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雪が埋める夜1

部屋に忍び込むようにひんやりとした冷気が流れてきて、その元であるカーテンをめくれば、こっちでは珍しい牡丹雪。これは早くにも積もり出すだろうと予想した。
今からこんなに降るのであれば、恐らく明日は休講だろうし、元から籠城するつもりで食料を買い込んでいるので、このまま明日一日雪に閉ざされても問題はない。もし問題が残っているとすれば、こんな日でも酒を飲みに行ったどこかの酒豪くらいである。しかし酒乱ではない…はずなので、きちんと帰れるだろう、とは思ったものの、かなりの降雪量なので一応心配して電話をかけた。

「もしもし、みょうじ?」

ちゃんと帰った?と続けようとした言葉を止めた。
離れたところから何やら罵声が聴こえる。その声の主は、間違いなくその携帯の持ち主であるみょうじのもの。
不穏な空気しか感じない向こうの雰囲気に、携帯はそのままに、慌てて上着を掴んで玄関に向かった。

「…唐沢くんか」

丁度家を出たところで、酷く機嫌の悪いみょうじの声が耳に届いて、携帯をしっかり持ち直して「何があった?」と訊ねる。

「助けて…」

その弱々しい言葉は最悪の事態を予測させた。
が、相手はみょうじである。

「なんて言うかよ。全員シメたら帰るわ」

恐らく周りにいた人間に対する挑発。
ぶつんと切れた電話を合図に、みょうじが行った先輩の家を目指して走り出した。
道は薄く積もり始めていたが、まだ人の往来が多いのだろう、歩道は氷混じりの水溜まりが出来、気にすることもなく踏み出した足がその冷水を吸い込む。頭の上には、雪が乗っては身体から熱を奪いながら溶けていく。しかしそれさえも感じない。

この原因が誰にあるかと言えば、ほぼみょうじである。大雪の予報の中酒のために出かけたこともあるが、先日の自分の行いを大して気に留めなかったことがこの状況だ。
秘密裏に情報を集めたのはこれが初めてだったが、当の本人に纏わり付かれたまま気付かれずに探るというのはとにかく骨が折れたので、人を使って情報を集めた。それから制裁を加える方法を交換条件で得た。万全を期して、しかし貪欲に情報を求め続けながら、挑んだ酒の席で、まさか最後の最後にみょうじが全部壊していくとは考えもしなかった。
理屈なんてない不条理な方法はその女のプライドを確かに砕いたが、恨みも買いすぎた。本人も気にしてはいたようだが、直接来ないことは想定していなかったのだろう。そういうのは本来みょうじの方が分かりそうな気がするのだが、どうやら、分かってはいたが、みょうじは女心が分かってないらしい。
それにしたって、危機的状況で喧嘩を売らなくてもいいだろ…。
走りながら口から出ていく白い息がさながら溜め息のように消えていく。
大人しく囚われのヒロインをやるという選択肢を吐き捨てたみょうじのことだ。想定し得る最悪の事態は性的暴行よりもリンチの方だ。間に合ったところで乱闘に巻き込まれるのは可能な限り避けたいが、先日みょうじに奪われた身としては、そういうヒーロー的役目は譲ってほしいとも思わなくもないので、場合によっては仕方ない。
辿り着いた目的のドアの前、一瞬で覚悟を決めて、その扉を開け放った。

「みょうじ!」

どうしてもみょうじなまえという人間は、人の想定の斜め上をいかないと気が済まないらしい。

「ふはははは!」

転がった男の上に立ち、容赦なく顔面を踏みにじりながら、高笑いして片手の一升瓶を煽る姿はもう誰が被害者か見当も付かない。

「おー?唐沢くんじゃないかー。来なくていーって言ったのにー」

頬にまで殴られた痕を作る満身創痍のみょうじよりも、床に転がる男2人に見覚えのある女の方が明らかに重症である。一体何をすればここまでの惨状になるのか全く想像出来なかった。

「殺してないよな…?」

思わず震えた声にみょうじは固まった。その手の酒瓶が鈍器にしか見えないのだから仕方ない。

「いやっ…えっ…?これ死ぬの?私死んでるの?私兄貴に殺されてたの?」

みょうじが訳が分からないことを言い始めたので、今にも酔いそうな程に濃いアルコールの臭いの中、一度深呼吸してから様子を見る。

「…死んでねーよ」

床に転がってた男の一人…この部屋の主である先輩が呻くように呟いた。顔面からいろんな液体を出して、庇うように股間に手を当てている。なるほど、何があったのか分かりたくなかった。

「悪魔だ…」
「あぁん?動けるんすか、せんぱぁい?」

どすんと酒瓶を足下の男の腹に落とし、獲物を狙う猛獣のように静かに寄ってきたみょうじを力ずくで止めると、みょうじはどこでそんな技を覚えてきたのか、華麗にヘッドロックをかけてきた。

「酔っ…てる…のか?」
「酔ってねーよ!」

ギリギリ絞まる首に本気で落としにかかってきているのは明白で、これがみょうじの出来上がった姿だと思うと、技かけられているのも相まって気が遠くなりそうだった。
首に回る腕を無理矢理引き剥がそうと試みる。

「帰ろ…いいから、帰ろ…」
「こいつらに息の根止めるまで帰らねー!」

その前にこの技食らい続けていたら、その内俺の息の根が本当に止まる。
もう何でもいいからこの状況を脱したくて、特に何か案が浮かんだわけでもないが、咄嗟に声をあげた。

「俺が、何とか、するっ!」
「じゃー帰るー」

異様な馬鹿力を発揮していた腕が、ひらりといつもの調子に戻る。
これ以上続けられていたら本当に落ちていただろうから助かった。

「かーらさあくんちにかーえろー」

鼻唄交じりに帰る準備を始めたみょうじはひとまず放っておいて、床に涙で水溜まりを作っている先輩に、死んではいないがさっきのように技かけて落としたであろう確か部活の後輩と、先日までずっと付き纏われた女を見て、どうしたものかと、思わず溜め息を吐いていた。


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