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君に期待すること

私が、営業部長が一人でほとんどの資金を集めているというとんでもない営業部に、一応ダメ元で希望は出していたけど、本当に配属されたのは、営業部に希望を出していた女子の中で唯一車の免許を持っていたからで、今日も営業部長の唐沢さんに同行を頼まれて行動を共にした。

「お疲れ様です」

右隣に座る唐沢さんに一声かければ、唐沢さんは少しの疲れも見せずにニコリと笑って、シートベルトを外す。

「みょうじさんもお疲れ様」
「いえ、大したことはしていませんから」

私もシートベルトを外して、左のドアを開け、車の外に出た。
唐沢さんが車移動の時は大体一緒に外回りをする…と言えば、隊員時代の仲間も、営業部の先輩も、私が運転手として唐沢さん専属のドライバーをやっているんだと感心されたりする。
確かに「見た目は運転できなさそう」っていつも言われるけど…。

「あの、いつも思っているんですけど…」
「ん?」

さっきと変わらない笑みの唐沢さんに、私はどうしても訊ねないといけないことがある。
私は今日一日車の左側から乗り降りした。でもこれは営業部所有の車で、一営業部の車が左ハンドルなわけがない。右の座席の前にハンドルは付いている。そんな右のドアから降りた唐沢さんの手には車の鍵がちゃっかり収まっている。

「私…いります…?」

交渉とかは全部唐沢さんがやっていて、私も別に運転手でも何でもないし、ただ助手席に座ってついて回っているだけ。
それなら運転すればいい話なんだど、確かに免許は取っているし、無事故無違反で初回の免許更新も済ませているけど、実は最後に運転したのは教習所の卒業検定という、免許取得した時からのペーパードライバー。皆の言う通り、見た目通り運転できないのだ!…全く自慢にならないけど。

「車の運転も、取引も、全部唐沢さんがやっているじゃないですか…。私いなくても変わらないですよね…?」
「そんなことはないさ。みょうじさんがいれば、どこまででも走れる気がしているよ」
「そ、そういうのはいいです!」

唐沢さんお得意のリップサービスに顔の前で思いっきり手を振ってお断りする。
私に営業かけても大した金額は出せないから、人を惑わすようなことを言うのはやめてほしい。

「それは失礼。でも君がいてくれて助かるのは本当だ。…教えたくはなかったけど、君を気に入っている先方もいるからね」

私を、気に入っている?
そんな稀有な人がいるのかと、口をあんぐり開けていたら、唐沢さんは小さく笑って目を細めた。

「君がかわいいから」
「もー!やめてくださいってば!」
「こればかりは本当だ。…三十過ぎた男の私が資金提供を頼むより、若くてかわいい女の子が頼んだ方が出してくれる人もいるんだよ」

思えば、唐沢さんと回る訪問先のお偉いさんはみんな男の人だった…。
唐沢さんから期待されてるとかじゃなくて、ただの若さを買われてただけなんて、聞かなければよかった事情にがっくり肩を落とす。

「でも、やっぱり、もう少しお役に立ちたいです」

深いため息を吐いたら、唐沢さんが手の中に握り込んでいた鍵を見せるように指先に挟んだ。

「だったら運転するかい?」

鍵なんてどれも似たり寄ったりなのに、運転するかと訊ねられただけで、それがとてつもなく怖いものに思えた。
でも、少しでも唐沢さんの負担が減らせるのなら…一応本当に免許は持ってるんだから、私が運転できたら…。

「………私、ペーパードライバーですよ?」
「始めは誰だってうまくは乗れないさ」
「どこか車こするかもしれませんし」
「その時は修理すればいい。何なら壊れるまで君の練習に使ってもいいよ。車の一台くらい簡単に用意できる」
「じ、事故起こして死ぬかもしれませんよ?」
「事故は自分が起こさなくても、巻き込まれることだってある。私が運転していても死ぬときは死ぬさ」

私の恐怖心の悪あがきに、唐沢さんは間髪入れずに返していく。
ついには「でも…」とは言ったものの、新しく言い訳が思いつかなくて、言葉に詰まってしまった。それも唐沢さんはすかさず打ち返してくる。

「でも、免許は取れたんだろう?」
「…取れましたけど」
「じゃあ大丈夫」

唐沢さんは私のそばまで来ると、私の手を取って鍵を乗せ、それから私の背中を励ますように軽く押した。

「時間はあるし、少し駐車場の中を走ってみようか」
「………はい」

受け取った鍵を痛いくらいに握って、覚悟を決めて運転席に乗り込む。
助手席に乗り込んだ唐沢さんが、大分記憶の怪しい私に、ゆっくりと手順を確認してくれるから、少しだけ落ち着いてエンジンをかけられたと思う。
久しぶりに握り込んだハンドルが、自分の意思に逆らって動きそうな不安すらあるけど、それも唐沢さんの優しい声が呑み込んでいく。
ブレーキペダルを踏み込んで、サイドブレーキを下げる。長い深呼吸のあと、唐沢さんの合図を受けて、足をブレーキペダルから外して、ゆっくりとアクセルペダルを踏んだ…つもりだった。
軽くのはずが思ったよりも勢いよく踏んでいたようで、ガクンと揺れて動き出す車に、二人分の短い悲鳴が車内に響く。慌ててアクセルから足を離して、また勢いよくブレーキを踏んだので、もう一度ガツンと揺れた。
エンジンだけが唸る車内で、唐沢さんはドアの上の取っ手をがっしり掴んで黙って前を向いている。

「………唐沢さん、今ひやっとしたでしょう?」
「はは…は…」
「もー!」

唐沢さんの曖昧な笑い声に、私はハンドルに額をつけて大きくため息を吐いた。
それから、仮免前の教習所内を運転していた時みたいに、のろのろと駐車場の中をぐるりと回って、さっきとは違う停めやすいところに車を停める。シフトレバーをパーキングに入れ、サイドブレーキを引いて、ようやく一息つけた。

「怖かった…」

心底疲れきった声が出たけど、ボーダー専用の広い駐車場で、車はあんまりなかったけど、ほんの2分くらいかもしれないけど、怖かったんだから仕方ない。
さっき苦笑いしていた唐沢さんは、もういつもの調子に戻っている。

「お疲れ様」
「本当ですよ…。やっぱり駄目ですね、私」
「久しぶりだから仕方ないさ。何度も運転していれば、その内乗れるようになるよ」
「なれますかね…」

根拠のない自信に、当事者であるはずの私が疑う。
唐沢さんは口元に手を当てて、しばらく考え込んだ後、「次の休みは暇かな?」と、全然関係ないことを訊いてきた。
スケジュールを見なくても、次の休みは何も予定が入ってないことは分かっているので、首を縦に振って肯定する。

「じゃあ一緒にドライブにでも行こうか」
「ドライブ…ですか?」
「広くて交通少ない田舎道に心当たりがあるんだ。そこで練習するのがいいかと思ってね。行き帰りは俺が運転するから、ドライブ。どうかな?」
「嫌じゃないですけど、…本当に付き合ってくれるんですか?」

貴重な営業部長の休日を、運転できなくなった私の練習に使うなんて、自分の情けなさもあるけど、それよりもその優しさがちょっとだけ嬉しくて、恐る恐る念押しする。

「もちろん。これから休みの度に一緒に練習かな」
「ご迷惑をおかけします…」

唐沢さんの方を向いて、深々頭を下げたら、唐沢さんは私の肩を軽く叩いた。

「迷惑じゃないさ。休みの度になまえさんとデート出来るんだと思うと、俺は楽しみで仕方ないよ」

さっきまでの流れに一切出てこなかった、この場にそぐわない単語に、反射的に顔を上げれば、唐沢さんは本当に本当に楽しそうな顔。

「早く運転できるようにならないと、練習の帰りに、そのままどこかに連れ去ってしまうかもしれない」
「…え、と、…冗談、ですよ、ね?」

唐沢さんはすぐに「冗談だよ」と笑いながら言ったけど、気のせいかな、私には唐沢さんの目が全然笑ってないように見えた。


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