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朝焼けのエピローグ3

なまえちゃんは俺にとっては頼りになるお姉さんのようで、いつか頼ってもらえる日が来るのを目標にしていた大切な人でもあった。
なまえちゃんが就職して引っ越ししたのは悲しかったけど、三門市に来てもう一度再会出来た時は本当に嬉しかった。でも一足先に社会人になったなまえちゃんは前よりもずっと大人になっていて、また先に行かれてしまった。
だからなまえちゃんに「私の誕生日は祝わなくていいよ」と言われたとき、大人になったなまえちゃんに自分の存在は重荷になったんじゃないかとか、それともなまえちゃんはいつも側にいてくれていたけど、本当はずっと嫌われていたんじゃないかとか、いろんなことを考えた。
なまえちゃんから一緒にどこかに行こうと言われたときは嫌われたわけじゃなかったんだと分かって嬉しかったけど、それをデートだと思ったのは俺だけなのだと思うと、つらかった。
軽やかに俺の手を取って引っ張っていくなまえちゃんは昔から変わらないお姉さんポジションのなまえちゃんで、それにかこつけて手を繋ぐのは気が引けた。もし手を握り返したら、なまえちゃんの中での俺はこの先もずっと弟で止まるような気がした。
なまえちゃんは、携帯撮った大きな口を開けるカバの写真を見せてくれたり、クジャクが羽を広げるのを期待して近くにいた女の子と仲良くクジャクの前に貼り付いていたり、お昼ご飯を決めるのに目移りしてなかなか決められなくて悩んでいたり、ただ広いだけだと思っていた池に仕込まれていた噴水が水を吹き上げたのに興奮してずっと眺めていたりと、子供のようにきらきらと目を輝かせていたけど、時折悲しそうな顔をした。
別になまえちゃんの表情が分かりやすいわけじゃなくて、ずっとなまえちゃんの側で見ていたから、それを覚えていただけだ。
悲しい顔を指摘した後のなまえちゃんは少しだけ声が震えていて、顔を上げてなまえちゃんを見れば、その顔は酷くつらそうで、強烈に嫌な予感がした。そんな顔のなまえちゃんを今まで一度も見たことがなかった。

「鋼くんに、言わないといけないことがあるの」

その続きが俺にとって聞きたくない言葉だというのは嫌でも分かった。けれど今なまえちゃんに手を伸ばしたら、逃げられてしまいそうな緊張感もあった。しかしその緊張はなまえちゃんが先に走り出して崩れる。
なまえちゃんの進行方向に黒いポールがあることになまえちゃん自身が気付いていなかったから、慌てて手を伸ばしたら、思いの外強く引きすぎて、なまえちゃんがもたれかかるようにして胸に収まった。
……駄目だった。
きっと今別れたら二度と会えない予感がして。ずっと弟のようにかわいがってくれはしたけど、一人の男としては見てくれなかった人が、ようやく抱き締められる距離にいて。これが最後ならもう嫌われてもいいかもしれない、と思った。
なまえちゃんが俺の名前を呼ぶ声に我に返る。腕の中に閉じ込めたなまえちゃんは思ったより小さくて、手放したくないなんて思ってしまう程愛しくて、だからなまえちゃんの別れの言葉は聞きたくなかった。

「…その先は、聞きたくない」

思ったよりも震える自分の声を隠したくて、なまえちゃんの肩に顔をうめる。
離してほしいと言われても離したくなかった。もう少し、もう少しだけと、強く抱き締めれば、なまえちゃんは嫌がって身をよじる。
今までどう思われていたかなんてもう聞きたくない。嫌われてるって分かってても、やっぱり聞きたくない。
そして、無意識になまえちゃんの肩にキスをしていた。

「あっ…」

慌ててなまえちゃんから離れるけど、じわりと視界が歪んで、もうなまえちゃんの顔が分からない。
例え嫌われていても、なまえちゃんが好きだ。とっても、大好きだ。
それを自分で再確認するようなことをしてしまった。それも自覚なしに。
だから、もう、どうしようもなくて、俺はなまえちゃんから逃げた。



逃げる先はどこでもよかったけど、なまえちゃんが追えない場所ならボーダー本部しか思い付かなくて、鈴鳴第一の隊室はランク戦以外ではほとんど使わないから、そこに逃げ込むことにした。

「こんな時間に珍しいな、鋼。………って、何泣いてんだ」

本部の廊下を歩いていたら、後ろから強く背中を叩かれ、思わず振り返って、荒船に顔を見られた。
歩いている間に収まったはずの涙がまた溢れてくる。

「あー……何だ。鋼、この後暇か?」

荒船の質問に小さく頷いて、その後をついていった。



荒船は今夜は荒船隊での防衛任務で、オペレーターの負担は大きくなるけど、混成チームってことで、と俺をチームに入れてくれた。
荒船隊は狙撃手のチームで、防衛任務中の荒船はイーグレットか弧月かはその都度決めているからと、今日はイーグレットを担いだ。
他の二人も既に別の場所を陣取りに行って、目視では確認できない。

「で、どうした。何があった。…あ、コラ、泣くな!」

うっかり溢れかけた涙に、荒船が怒る。
いくら今はトリオン兵の気配がないからと言って、ここで泣いて不意をつかれるのはまずい。
うっ、と息を飲んで我慢してから、この間から今日までの一連の出来事を順番に話した。その間荒船はただ相槌だけ打ってくれて、時折現れたトリオン兵は、穂刈と半崎の狙撃に倒される。
一通り話終わった後、荒船は怪訝そうな顔で俺に訊ねた。

「なあ、お前、その『なまえちゃん』にはちゃんと自分の思ってること伝えたのか?」
「それは……」

伝えられたかと言うと、全然伝えられてない。むしろ伝えた後の言葉を聞くのが怖かった。
言葉を濁してしまったことで、状況を察した荒船は吠えた。

「それが一番まずいだろーが。フラれるなら潔くフラれてこい!慰めきれねーよ!」

ガツンとイーグレットで叩かれる。

「痛いよ、荒船」
「トリオン体が何言ってんだ。とにかく、もう一度話をしてこい。本当に好きなら諦めてんじゃねぇ」

フラれてこいとか、諦めるなとか、あんまりアドバイスらしいアドバイスではないけど、荒船の気持ちは嬉しかった。
タイミングのいいところで、ゲートが開くと報告を受けたので、場所が確認できるまでの僅かな時間、荒船にちゃんとしたアドバイスを求めてみたら、荒船は眉間にしわを寄せた。

「あ?そりゃ、ヒロインのピンチを命がけで救って、大爆発から奇跡的に脱出して、最後に抱擁からのキスで完璧だろ」
「……洋画じゃないんだけど」
「いいから行ってこい!」

場所とトリオン兵の数の報告と同時に、荒船は俺の背中を思いっきり蹴って、ビルから俺を落とし、荒船自身もイーグレットから弧月に持ち替えて飛び降りてきた。

「高いとこから飛び降りて、そこからの戦闘。そうきたら、あとは感動的なラストしかねーだろ?」

そう笑う荒船はやっぱりかっこよくて、そうだったらいいな、と少しだけ楽観的に思えた。



夜明け前に次のチームと交代して本部を出る。こんな時間に、明日…もう大分前に今日に変わったけど、朝から仕事のはずだから、こんな時間に家に向かっても寝てるだけだと思いつつも、弓手町方面に向かう。
携帯を見ればなまえちゃんからの着信やメールがたくさん来てて苦しくなるけど、そこはぐっと我慢してメールを打とうと作成画面を開いたところで、画面が急に変わった。
着信画面に表示されているのは、なまえちゃんの名前だった。

「鋼くんの馬鹿!何でもっと早く電話出てくれないの!」

受話口に耳を当てた途端、なまえちゃんの怒った声が聞こえてきた。

「ずっと起きてたの?」
「眠れなかったの!今どこにいるの!」

捲し立ててくるなまえちゃんに、なまえちゃんの家に向かおうとしていたと告げれば、なまえちゃんの声の後ろからばたばたと物音が聞こえてきた。

「さっきのところで待ってて!」
「今から来なくても、俺が行くから」
「住所知らないでしょ!」

さっきなまえちゃんと別れたところに向かうと、早朝と呼ぶにはまだ暗い街の中、なまえちゃんは塀に背中を預けて待っていた。
さすがに大きな声は出せないから、近くに寄ろうと足を速めたら、俺に気付いたなまえちゃんが猪突猛進で飛び込んできた。

「鋼くんの馬鹿!」

俺の胸に顔を押し当てたなまえちゃんは、ぎゅーっと痛いくらいに俺を抱き締めてくる。
俺もなまえちゃんの背中に手を回そうとして、さっき嫌がるなまえちゃんを抱き締めてしまったのを思い出し、変なところで止まる。
しばらくそのままでいたら、なまえちゃんはふてくされたような顔で俺を見上げてきた。

「鋼くん…ここは抱き締め返すやつだよ」
「……いいの?」
「嫌なら抱きつかないよ」

そう言ってもう一度なまえちゃんは俺の胸に顔を埋めたから、今度こそなまえちゃんを抱き締め返す。なまえちゃんは嫌がるどころか、また少し腕の力を強めたから、俺もなまえちゃんの髪にすり寄った。
一度目はあんなに苦しかったのに、今は自然と安心出来る。

「なまえちゃんに聞いてほしいことがあるんだけど、いい?」
「うん」

小さく頷くなまえちゃんに、意を決して囁いた。

「俺、なまえちゃんが好きだよ。一人の女の子として、ずっと、好きだった」
「うん…」
「なまえちゃんは…俺のこと嫌い?」

顔の見えないなまえちゃんの様子を窺うために少し顔を離す。なまえちゃんは頭しか見えなかったけど、代わりに背中に回った手がぎゅうっと服を掴んだ。

「嫌いじゃない。嫌いになるわけない!私だって、鋼くんが好き!」
「……本当?」

なまえちゃんが顔を上げると、暗くてもはっきり分かるくらいに顔頬を染まっていて、そんななまえちゃんが可愛くて口元が弛む。
そんな俺を見て、なまえちゃんは唇を尖らせた。

「鋼くんこそ、私のこと好きだなんて勘違いじゃないの?」
「勘違いじゃない」

そう言って、なまえちゃんの額に唇を寄せる。

「なまえちゃんだけだ」

なまえちゃんの顔を覗くと、ぼろぼろと大粒の涙を流し始めたから、本当は嫌だったのかな、と胸が痛む。

「もしかして嫌だった…?」
「ううん…幸せだなあって…」

くしゃくしゃの顔で微笑むなまえちゃんの涙を指で拭うと、なまえちゃんは小さな笑い声をあげた。
それからなまえちゃんは俺から離れると、力強く俺の手を握った。

「うち行こ?ここにいても仕方ないし、安心したら眠たくなってきちゃったよ」
「仕事早い?」
「いつも通りだから…2時間くらいしか眠れない」
「…ごめん」
「鋼くんが添い寝してくれたら、よく眠れるかもなー」

いたずらっぽく笑うなまえちゃんの手を初めて強く握り返して、なまえちゃんの隣に並ぶ。

「頑張って寝かしつける」
「うん、よろしくね」

俺の手を引くように歩くなまえちゃんは、前を向いたまま俺への返事の意味を変える。

「これからも」

なまえちゃんの横顔はちょっと照れくさそうな笑顔で、俺の頬も緩む。

「もちろん」

二人で並んで見上げた夜明けの空は、荒船の冗談が本当になったような、映画のワンシーンでも不思議じゃないくらいに綺麗な、清々しい朝焼けだった。


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