼も贈る方に変に受け取られることはないだろう。
会計を進めている間に他の人に頼んだ梱包が終わった商品が手元に来て、商品を手に顔を上げると、彼があまりに顔をほころばせていたから、彼女さんですか?と、後々思えばかなり失礼な質問を思わず口にしていた。
彼は私に気を悪くすることもなく、どこか楽しそうに訂正すると、私から紙袋を受け取って帰って行った。
人込みに紛れていく背中を視線で追えば、やはりすれ違う人がそわそわとするのが見える。ボーダーの忍田さんは未知の世界と戦う、私たちには想像もできない日々を送っている凄い人だけれど。

「未来の奥さん、かな」

そう笑った彼の笑みは、どこにでもいるような、愛しい人を想う男性そのものだった。


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