「名前ちゃん」
立ち止まれば大きな両手が私の頬を優しく包んだ。
手の持ち主は月宮林檎である。教室にも行かずふらふらしていたら捕まってしまった。てっきり怒られるかと思っていたので意外だ。
「顔色が悪いわ」
「まあ色々怒られてしまいまして」
「うーん」
水色の綺麗な瞳が揺れている。頬をぐにぐにとされながらも彼に心配そうな顔をされてしまっては大変申し訳ないなと思った。
月宮林檎はそのままどうしようもない子供に接するかのように弱々しく微笑む。
「貴女アイドルなのに壊滅的にコミュニケーション能力がないからね」
「無理にとは言わないけど」
「ひとりで駄目だと思ったら」
「ちゃんと助けを求めなさいね」
あと課題も、一人じゃ駄目だと思ったらすぐに作曲コースの子に頼るのよといったことを言い残し月宮林檎は手を振りながら去っていっく。
「そうしないとこの先躓くわよ?」
私は目を逸らして、ぼんやりと七海春歌のことを考えたがすぐに幻想を打ち消した。
いざトップに立ったら好き勝手出来るようにと社長にある程度の作曲の仕方は教えられている。この程度なら一人で充分だ。
私が七海春歌を苛めている。
そういう噂と、私の異常な男嫌いによる一連の事件により積極的に私と関わろうとする人類は著しく減少した。
それでも私が一人で図書館に篭りどんな曲を作ろうか模索していたら、数人が楽譜を持ってやってきた。
名字さんのことを考えて作ったんです。やっぱり名前ちゃんってミステリアスなんだけど何だかきらきらしててそういう想いを込めてみました。歌うまいよね〜作詞出来る?俺なるべく高得点取りたいんだよね〜歌ってくんない?
差し出された楽譜はどれもきらきらしてて、それが不愉快で私は首を横に振った。
「結構よ」
こんなの私じゃない。私じゃなくてもいい。誰も見てない。
というか私が見てない。七海春歌の言葉が私を責める。
ずっと断っているうちに楽譜を持ってくるやつもいなくなり、私は何日も一人で奮闘していた。きらきらしていてミステリアスで、パブリックイメージが私を追い詰めてシャーペンを止める。自分で作った曲がこれまたアイドル臭が凄まじく、作った本人が絶望してびりびりに破りごみ箱の底に押し付けた。
こんなことがしたいわけではない。
作詞もして歌わないといけないのにどれもこれもうまく行かず、私は頭をぐしゃぐしゃと掻き乱した。眠れない日々が一日、二日と続いていく。
徹夜四日目、音符ひとつ残してどこまでも続いていく五線譜に私の目が限界だと点滅し始めた。
もうちょっと頑張ってと言い聞かせている内に視界の五線譜を遮って黒猫がひょっこりと出没し翡翠色の瞳を瞬かせる。宝石よりもつやつやとしていて瑞々しいので文句を言うのも忘れて見つめていたら意識がだんだん遠退いてきた。頭がふわふわと丸い気体を吹き出し、瞼が重力に引っ張られる。
手からシャーペンが落ちるのを合図に、私は真っ黒な海に飲み込まれた。