※前の話の続き
※閲覧注意
飛んできた数えきれぬ量の針が私に刺さる。滲み出た血は先程叩き割ったいくつも転がる使い魔達の死骸を赤く濡らした。激しい痛みであるが動けないこともなく、刺さった針を無理矢理抜き取り何本かは投げ捨て余ったのを一体の使い魔にまとめて刺しておく。生前に集めていたらしい蜜が使い魔から湯水のように溢れてくる。もう動くことのない死骸が反動で手足を伸ばした。
私に開いた穴はみるみるうちに塞がり、血も止まる。致命傷であったが現在足首にある私のソウルジェムを割る程の威力ではなかったようだ。良い攻撃だったが甘い。垂れていた鼻血を拭って自分の武器を手に取り強く握りしめる。
蜂によく似た魔女の腹でスイカ割りを果たした後、グリーフシードを手にした私の帰り道はそれはもう大変ご機嫌なものであった。
ここ数日魔女に遭遇することが多く、連日の魔女戦を耐え抜いてきたというのに若い魔女だったのかどれもこれもグリーフシードを孕んでおらず溜め込んでいたグリーフシードも底をつき今後のことに悩んでいて安眠できなかったのだ。人を呪い、喘ぐ魔女に対抗するにあたって希望が持てないのは非常に苦しい戦いになる。早速自分のソウルジェムを浄化しながら私は鼻歌を歌う。安心は出来ないが私の心は少し明るくなった。濁って死ぬにはまだ早い。
ゆっくり歩いていくうちにいつもどおり家の近くにある踏切に差し掛かる。
私が家に戻るには必ず通らなくてはならないこの踏切はかつて私の両親が死んだ場所である。近づく電車にたまたま反応出来ず上がりっぱなしになっていた遮断機に何も疑うことなく両親の車は突っ込み無慈悲にも遮断機は遅れて閉まり閉じ込められた両親は予定通りやってきた電車に車共々はね飛ばされた。この事故は当時幼女でもあった私が一人残された影響もあって無惨な事故として新聞やテレビを彩り、私の元にも他人の塊が毎日訪れた。間桐さんともその騒動がきっかけで出会ったし、踏切の会社が私に頭を下げにきたのもよく覚えている。あんなにたくさんカメラを向けられたのに今では写真の一枚も残っていなくていつのまにやら安全に修正された踏切はなに食わぬ顔で今日も仕事をしていて人々も平気な顔してそれを渡っていく。喪失は風化して無に戻っていく。
もうこの踏切を見て不愉快な気持ちになるのは地球上でただひとり、私だけである。
いらんことを考えている内に電車が通過して遮断機が上がる。その先に見慣れた姿を見つけた。暗色に白いラインの入ったパーカー。愛しの間桐さんである。
間桐さんがここにいるのはとても珍しい。仲良くなってからというもの間桐さんは幼女であった私に仕事のためとはいえ事故についてあれやこれや聞いたのを気にしているらしくこの踏切について言及することも必要以上に眺めることもなかった。そんな彼がぼんやりと遮断機の前で立ち尽くしているのである。迎えにきてくれたとかだったら嬉しいが。
「間桐さん」
赤く燃える太陽とそれを喉に通そうとする夕暮れがせめぎ合い混ざって下にいる間桐さんを黒い影で塗り潰している。ただならぬ不穏な空気を感じて、グリーフシードをポケットにしまい急いで踏切を渡って間桐さんに声をかけた。私の足が彼の影を踏む。なんとか両足で立っているように見える間桐さんが俯いていた顔をのろのろとあげた。
「……夢じゃなかったよ、名前ちゃん」
夢じゃない。吐き出されたその言葉に胸のなかが凍りつく。生気のない瞳がおぼろげに私を映している。
息を飲んで、誠意を込めて彼を見上げた。
「……思い出したの?」
「ああ」
はぐらかす気なんてさらさらなかった。間桐さんは真実に身を浸す必要がある。いつまでも私と一緒にいてくれるわけがない。いずれ起きる出来事だったのだ。それが予測していたのと少し遅れてきただけで。
いつかと同じく濁った目はまた宙をさ迷う。
「魔術回路がなくなって、用済みになった。一年かけて体内に取り込んだ虫共がある日一斉に消えて食い潰されて死ぬはずだった俺の身体は全て再生した」
間桐さんのかさついた掌が瞬きと同じ動作を繰り返す。
「召喚したサーヴァントを失い、令呪もなくなって、あの家にも戻れなくて、今の俺には桜ちゃんも葵さんも救えない。それでも君はそうやって。俺に構うのか?」
手が止まる。息を吸う。
「俺は俺の全てをかけてあの戦争に臨んだのに!全部台無しだ!!初めて俺が命をかけてもいいと思えた戦いを俺が、俺自身で潰してしまった!あの時俺以外の誰が葵さんを、桜ちゃんを救えた!?それなのに俺は」
「間桐さん!!」
裂くように叫ぶ間桐さんの肩を私は掴んだ。
震えて息を切らす彼の何かに怯えきった顔がこちらを向く。
「違う。間桐さんのせいじゃないの、それは私が願ったの。私が間桐さんに生きてって望んだの。だから、自分を責めないで。私を」
私だけを責めて。恨んで。ひとつひとつを言い聞かすようにはっきり口に出していく私を間桐さんは始め理解出来ないものを目の当たりにしたように無表情で眺めていたが、夕日が傾くのを追ううちに吸収出来たのか最終的に口角を上げて笑った。
「は、ははは」
真っ赤な空に好きな人の笑い声が響く。空っぽになった瓶を叩いて鳴らすような単調な音は私をつつき、目を閉じさせる。間桐さんはそうだ、そうだなと言って一度身体を揺らした。
「……許さない」
丸い円に濃いオレンジの光がさす。嘆く声は憎しみを取り込んで私をなじる。
「俺はお前を絶対許さないぞ、名前。お前みたいな何の苦労も知らないような小娘がよくも俺にそんな呪いをかけて俺の人生をめちゃくちゃにしてくれたな」
親への恐怖なんてなくて。自由に生きて。大切なものなんて特になくて。金銭の負担もなく。貧しい生活も経験したことのない。普通のお前に。俺の何が、幸せの何がわかるというのか。だいたいそういった意味の言葉が彼から流れ出してふたつの目が限界まで見開き燃える夕日が全身に火をつける。
「殺してやる。俺がお前の人生をお前がやったようにめちゃくちゃにしてやる。葵さんを桜ちゃんを壊したお前を!!」
背負う決意は確かに固めていたが好きな人から殺してやると罵られ平気でいられる程成長していなかった私は顔を伏せた。
目に張った水が睫毛を滑って落下しようとするのを指で拭う。泣いている暇はない。
「間桐、さん」
「その名字で俺を呼ぶな!!」
一本、また一本と針が刺さる。
生身の私に針を放ったのは魔女ではなく人間であったので刺さった針は抜けずそのまま私は耐えるしかないのである。痛みをやり過ごし、ポケットに入っているソウルジェムを強く握り締めれば私を罵倒していた間桐さんの声がやんだ。見れば彼は頭を抱えて膝を折っている。
壊れかけていた男にまた皹が入る音がした。
「幸せになるはずだったのに、俺も。葵さんも」
私の足元でうずくまる男から嗚咽が漏れだす。
「落伍者じゃないのに。虫けらでもなかったのに。やっと対等になれたって。やっと俺はあいつと正々堂々戦えたのに。葵さんを取り返せたはずなのに。どうして。どうして名前ちゃん」
絶望に満ちた顔をあげる間桐さんの頬を大きな水玉が通る。落ちる涙は血と同じ色をして地面を濡らした。
「殺してくれ」
乾いた唇も、震える手も、力の抜けた頬の無力感も私にはもう拭えない。
「誰か、俺を殺して。嫌だ。あの吸血鬼に怯えて生きるのはもう嫌だ。嫌だ」
「間桐さん」
嘆く男の前に私もソウルジェムを握るのをやめて割れた破片をかき集めるように、彼を思いっきり抱き締める。
「駄目。生きて。お願いだから」
エゴなのかそれとも本当にそれが間桐さんの幸せであるのかもうわからないまま私は必死になって生きてと願った。
「……離せよ」
背後で遮断機が下がる。
「汚い魔術師が俺に触るな」
間桐さんは魔術師を嫌悪している。私はそれも知っている。赤い警報が上下に移動しながら点滅する。斜めに刺さった警標が彼に突き飛ばされて固まる私を見下ろしている。
その間に遮断機を乗り越えて間桐さんが線路内に入った。
「間桐さん!!」
気づいた私が叫んでももう手遅れで、間桐さんは何も言わない。何も言わないで伸びる線路の先を見ている。警報器が悲鳴をあげ続けている。
「待って!駄目!!」
間桐さんが両親になってしまう。万程の肉片となって帰ってきた両親の残像が瞼に蘇る。私の両手を繋いでいてくれた二人が。桃色の破片が小さな白い箱のなかで。迫る電車を目で捉えながら一歩も動けない私に、黄色と黒が連列する生命線の向こうで噂の元凶が叫んだ。
「名前、早くしないと君の好きな人が!」
好きな人が。死んでしまう。両親と同じになる。だから私が守らないと。私が救わないと。願ったのだから。今ここで彼を救えるのは私しかいないから。私は恨まれてもいい。嫌われてもいい。だから。好きだから。
わかっている。
遮断機を飛び越える。間桐さんの前に立つ。ソウルジェムが光り、私は魔法少女に変身する。具現化した斧を巨大化させて振りかざし迫り来る一本の電車を躊躇なく凪ぎ払った。鉄の塊はふたつに分割され、塗装された扉を剥ぎ取り窓を破り乗客全ての肉体を裂いて吹き飛ぶ阿鼻叫喚が安全だったはずの踏切を引き千切る。
息を切らし、上から下まで真っ赤になった世界にはもう間桐さんしかおらず、ただ一人選んだ男に私は振り向く。他人の塊を犠牲にして助けた男は怪我ひとつなく私をぼんやりと見つめていた。そして私に対する憤りに駆り立てられた男はパーカーのポケットからカメラを出して構える。空間を切り裂く小さな光が私と凄惨な事故現場を秒ごとに撮影する。私が変身を解いてもなおそのシャッター音は鳴り響いていて、私は自分の手のなかにあるソウルジェムを手放した。濁りきった私の願いは鉄の線に叩きつけられ転がる。
「……間桐さん」
いつから私はこんなに駄目になったのだろう。
へし折れた警標が倒れる。願いの重みで歪む頬の上で誰かの血と私の涙が混ざる。
「ごめんね。私、あなたのこと何にも知らなかったんだね」
何にも知らない癖に何でも分かったと思い込んで。幸せにしたい、生きて欲しいなんて。よくそんなことを願えたものだ。恥を知れ。私。
レンズじゃなくて間桐さんが私を見る頃、ほどけた青いリボンは一陣の風に飛ばされて赤橙の空を舞った。