ぽろん、ぽろんと隣から聞こえてくる弾んだ音。本当に微かなもので、音の主が和樹なのかどうかもわからない。ただ、凌徳にときどき話題を振り、笑みをのせるその表情はとても柔らかかった。
「今日の演劇、面白かったですね。見ていて感動しましたよ。珠緒さんは、いつも主役をしているんですか」
「少し前から。女形…ですけど」
「それでも主役ですよ。すごいと思う。練習量も多いんですか」
「別に。普通です」
たまたま誘われたとあの場所にいた理由を語った彼は、そのまま先ほどの演劇の話題を続けた。隣人の和樹から質問を投げかけられ、短い単語で凌徳が答えていく。
好きなものの話だったが、あまり親しくない相手と続けるつもりはない凌徳は、単純に声音で示した。イチカや劇団員も含め多くの人が、それにだんだんと言葉が途切れがちになって最後には気まずい沈黙を落とす。ある意味、狙い通りの展開だが、その沈黙も好きではない。人と触れ合いたくない凌徳の、苦渋の選択だった。隣人も、一通り話したあとにひとつ零した。
「話したくないなら、はっきり拒否しても構いませんよ」
少しの沈黙。隣を歩く彼を見れば、にっこりと微笑み返してくる。かすかに聞こえてくる「音」は、緩やかなテンポの落ち着いた低音。柔らかく聞こえてくるそれは、和樹の機嫌がいいことを教えてくれる。
凌徳は理解できなかった。これほどはっきりと厚意を無碍にするような、自分のあまりよくない機嫌をぶつけるような行動をしているのに、彼は目を細めて低い声に淡い色を添えている。
「マゾヒスト…なのか」
「そう見えます?」
「や、そこは、はっきり否定しろよ」
独り言のつもりで零した言葉を拾われ、つい普段の口調で返してしまう。慌てて口を押えても後の祭りだ。気を許してるつもりはなかったのに。
「はは、別にいいのに」
「こっちが気にする…です」
間をおいて付け足された敬語の崩れたものに、隣人が小さく喉を鳴らす。くすくすと続く笑い声に、耳が熱くなっていく。
「…ッ、もうそんなに笑わないでください!」
ごめん、と涙交じりの声で彼はごく自然に凌徳の頭を撫でた。