朝陽が輝く。遮光のそれの内側に潜む白の薄いカーテン越しに届く光は、ちかちかと俺の網膜を刺激するほど。しかし、日光に負けてぼうっと薄暗く光る画面から流れる声は、今夜の大雨を予報していて。何だか、妙な気分だ。

 明日の朝には収まり、晴れるところが多いでしょう――そう結んだ声を横目で確認しつつ、俺は津軽を振り返る。
 こんな眩しい日にこそ、これは宣言すべきだと考えて。


「俺、津軽みてぇになりてぇ」


「…、はあ」

 唐突な俺の言葉に津軽は僅かに首を傾け、それでも曖昧な返事を返した。

 俺は決めたのだ。津軽のような人間になろうと。何事にも動じない、器の大きな人間に。
 津軽のような男になれたら――と、そう強く望んだのだ。

「てか、なる」

「別に、そう思うことは構わないが…突然どうした」

 そう言った津軽に差し出された味噌汁を受け取りつつ、俺は口を開く。
 今朝は豚汁らしい。

「なんつうか……あれだ、津軽に憧れた」

 訳が解らない、といった様子で首を傾げる津軽は、その眉間に縦の縞を作って。

「俺は津軽みてぇな、優しい奴になりたいと思ったんだよ」

 俺が付け足すようにして口を開けば、津軽はきょとんとその目を丸くした。
 しかし直ぐにふと、その視線は僅かに下方を向いて。


「――…俺には、静雄の方が羨ましい」


 ふうっと、ため息のような声が漏らされる。

「? …この力がか?」

 目じりと眉とを下げ、微妙な表情で小さく笑った津軽を見、俺はこてりと首を傾げた。困惑に自然と俺の眉間には皺が寄る。

 そんな俺の顔を見た津軽は質問には答えず、今度は分かりやすく肩を揺らして笑った。



「あ」

 味噌汁と牛乳を手に食卓に着いた俺は、それを見つけて思わず声を上げる。

「っ津軽、これって…」

「ああ」

「よっしゃ…! 俺、これ好きだ」

 津軽は――つい先日俺が探し回って買った――割烹着を脱ぎつつ、俺の向かい側に座る。俺と津軽の間の机には、典型的な日本の朝食が並んでいて。
 その中でも俺が目を輝かせたのは、以前に俺が美味いと大絶賛したことのある――甘い甘い卵焼き。

「知っている」

 僅かにその表情を崩した津軽は、やけに優しい目をしていた。



 思えば、このときからどこかおかしかったのだ――と。
 俺が手遅れながらそう気づくのは、もう少し後のこと。



 ケータイも持った。煙草も持った。財布は今右手にあるから大丈夫だ問題ない。

「よし…」

 こきり、と。首を鳴らして気合いを入れる。今日さえ終われば、明日は休みなのだ。
 さて、そろそろ家を出るかな、と。リボンタイの確認を洗面台で済ませた俺が、外へと繋がる扉へと歩き出した。


 そのとき。


「静雄」


「ん…? ――っ、わ!?」


 ばさぁっ…、と。


 大きな音を立てて俺の視界を遮ったのは、薄くて軽い――白。
 慌てて俺がその何か布のようなものを振り払おうと藻掻きかけた瞬間、ぐいと俺を引き寄せた力があって。


「!」


「…………」


 ―――時が止まったかのような、静寂。


 俺は驚きのあまり息を詰め、ややあってそっと唇を震わせる。

「……津…軽?」

「何だ」

「いや、何だじゃなくてよ…」

 俺の頭をぐっと抱えるこの優しくも強い力は、津軽の両腕によるもの…らしい。そして、この身を包む白は、どうやらいつも俺が使っている敷き布団のシーツ。
 成る程、その体と触れ合うにはそういう手があったのか、と。俺は津軽の腕に無抵抗で抱かれながら、僅かに戸惑いつつもひどく感心していた。

 薄い布を通してもまだ目映い光に、俺は目を細める。
 初めて感じた津軽の体に、体温はなかった。しかし、確かにその体はそこあると伝わってきて。

「…別に、取り分け理由はない」

「…、そうかよ」

 そして――ばさり、と。

 それはひどく呆気なく思える程、唐突に開けた視界。その先に見えた津軽の顔は、いつも通りの無表情で。
 なんだか悔しくなった俺は、すっとその青から僅かに視線を逸らす。

「これ、洗濯しておくぞ」

「ああ…」

「今日も、いつもと同じくらいに戻ってくるんだろう?」

「? …ああ」

 ふと感じた、一抹の不安。
 理由なんて分からない。しかしいつもと同じはずの仏頂面に感じたのは、温かな安心感ではなく――…僅かな違和感。

「なら良い」

 しかし俺がそうこう考えている内に、津軽はくるりと俺に背を向けて。

「――津軽…?」

 ざわり、俺の中で何かが轟いた。あれは所謂、第六感というものだったのだろうか。

 ――…思わずすうっと、伸ばした手のひら。

 確かに俺のそれは津軽の羽織の裾に重なった――…だが、こちらを見ていなかった津軽が、それに気づくことはなかった。

 俺はぐっと奥歯に力を込め、黙ってその手を降ろす。妙に心臓の辺りが苦しかった。
 確かにそこにあるはずのその背中が――…遠い。

 津軽はするりと、上半身だけでこちらを振り返った。


「じゃあな、静雄」


 目を細めて津軽はふっと――…どこか儚げに見える表情で、笑った。

 ああ、と。俺は軽く頷く。しかし心の中では静かに、なるべく早く帰ろうと固く決心したのだった。





 しかしそんな俺の思いも虚しく、面倒な客たちの所為で俺が解放されたのは、すっかり太陽が西に沈んでしまった頃で――…。





「――……津軽…?」


 虫の知らせ、とでも言うのだろうか。
 俺はどこかで予感していたのだと思う。他でもない、それが津軽という存在だからこそ。

 本当はもっと、早く帰ってくるつもりだった。だけど夕暮れと共に降りだした大雨は、僅かにだが確かに俺の足を鈍らせて。

 きちんと畳まれた布団。
 その上に載せられた白は、新しく出されたシーツで。
 ラップをかけられ並んだ料理と伏せられた茶碗は、丁度一人分。

 俺は呆然と立ち尽くす。


 ぴちゃん…。


 どこからか響いた雨粒の音は、その静寂を一層際立たせ。


 俺は存外冷静に、誰もいないアパートの一室に一人…ただ佇んでいた。




111204
 
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