「あれ? シズちゃん…、偶然だね」

「………手前」

 
 ぴこんぴこーん。


 能天気な電子音が鳴り響くコンビニの店内。俺は白々しく笑いかけてくる――庶民の味方であるコンビニとはひどく縁が薄そうな――ノミ蟲的人物を見つめ、片頬を引きつらせる。
 俺の手のひらから溢れ落ちた小銭を上手く受け止め、レジの店員は何食わぬ顔をして俺のその手にアメリカンスピリットの緑色のパッケージを押し付けてきた。次の客を急かすその愛想の良い声は、これでもう俺とは無関係だとアピールしている様子。
 俺は高くて小さな箱を片手に、大人しく引き下がった。

 ちらりと横目で俺の隣に立つ黒コートを軽く睨んだ後、チッと小さく舌打ちを溢して俺はくるりとそちらに背を向ける。

 再度聞こえた、微かな電子音。しかしその後に流れるようにして続く「ありがとうございました」の声がやけに清々しい声色に聞こえたのは、果たして気のせいなのだろうか。
 俺はまた舌打ちを発し、うざったい害虫ごと店を後にする。

「――そーんなあからさまに避けないでよ」

「っ」

 …と思っていたのはどうやら、俺だけだったらしい。
 よく考えればこの鬱陶しいノミ蟲がこのくらいでへこたれるはずもなく、俺と平行に歩を進めてくる。速度を緩めても、ずかずかと半ば競歩のように進んでも、臨也は離れない。遂に俺が歩みを止めれば、ぴたりとノミ蟲もその長い脚の動きを止めた。
 俺はその緋色を無表情に見据え、一言。

「うぜぇ、消えろ」

 直ぐにふいと視線を逸らして再び歩き出せば、しつこい害虫は可笑しそうな様子の声を出してまた俺の後を追ってくる。

「あれ? 何、どうしたの? これは天変地異の前触れかなあ」

「…………」

「ねえ、あっちに自販あるよ?」

「………」

 分かりやすく俺の怒りを誘う人を小馬鹿にしたような声に惑わされず、俺は依然シカトを決め込む。
 やがて近づいて来たいつかと同じ歩道橋の階段へと俺は足を掛け、そのまま上方へ。

 すると不意にすっとノミ蟲は、その声のトーンを下げた。

「…最近シズちゃん、随分キレなくなったよね」

 その言葉の意味はそのままなのか、それともその理由を見透かしてのものなのか。
 判断は付かなかったが俺は、にやりと口端をつり上げて見せる。

「はッ、――俺は穏やかな男になったんだよ」

 勝ち誇るようにしてその顔を見下ろし鼻で笑ってやれば、臨也はその顔から唐突に表情をなくして。

「…、ふーん。なーんかまるで普通の人間になったみたいで、つまんない」

 別に何を言われようが構わなかった。俺は再び前へと向き直り、その橋を渡る。臨也がその中央の辺りでぴたとその足を止めたことにも気がついたが、俺は立ち止まらなかった。


「――だけどそんなつまんないシズちゃんも面白いから…プレゼント、あげるよ」


「…ああ?」

 もうその橋を渡り終える一歩手前というところですっと遠くから響いてきたのは、謎めいた台詞。俺は思わず振り返る。
 臨也はそれ以上、口を開こうとはしなかった。ただ遠くから俺の顔を見つめ、きゅっとその唇の両端を持ち上げ、笑う。
 俺は訝しみ内心首を傾げながらもそれについて疑問の声を発することもなく、黙ってそこから下らんと地面に向かって伸びる階段に足を掛けた。



 地に足を付けて、俺は何故だかほっと息を吐く。臨也はもう追いかけてきてはいなかった。
 俺は少しの間だけ降りきったその急な階段を見上げ、しかしややあって視線を元に戻す。
 俺はゆっくりと一歩、己の足を踏み出した。



「―――静雄 」



 背後から響いてきたその声に、俺は大きく目を見開く。
 思わず、己の耳を疑った。

 それはたおやかでそれでいてしたたかな、優しい声。

 勢いよく振り返ったそこには、俺にこの胸にどうしようもなく湧き上がる温かな思いをくれた、お前が。


「――…」

 言葉を失った。俺は信じられないような思いで、風に靡くその着流しの裾に目を奪われる。しかし、次の瞬間には俺の足が…――唐突に走り出す。

「――津軽っ…!!」

 叫んで、手を伸ばして、飛び掛かるようにして抱き着いて――…気づいた。

「つがっ…、お前…――」

「ああ」

 頷いた津軽のその瞳に、俺は戸惑い思わず自分の腕をその体から離す。

「お前…その体どうした!?」

「もらった」

「はあ?」

 興奮を抑えきれぬままに言葉を紡いでいけば、津軽はその目じりを下げて小さく苦笑いを溢す。
 この表情は間違いない、津軽だ。だけど――…

「今の俺はただのデータの塊じゃあない。ちゃんと入れ物がある」

「いれ…もの」

「臨也が言うには"あんどろいど"、というものらしい」

 俺が津軽に触れられた――そこに津軽の身体があったという理由は、なんとなく察した。しかしそこに出てきたその名前は、俺の眉間に深く皺を刻ませて。

「…臨也?」

「ああ、"ねぶらしゃ"というところと共同開発をして、俺の身体を造ってくれたらしい」

「…………」

 拙い発音の津軽に思わず口元が緩んでしまいそうにはなるものの、俺は唇を真一文字に引き結ぶ。臨也の真意が解らなかった。

 だけど。

「…静雄?」

 今、俺の目の前には津軽がいる。それは、紛れもない真実。他の理由なんてどうでも良いと思った。

 俺はするり、辺りを見回す。不思議なことに俺たちの他、特に人影は見えなかった。しかし好都合。
 俺は再び津軽に向き直り、そして首を傾げたままのその腕を――ぐいと、強く引っ張った。


 …ふわ、と。

 一瞬重なったその唇には、温度がなかった。
 だけど、それでいい。津軽がそこにいてくれるなら、それで。

 綺麗な青の瞳が丸く見開かれたのが、俺にはひどく愉快だった。


 俺はその顔を見、にっと口端を持ち上げ悪戯に笑う。

「津軽に体があったらしてぇと思ってた」

 驚いた表情のまま固まっている津軽を見つめ、俺は悪びれることなくその理由を説明してみせた。
 気持ち悪がられるとか、そういった不安は全くなかった。何故なら津軽は――俺自身なのだ。

「…ならば、俺にもある」

「え?」

 ややあって紡がれた、意外な台詞。俺は目を見張る。そんな俺の目の前で、津軽はふっとその口元を緩めた。

「俺にも、俺が静雄に触れることができたのならしたかったことがあるんだ。――協力してくれるか?」

 にやり、笑った顔は確かに見慣れた俺のもののはずなのに、その表情はしかし妙に色気があって。

「…、仕方ねぇな」

 思ってもいない言葉を紡ぎ、俺は笑う。笑って俺は津軽の腕に引き寄せられるまま、その胸へと額を押し付けた。


「言いたかったことがあるんだ」

「あのとき、俺は言えなかった」

「――好きだ」


 代わり番こに言葉を繋げた。どっちがどの言葉を言ったとか、そんなことはどうでも良かった。
 ただリンクした想いが嬉しくて、俺はにっと大きく笑顔を見せる。


「――おかえり津軽」

「ああ」

「帰ろうぜ」

「ああ」


 津軽の優しい眼が、ひどく暖かかった。
 津軽の手のひらがふと、俺の頭に伸びる。くしゃりとその手は視線と同じように優しく――風に靡く俺の鬣を梳いた。




111210 fin.
蛇足
 
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