わたしがこわいと思うこと



「どんな人かなぁ」

飛行機の椅子の上で呟いたら、ルカがこっちを向いた。


事故にあった私の手術にはとても沢山のお金が必要だったみたいで、でも、どこかの誰かがそのお金をくれたんだって。ルカがそう言ってた。どこの誰なんだろう。どんな人なんだろう。ひょっとしてすごく素敵な、昔マンマが読んでくれた王子様とお姫様の絵本。その、王子様みたいな人だったらどうしようってどきどきした。

だってその人は、お金だけじゃなく、いつもいつもお手紙もくれた。お手紙の中にある言葉は、ちょっと難しい言葉の時もあるけれど、多分私がわかるように書いてくれてるのだと思うくらい、優しいお手紙だった。周りの皆みたいに、頑張れとか、手術を受けなさいとか。そういうことは一つも言わない。今日見た景色は素晴らしかったとか、今日見た美術館の絵は素晴らしかったとか。いつもそんなお手紙。

そしていつも最後に、いつか君にも見せたい。そう書かれてお手紙は終わるの。

素敵だと思わない?だって、手術を受けろと言われているわけじゃないのに、受けようかなって。そういう気になったんだもの。他の誰でもない。このお手紙のお陰なんだもの。

「王子様みたいな人かなぁ」
「はは、残念。おじさんだよ?」
「おじさん…?」
「そう。足長おじさんみたいな感じかな」

おじさんかぁ。ルカに言われて、王子様って言う夢は崩れちゃったけど。きっと、すごく背が高くて、優しそうで、パーパのような。あぁ、それだったら、王子様じゃなくたっていいなって。そう思ったの。

「私ね、おじさんに会えたら、まず十回ありがとうっていうの」
「そんなにかい?」
「うん!それからね、毎日一回ずつ言うの」
「毎日?」
「うん!電話でね、今日も一日お疲れ様でした、おやすみなさい、ありがとうっ
ていうの」
「それはいい夢が見れそうだね」
「そうでしょう?」



病院でそんな話をしてた。本当はちょっと不安だったの。あの後、お見舞いに来てくれたおじさんの声を聞いた。王子様じゃなかったけど優しい声だった。
でも、そんなおじさんの元へ行くことが恐かった。ようやく目の包帯を外すのだ
。だったら、最初に見るのはおじさんのサッカーがいい。そう思ってお願いしたんだけど、ちょっとこわい。
私がこわいと思うことは、一つだけ。

「おじさん…会ってくれるかな」
「ん?」
「会いに行って迷惑だったりとか…ないかな」

ルカはなんにも言わないで、ただ頭を撫でてくれた。どういうことなのかちっとも分からなかったけど、それでも飛行機は到着した。ここにいるんだと思うと、降りてすぐに顔にぶつかってきた風も気持ちよく感じる。

ルカに手を引かれながら、車を使っておじさんのいる場所へ向かう。
車が止まって、車から降りると、耳がきーんってなるほど、人の声が聞こえた。

「この歓声の渦中にいるのが、おじさんだ」
「かちゅう?」
「皆、おじさんに歓声を送っているっていうことだよ」

ルカに手を引かれて、どんどん進んでいく。人の声はどんどん大きくなる。


「…外すよ?」

沢山の人の声に混ざって、ルカの声が聞こえた。「うん」と返事をすると、目のあたりにぐるぐるとまいてある包帯がしゅるしゅると解かれて行く。目を開けていないのに、瞼を通してやってくる光が少し痛かった。でも、それもちょっとの間。少し慣れてきたので、ゆっくり目を開ける。

人の声と光が一気に入ってくる感じがして、思わず走っていけば、こんなに沢山の人がいるの。このどこかにおじさんがいるんだ。でも、このにぎやかな中では声を聞き分けられない。

まだ目が不慣れだからって、後から来たヒデとルカに手を引いてもらって席についた。少し前かがみに一生懸命見渡すんだけど、どの人かわからない。ピーって笛の音が鳴ったところで、ヒデがおじさんのところに行こうかって。ようやく会えるんだ。ようやくお礼が言えるんだって。そう思うと、すごくどきどきして。
先にヒデが歩いて行ってしまったから、ルカと一緒に選手の人たちがいるところに歩いていけば、ヒデが誰かと話しているのが見えた。

思わず見えるようになったばかりの目が釘付けになる。きっとそう。

ルカがいっておいでって。背中を押してくれた。ゆっくり歩いていく。芝生が緑色だ。空が真っ青だ。飛んでいく鳥が真っ白だ。音だけじゃない、色も形もしっかり見える。白いスーツと長い金色の髪を見上げる。
「…おじさん?」

ゆっくり振り返ったのは、とんがったサングラスの男の人。

「…ルシェ…」
「その声…やっぱりおじさんだ」

思わず嬉しくて嬉しくて。じっとおじさんを見てしまう。おじさんに穴が開いちゃうかもしれない。低くて。ちょっぴり恐い感じに聞こえるおじさんの声だ。おじさんの姿だ。

「…見えるのか?」
「うん!おじさんのお陰で、私の目、見えるようになったんだよ」
「そうか…良かったな」

おじさんの言葉は少なかったけど、私は、おじさんと目を見てお話が出来るのが何より嬉しかった。言おう。会ったら、絶対おじさんに言いたかった事を言おう。少しだけおじさんに近づいた。

「おじさん、ありがとう」

もう一歩。そう思ったところで、目の前におじさんの手の平が見えた。来るなってことなのかな。と思って足を止めた。

「ルシェ…私は君に感謝されるような人間ではない」
「そんなことないよ!おじさんは私に手術を受けさせてくれた…手紙で、励ましてくれたもの」

おじさんは少し黙ってしまった。何か間違った事を言ったのかと思ったけど、それよりも伝えたい言葉があるから、一生懸命お話しようと思って、ちょっと首が痛いけど一生懸命おじさんの顔を見た。

「おじさん、ありがとう…私、サッカー勉強する!」

おじさんは、ちょっと恐い顔かもしれない。恐い声かもしれない。
でもねおじさん。私、おじさんとしたい事が沢山あるんだよ?

「おじさんともっといっぱい話したいから」

気持ちが伝わるようにいっぱいの笑顔にした。だって、おじさんが手紙で言ったんだよ?


「君は世界が見たいかもしれないが、私は君の笑顔が見たい」


おじさん、おじさん。
私、ちゃんと笑えるようになったんだよ。


ルカに手を引かれて手を振りながら、お客さんの席に戻っても、もう私の目には、おじさんと。おじさんのサッカーしか映らなかった。目が治ったら治ったで、これでは大変かもしれないってルカに言ったら、ルカはいつも丸い目をもっとまん丸にして。それから、歯を見せて笑っていた。


もう一個ね、本当はおじさんに言いたい事があったの。
でもこれは、もっともっと仲良くなってから言うことにするね?


「おじさん…私、おじさんが大好き…」


椅子に座って、私は小さく予行練習をした。皆の大きな声に埋もれて、誰にも聞こえていない。今度、おじさんにだけこっそり言うの。

おじさんの目が真ん丸くなるのが楽しみだな。

わたしがこわいと思うことは、今度は、おじさんの目が丸くならなかったらどうしようっていうことになってしまった。



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