珍しく仕事中らしいあの人に置き手紙一つ残して、さよならを告げる。しばらくのあいだ旅に出ます。命短し、旅せよ乙女。なんちゃって。本当は旅という名の失踪。帰ってくるつもりはなかった。
朝も通り過ぎてそろそろいい頃合いだと思っていたのに、外は思ったよりも冷えていた。念のために押し入れから引っ張り出しておいたマフラーを緩く巻き、万事屋に背を向ける。階段を降りきったところでお登勢さんが『あの野郎まァた逃げやがって…』とぼやくのを聞いた。あ、仕事じゃないのね。お登勢さんから逃げているなら好都合。家の前で鉢合わせなんて、私の最悪のお別れですもの。
旅先に目星はなかった。実家という実家はないし、親戚と呼びたい親戚もいない。昔の友はみんな結婚してしまってお邪魔するのは憚られるし、それなら旅とは呼べない。宛てもなくぶらぶら、もいいだろうか。今まで働いてきた分の貯金は手元にあるわけだし。
ふと、寂しげな風の微かな音に足を止めた。秋へと近づいているようすに気付かされる。頬や指先を滑る風は随分と冷たい。もうそろそろ冬へと向かって紅葉が始まるのかもしれない。そうしたら銀ちゃんとおしるこでも飲んで暖まりたいなあ、なんて考えたら急に寂しくなった。私って馬鹿だなあ。自嘲してまた一歩歩き出しながら、マフラーを締め直す。その手を捕まれた。振り返る。


「どうして」


思わず零れた言葉は銀ちゃんの胸に吸い込まれた。走ってきたのか耳元で荒い呼吸が聞こえる。後頭部を押さえ込まれている今の状態では表情は見えないけれど、肺が上下するのがはっきりと目に入った。切れぎれに、ババァがこっちに向かって歩くの見たって。
ううん、そうじゃなくて、どうして?


「おま、旅って、そうだ京都へ行こう!じゃねぇんだから」
「あ、京都もいいねぇ」
「は?…行き先決めてねぇのかよ。だったら何で、」
「…これ以上一緒に居たら、離れるのが怖くなるもの」


銀ちゃんは優しいし強いけれど、いつか死んじゃう。私は優しくも強くもないけれど、多分、女だから銀ちゃんより長生きする。それにいつか、こんなくだらない女捨てて、銀ちゃんは綺麗なお姉さんと結ばれる時がくるかもしれない。
地球が回って四季を巡ってそのいつかが来た時、きっと私は堪えられない。銀ちゃんの居ない世界なんて冷たい風が吹かない、紅葉のない秋と同じくらいつまらないもの。それくらい、全てなんだよ。


「私はね、銀ちゃん」


あなたが大好きで、誰かに引き離されるのが嫌で、でも面と向かってお別れもできなくて、こんなかたちで逃げ出しためんどうくさい女です。でも、やっぱりあなたが居ないのには堪えられないみたいです。どうしたらいいんだろう。
いつの間にか泣き出していた。泣いているということに気付いて、困らせてしまうと気付きながら、嗚咽は止めようがなかった。呆れたように、それでも優しく、名前を呼ばれた。


「銀さんがお前残して死ぬ訳ねぇだろ?っつーかなんだよ、綺麗なお姉さんと結ばれるって」


思ってる以上に銀さんは一途ですーと拗ねたように言われて、慌ててそうじゃなくて、銀ちゃんが一途じゃないって意味じゃなくて、と伝えようとしてもがくと銀ちゃんが小さく笑ったような気がした。


「お前のことだから旅とか行ってどうせ帰ってくるつもりなかったんだろ?ってことは住んでたマンションも解約済み」
「う…」
「だから今日から万事屋がお前ん家な」
「悪いよ、野宿するから大丈夫」
「こんな寒いのにさせれるか!ここまで銀さんに探させたんだから言うこと聞きなさい」


今まで一人で歩いて来た道を二人で戻る。気恥ずかしいやら、嬉しいやら。
一人なら少し冷たい風が吹いただけでも堪えられないのに、今じゃちっとも寒くない。隣の銀ちゃんをそっと見上げると、マフラー一つしていないんだから、改めて頼もしく感じた。
私ってなんでこんなに我が儘なのに隣に居てくれるんだろう、なんてきりがないからもう止めた。シンプルに、思ったままに。あぁそうだ、


「ねぇ、銀ちゃん。おしるこ飲んで帰ろうよ」






巡るさまに提出
『肌寒い風』ということで書かせていただきました。長くなった挙げ句ぐだぐだで申し訳ありません!参加させていただきありがとうございました

(20100921)




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