「まあそれなりに私も好きですよ」

レンが某木の下で名前に愛の告白をした際、名前は表情ひとつ変えることなく上の台詞を返答した。
それなりとはどの程度なのか。悩む彼を放置してやれ葉っぱがうざいだの虫がいるだの文句を並べながら寮に戻っていく彼女の背中にレンは確信した。
彼女は俺にそこまで感心がない。


とはいってもレンのパートナーとして堅実に、そして確実に、浮気性で物事に熱心になれない彼の首に上手に輪をつけて卒業オーディションまで引っ張った素晴らしき女性である。担任の指名でレンのパートナーと決まった途端にありとあらゆる女性から反感を買ったがそれら全てをレンの力を借りず己の手で屈服させ、挙げ句の果てには配下にまでおさめておりさすがのレンも口をぽかんと開けて、クラスメイトに肩を揉まれつつ静かに課題をしているパートナーを見守っていた。
すこぶる強い女性であり、そこにレンは惹かれた。今まで女性といえば頭が弱い生き物だと固定していた価値観にドロップキックされ見事それは崩壊した。


そして悲しい告白から数ヵ月経った頃、名前はキッチンに立っていた。
無論レンの自室に備え付けられているキッチンである。卒業オーディション後、シャイニング事務所に勤務することになった彼等は事務所の計らいで事務所が管理しているマンションに住むことになり、こうしてたまに何だかんだで一緒にいる名前もレンの元にやってくるようになった。
ただ名前がキッチンに立つなど初めて見る光景であり、不覚にもレンは感動する。正直わざわざコンビニまで歩いて朝食を買ってきた自分の腹部を殴りつけたい。


動揺は一切顔に出さず、レンはゆっくり彼女の背中に近づいて後ろからそっと腰に手を回した。
先程シャワーを浴びたばかりなのか名前の髪は少し濡れておりそこからほのかに自分も愛用しているシャンプーの匂いがする。
レンにとって別に今更喜ばしいことでもないが彼女相手となると無性に愛しいと思った。


「・・・おかえり」


ようやくこちらを見た名前にレンは微笑んだ。


「うん、ただいま」

「引っ付くのはいいけどそこから余計なことしたら即鍋にぶちこんでぐつぐつ煮るから」

「良い出汁が出るよ」

「しかも飲んだ瞬間に凄まじい女たらしになるデメリットが」

「ははは」


軽口を交わしつつ彼女の手元を窺う。小さな鍋の中で細かく切り分けられた豆腐がぷかぷかと浮いている。レンはさらにぎゅっと名前を抱き締めた。彼女の太ももに少し激突したのか、コンビニの袋内に入っている飲料水を名前は睨む。


「コンビニ」

「ああ」


腕を腰から離し、レンは軽く袋をあげた。


「朝食を買いに行ったんだけど」


彼がひっそりとベッドから出た時に、名前は珍しくすやすやと眠っていたのでまさか起きるとも思わず気を使ったのだが、


「必要なかったね」


苦笑するレンに名前はますます目を鋭くした。


「一言言ってよ」


てっきり仕事命な人類だと思っていた。
ぶつくさ言いながら卵を割っている彼女の頭に手をのせたら軽く蹴られる。レンはくつくつと笑いながらキッチンから離れた。果報は寝て待てと誰かも言っている。


「はい召し上がれ」

「うん」


暫くニュースを見ながら大人しく椅子に座っていたレンの前に典型的な日本の朝食が並べられる。
何から食べるか迷ったが、とりあえず一番初めに目についた味噌汁に手をつけた。


「・・・美味しい」

「それは良かった」


向かい側に座っている彼女はもぐもぐと卵焼きを頬張っている。
穏やかな時間が食卓に流れ、淡い光がカーテンの上で波打つ。


「そういや」


名前はレンをいつもの冷ややかな目で見つめた。


「昨晩は燃え上がりましたね」

「・・・・・・。」


慣れている。慣れているはずなのだがあんまりにもデリカシーのない発言にレンは固まった。そもそも常識を逸脱して真面目な、むしろダイヤモンド並みに堅物である彼女がこんなことを微妙に丁寧な口調で言うとは、レンは悩む、明日は天地が逆転するかもしれない。


「珍しく私からぶっちゅーってしてやりましたが」


落ち着くべく味噌汁を飲むレンに名前は笑った。


「あれ毒入りですよ」

「・・・は?」

「毒ってわかります?付着したり、体内に取り込んだらゆっくり時間をかけて内部からじわじわと人間を殺すやつです、ああでもご心配なく」


名前は楽しそうに両手を合わせた。


「24時間以内なら、その味噌汁が解毒してくれます」


そしてそのまま瞳をきらきらと瞬かせた。


「ただ」


その瞳は宇宙に散りばめられた星のようであり、


「もしもあなたがたった数分の間に誰かにキッスのひとつやふたつやらかしてたら」


また見方を変えれば夏の陽射しの下でアゲハチョウの羽をちぎる幼児のような目でもあり、


「その人の安否は保障致しません」


レンは恐怖した。
何よりも名前が笑うのは、彼女を貶める人類が彼女の足元に跪く時とレンに何か良いことがあった時のみである。
暴露すればレンはコンビニに行った際に彼のファンに名前との事で詰め寄られ嘘をつくべく名前を盛大に罵倒する彼女にキスをした。俺は皆のものだよと言えば彼女はほっとしたように頬を緩めていた。


まさかそこを見られていたのか?
いやしかし確かに寝ていたはずであると脳内にて否定するレンにまた名前は愉快なものでもつつくような顔をした。


「顔が青いけど、何か心当たりでも?」


爛々と燃えた瞳はきっと、レンが正直に詳細を語るのを待っているのだろう。
レンの安全は保障されている。名前は彼が思っていた以上に彼を溺愛しており、そして同じくらい彼に不利を突きつけようとする人類を憎んでいる。


レンは悩んだ、言うべきか言わないべきか。


ただ確信しているのは名前はレンを助けても他人には、特に一度彼女に牙を向いた者には巧妙に落とし穴まで誘導し落ちた後は一切手を貸さずじっとくたばるまで見下ろす人間である。


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