ぐしゃぐしゃ、加減することもなく、己の頭を力一杯に掻き回す。元々癖っ毛のところにそんなことをしては、直ぐさまとんだ大惨事。そんなことは簡単に予想できた。
 しかし、今のおれにはそんなことに構っていられる余裕がなくて。

「ああ゙ー!! …っとに、分かんねェー…」

 遂に叫んで身を投げ出した。だらり、おれは欄干に腹でぶら下がる。不安定な体勢。しかし、頬に当たる潮風はこの方が心地よい、気がする。

 だけど、これは下手をしたら海にどぼんだ。僅かに冷静になってみて渋々考え直したおれはゆるり、己の体を引き起こす。…いっそこのまま、海に飛び込んでしまった方が良かっただろうか。

 自分の思考回路の危うさにおれは、己のストレスの度合いを自覚する。ふとしかめた顔に気がついてしまったものだからおれは凝り固まった自分の眉間をぐりぐりと揉み解してみる、が、一向に効果は見られない。当たり前だ。何故ならこのおれが顰めっ面を止めようとしていないのだから。このままではこの深い皺は一生消えることなく刻まれ続けてしまうのではないか。そんな馬鹿馬鹿しいことを真剣に心配してみた、が、直に飽きた。全く、難しい顔をしているのも疲れる。
 悩みすぎたおれの脳味噌は最早、訳が分からない思考に陥っていた。


 波は穏やか、空は晴天。
 透き通るよう青空の下で抱えた頭。そこでおれが考えるのはしかし、昨夜直撃しかけてしまったサイクロンのことだ。

――気圧が急激に下がったことは、肌で感じた。

 おれは再び頭の中を整理しつつ、昨夜の出来事を回想する。

――だけど慌てて覗き込んだ気圧計は、確かに正常値だった。隣接する湿度計も、同じ…。

 鈍ったものだなと思いつつもおれがほっと体の力を抜いた、その何十分か後のことである。
 おれたちの船は危うく転覆しかけるくらいの大嵐、そのど真ん中にいたのだった。
 おれは当然、しこたま船長に怒られた。この天才航海士シャチさまが、全く泣かせる。いやもう、自分で自分に呆れて涙も出ない。

――器具はつい先日、点検を済ませたばっかりだった。故障ではないはずなんだけど…。

 どうしてあのような事態に陥ってしまったのか。おれはその謎を未だに解明できないでいた。

 はあと吐き出した鉛のため息は瞬間、暢気なカモメの鳴き声に掻き消された。何だか虚しい。


 そしてふと、おれは僅かに瞼を持ち上げた。
 波の音に掻き消されそうな程に小さな、しかし、確かに近づいてくる足音。そのリズムにより特定した通りの金髪がややあって、おれが横目で見た視界に映り込んできた。

 ぱちり、直ぐにこちらを捉え瞬いたその瞳は不思議そうに、落ち込んだおれの情けない姿を映す。
 それが悔しくて、だけど、どうしようもなくて。おれはふいとそちらから視線を外した。波打つ真下の海の水面に一つ、ひどく不細工な顔が揺れながら見える。

 やがて距離を詰めてきたその気配がぴたり、自分の背後に立ったことが分かった。しかし、珍しいことにその男――バンダナは、何も言ってこない。今はおれが"話し掛けるなオーラ"をありありと醸し出しているのだから、それは当然と言えば当然…なのだが。

――まさか、このままおれを海に突き落とす…なんてことはないよな?

 考えたところでぽん、己の頭に認識した、バンダナの手のひらの感触。一気に警戒を高め体を固くしたおれをしかし嘲笑うかのように、バンダナはまだ口を開かない。

「…?」

 訝しさにおれが眉を潜めた、その瞬間、バンダナの手のひらがふと―――動いた。


「………」

「………」

「………」

「……、…?」


 ぽふぽふ、ぽふぽふ。


 それは、緩やかなリズム。

 おれは思わず、目縁を丸めた。その間にも、バンダナの手のひらは軽いテンポでおれの頭をあやすように叩く。

 しかし、おれは直ぐさまはっと我に返った。
 これは一体、何だと言うのだろうか。

――…まさか、これで慰めてるつもりかよ。

 荒んだ心がくしゃり、おれの顔を醜く歪ませる。
 人の気配が、その温もりが、ひどく鬱陶しい。しかし何より、いつもは散々に人のことを馬鹿にしてくるバンダナにさえ気遣われてしまう自分自身が、大層疎ましくて仕方がなかった。


 ぽふぽふぽふ、依然続く柔らかなそのタップに、おれはぶすっと無視を決め込む。

 するとふと、バンダナの手のひらの動きが止んだ。

 …しかし。


 ぐうりぐり…。


 僅かにパワーアップしたバンダナのその手のひらは、やがておれの首ごと揺する力でおれの頭を撫でてくる。


 …無視。


 するとぴたり、バンダナの手のひらは再びその動きを止めた。

 …しかし。


 わしゃわしゃわしゃわしゃ…。


 俄に人の髪を好き勝手な動きで掻き回し始めたその手のひら。


 ………む、無視……――…



「――…だーッ、煩い!! さっきから何なんだよ?!」


 遂に堪えきれなくなったおれはがばり、体を跳ね起こし、噛み付く勢いで背後を振り返った。

 そこに立っていたバンダナは瞬間的にその肩の前で軽くホールドアップしたようで、白々しくも無実をアピールしてくる。おれはひくり、蟀谷を引きつらせた。
 しかしそのとき不意に、驚いたように見開かれていたそのたれ目はふにゃり、その面積を細めて。

「…いやぁ〜だって、シャチがあんまりちっちゃくってさぁ」

「ああァ?!」

「ついつい構っちゃいたくなるんだよね。ほら、可愛いものってこう、無償に苛めたくなったりしない?」

 人の気など知らずに、へらへらと笑うバンダナ。そんな目の前の男におれは最早苛立ちを通り越し、いっそ呆れてしまった。
 はッと鼻でぞんざいに笑い、それから態とらしい程の笑顔をそちらに向けてやる。

「シねばいいのに」

 にこっ、と。嫌みの為におれがそんな擬態語が似合う程の更なる微笑みをそちらに見せてやれば、しかしバンダナはぱっとその顔を明るくして見せた。

「あ、良いね。その笑顔」

 おれは、顔をしかめる。

「…お前、そんな趣味あったのかよ」

 吐き捨てるようにして言ったおれの言葉に、バンダナはしかし笑った。

「うーん…シャチの為ならまあ、そっちの属性になるのも悪くないかもしれないなぁ」

 いつも通りの軽い口調。果たしてその言葉は本気なのか否か。おれは、判断に迷う。

「いやときめかねェぞ? おれはドン引くからな?」

 思わず声を上げたおれの顔にふと――…影が落ちた。



「嘘だよ」



「っ、」

 …おれは喉の奥でくっと、息を詰まらせる。

 鼻先から数センチ先のバンダナのその顔からは、妙に色気が醸し出しているようで。その端麗な顔の作りに威圧され、おれは思わず己の唇から吐気を溢すことさえも躊躇ってしまう。

「おれ、タチだもん。シャチも、それはよーく知ってるでしょ?」

 しかしころり、その妖しげな雰囲気を霧散させてバンダナはへらりと、その顔を崩す。

 一気に力が抜けた。
 しかしおれは安心しながらも何だか少し、拍子抜けしたような気分になる。

「…阿呆か」

 そんな自分を知られたくなくて。いつも通りの素っ気ない口振りで、己のすげなさを取り繕う。

「何が」

 バンダナの唇は緩く、弧を描いていた。

「じゃあバカちん」

 おれは更に、目の前の男を罵る言葉を重ねる。



「何で」



 途端、ぷはっと遂に吹き出した目の前の顔。

 バンダナがその憎たらしいくらいに綺麗な顔を盛大に崩し、そこいっぱいで笑ったものだから、おれは、思わず口許を緩める。

 その眩しい金髪頭からちょっと視線を逸らし、おれは「やっぱ阿呆か」とからり大きく笑ってやった。



120318
 
蛇足 withペンギン




「――…ああシャチ。そう言えば」

「うん?」

「気圧計のことだ。あれ、壊れてたぞ」

「…え? いや、………はあッ!?」

「まあ、今はもう直させておいたがな」

「いやちょっと待って…え? だってあれ、特に破損とかなかったよーな…」

「大方、この間の戦闘のときだろう。おれは見てたしな」

「見てた?」

「ああ、バンダナが間棒で吹き飛ばしてた奴だ。確か、かなりの勢いであそこの辺りにぶち当たってたぞ」

「――っあの、クソエロたれ目…ッ!!」


ありがとうございました。
 
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