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下戸の様子がおかしい1

夏休みもそろそろ終わるということは、就職活動を考えなければいけない時期が迫ってるということでもあるわけで、しかも就職氷河期なんて呼ばれる時代だ。考える前からめんどくさい。
ゼミでの会話もそういうものが増えてきた。めんどくさい。
院に行くという手もあるけど、別にそこまで思い入れがあるわけでもないし、卒業で手に入る資格もやっぱり受け入れ口の狭いものだ。
ちょっと前までは「酒蔵に嫁ぎたい!」とか言ってたけど、現実問題として迫ってくると何だかな…。一瞬脳裏に唐沢くんが過ったのは気のせいだ。
手の内に収まるコーヒーカップには、この間唐沢くんの家にまたもや何故かあったから貰ってきた日本酒。コーヒーカップに日本酒とかどうなんだって感じだけど、味はすっきりしていて、びっくりする程おいしい。
丁度飲み干した時、時刻にしては夜遅く、時計の単身がてっぺんを回った頃、インターホンが鳴った。
こんな時間に来る人なんてろくな奴じゃないし、知り合いなら連絡があってもおかしくない。一人で騒いだわけでもないから、近隣住民でもないはすだ。
ほっとくか?
そう思ったのが伝わったのか、次はドアを叩く音がした。さすがにドアを叩かれると近所迷惑なので、さっさとお引き取り願うために、チェーンをかけたままそろりとドアを開ける。

「どちら様ー?」
「…泊めて」

今にも倒れそうな弱ったよく知ってる声に、一度ドアを閉めてチェーンを外してから、もう一度ドアを開けると、案の定ぐったりとした唐沢くんがそこにいた。

「酒飲んだ?」
「飲まされた…。終電がない…」

足元のおぼつかない唐沢くんに肩を貸そうにも、狭い家だから横には並べないので、両手を取って、ゆっくりと家の中に案内する。
薄暗い外の廊下では分からなかったけど、唐沢くんの格好は私服でも、ジャージでもなく、黒いスーツだった。
スーツの平均的な値段は分からないけど、そこら辺で買うよりいいやつそうな気がする格好そのままに、人のベッドに寝転がるから、慌てて上体を起こさせる。

「上着ぐらい脱ぎなよ」
「んー…」

分かってたけど虚ろな反応しかない…。
仕方ないから、勝手にボタン外して、どうにかジャケットの袖から腕を引き抜き、慣れないネクタイをほどく。それが完了したら、もういいだろうと言わんばかりにまた倒れた。
…何だろう。この間久しぶりにこんな唐沢くん見たかと思ったら、またこれだ。

「みょうじ…」

弱々しい声に「水か?」と問えば、否定の返事が返ってくる。

「隣に…いてほしい…」
「いるよ。何かあれば言ってくれー」
「違う…」

つらそうに閉じていた目を開いた唐沢くんは、小さいながらもはっきりと言った。

「一緒に、寝て、ほしい」

ちょ、ちょっと待て酔っ払い!この間だってそうやって、人を引きずりこんで起きながら、朝何事もなかったように起きてなかった?むしろ「昨日のことは覚えてない」とか言ってたよな?何でまた同じ事になるわけ?…いや、まあ、嫌かと言われたら…そこまで嫌ではない、かもしれないけど、前回は不慮の事故だということにしても、これは、えっと、違う、よ、な?…なんて、頭の中でたくさんの言葉が飛び交って、最終的に口から出たのは「は?」の一言だけ。
それに対して唐沢くんは何も言わなかったけど、何と言うか、唐沢くんにはそぐわない言葉ではあるんだけど、私にすがるような目をしていた。

「まあ、寝ようと思ってたとこだから………いいよ…?」

ちょっと声が震えてたかもしれないけど、それを唐沢くんがどう思ったのかは知りたくなくて、背を向けて部屋の電気を消しに行った。
いつも寝てるベッドだから、暗くて見えなくても場所は分かるのに、ベッドに近づくのにこんなに躊躇する事になるとは思わなかった。
もう一杯くらい余計に酒飲んでおけばよかったかもしれない。むしろウォッカを一瓶くらい空けたら、簡単に上れたかもしれない。
嫌に耳につくベッドの軋む音を意識の外に追いやりながら、唐沢くんの隣に、まずは腰を下ろす。
いいよとは言ったものの…こういう時って、どこ向いたらいいんだ?
さすがにこれを唐沢くん本人に訊くわけにはいかないし、かといって自分でも答えが出ない。いつも通り天井を向けばいいのかもしれないけど、多分居たたまれないし、唐沢くんの方を向いて寝るのは…自分からっていうのはちょっと無理だし、うつ伏せは苦しいから、消去法で背を向けて寝るか。
座ったまま身体をベッドに倒して、足もベッドに上げる。これなら、薄暗いけど見えているのは自分の部屋だけだし、変に意識しなくても大丈夫だろう。うん、我ながら名案だ。
掛布団は今は1枚しかないので唐沢くんに譲るつもりでいたら、唐沢くんが背後でもぞもぞと動いて、雑ではあるけど布団を微妙にかけてくれたので、あとは自分でうまく調整して収まった。

「ありがとう…」

唐沢くんの疲弊しきった声が髪の毛を揺らす。
酒で弱る唐沢くんは今まで何度だって見てきた。この間もぐったりして様子がおかしかったけど、今日のは明らかに何かが違う。

「…何かあった?」

唐沢くんは何も言わない代わりに、片腕で覆い被さるように私の腹に手を回すと、自分の方に引き寄せる様にその手を強く引いた。

「ぐぇっ」

場所が場所だったから、圧迫感に我ながら酷い声が出る。
唐沢くんもちょっとやりすぎたとでも思ったのか、それ以上引くことはなかったけど、向こうから寄ってきたので、結局間は詰まった。

「あー…え、と…近く、ない、ですか?」
「みょうじがいれば…きっと…」

その続きはいくら待っても聞こえてこなくて、唐沢くんが答えたくなくて黙ったのか、それとも眠ったのかは判断がつかない。
ただ一つ分かるのは、大人しく唐沢くんの方向いて寝ればよかったってことだ。大体にして人の手がお腹にある状況なんてそうそうあるもんじゃないし、唐沢くんの寝息が後頭部の髪をくすぐるし、唐沢くんがもぞりと動けば手の位置や足の位置が変わって、何ていうか…よくない。すごくよくない。心臓に悪いし、落ち着かなくてぞわぞわする。
本当は唐沢くんの様子のおかしさの方が遥かに重要だった。就職活動がまだ始まっていない時期に黒のスーツを着て、スーツのまま酒を飲んで、明日も授業と練習があるだろうに終電逃して、こうして傍に寄れば居酒屋特有の混ざったような臭いとは違う煙の臭いを纏って。その違和感には、具体的には言えなくても気付いていたのに、この時の私は全然頭が回っていなかった。

翌朝…は起きられなくて昼前に起きた時、確かに昨晩人の部屋に転がり込んできたはずの唐沢くんは、書置き一つ、メールの一つも残さずに、静かにいなくなっていた。


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