「よお、ユースタス屋」

「トラファルガー…」


 億越えのルーキー二人が、そのクルーたちも揃え顔を会わせる。
 となると、それはまさに一触即発。
 …――と、ならないのがこれ。まず基本的に航路が違う為にめったに起こらない、例外の一つだった。


 おれはくわぁ…、唇の下で欠伸を噛み殺す。隣に立っていたペンギンから咎めるような視線を感じたが、こればかりは仕方がない。

 全く、逢瀬を楽しむのなら勝手にやってもらいたいものだ。

 …まあ、そうもいかないのはおれたちの船長がそれだけの実力を持っている、ということなのだが。


 出会い頭からの軽口の応酬。僅かに本気を滲ませひくついている相手方の船長の蟀谷は…まあ、照れ隠しの一つだろう。
 今は特に甘い雰囲気を漂わせずにいる、が、二人揃って船から降りてすることは決まっている。
 おれは平生よりも若干楽しげな船長の背中を、やれやれと眺めた。

 二つの背中がおれたちの視界から消えるのを見送って、暫く。その場に集まっていたあちらとこちらのクルーたちも徐々に、散り散りになっていた。確かに、最早この場に長居する理由はない。
 おれもそれに続かんと、ぐるり最後に視線を巡らせ―――ふ、と。

 その目映いばかりの金に、視線を奪われる。

 寡黙にそこに立ったままの男。すうとまるで周りに冷涼な風が吹いているかのような雰囲気を漂わせるその佇まいは、確かに武道を心得た人間特有のもの。

 殺戮武人。キッド海賊団のところの戦闘員だ。

 今はその特徴ともなるライトブルーのマスクは、ない。外してあるようだった。
 珍しい。おれは一人静かに、小さく瞠目する。特に顔を見せたくないとか、そういう拘りはないのだろうか。
 確かにその長ったらしいまでの金髪に隠れ、その目は窺えないまま、なのだが。


「――ペンギン、航海士の奴らが進路について相談したいんだと」

「ああ、今行く」

 少し遠くからすっと、おれの隣に投げ掛けられた声。既にベポと共に船へと戻ろうとしていたらしいシャチが、ペンギンの名前を呼ぶ。
 するり、おれの横からは、いつも通り深く帽子を被ったままの青い頭が遠ざかっていった。

 おれはまたそれを何となく、黙ってぼんやり見つめていた。
 それからふと、再び辺りに視線を巡らせる。

 遠くにある数多の影は小さく、声々は遠ざかっていく。
 気づけばその場に残っていたのはおれともう一人。何を考えているのか分からない殺戮武人のキラーだけ。
 そういえば、二人きりになるのは初めてのことだ。

 周囲と対比をなすかのような、静寂。
 おれはゆるり、ごく自然な思いで唇を開いた。


「あんたも、大変だな」

 船長のとんだ我儘に付き合わされて、と。
 紡いだその言葉は、実際おれの本心。
 それは沈黙を埋める為の軽い世間話のつもりだったがしかし、他の意図が全くなかったと言えば嘘になる。相手はいずれ王座を奪い合い闘う敵の――幹部。何でもいい。今から少しでも情報を得ておくことに、損はなかった。

「ああ、違いない」

 軽く首肯したそのボリュームある金の色におれはやはりかと、そのときばかりはつい数秒までの策略に満ちた考えを忘れ、純粋な思いで小さく苦笑いを溢した。


「――が、」

「?」

 しかし、それに続いたものは否定に繋がる一音。おれははてな、首を傾げる。
 キラーはおれの見える範囲では穏やかな表情でくつり、その肩を揺らした。


「慣れている」


 ゆるり、薄く下弦を描いた唇。その、優しげな雰囲気。
 殺戮武人がとんだ無防備だな…、と。おれは何だか妙に感心した心持ちになった。

 そんなおれの視線に気がついたのか、するり歩み出した長い足。近づいてくる相手からはしかし、戦闘の意思は見えない。おれは静かにそれを待ち構えた。
 そして間もなく、一メートルもないくらいの近距離で、対面。

「――何? おれ、なんかあんたの気に障るようなこと言った?」

 そうでないとは知りつつもへらり、おれはふざけた調子で笑って見せる。

「いや、」

 目の前で低く答えが発せられたその瞬間、流れるような動きで伸びてきた腕。


「!」


 ぱしり、
 
 おれのトレードマークでもあるボーダー柄のバンダナが奪われた、かと思えば―――さらり。

 その指で梳かれた、己の頭髪。

 おれは大きく目を見開き、驚きのあまり息を詰める。


「…随分と綺麗な髪だな」

「、は…?」

 髪質が良いのか?と勝手に首を捻るその様子にはっと困惑の念から抜け出したおれは、ばっと勢い良くその手から馴染みの布地を取り返した。

「ああ、すまない」

「…………」

 じとり、何のつもりだという思いを込めて軽くその金糸の下に睨みを利かせてみるが、肝心の相手は全く以て悪気のない様子。分からない奴だ。
 嘆息を一つ。おれは、早々に諦めをつける。こういう読めない人種と一緒にいても、無駄な体力を浪費するだけだ。
 おれはくるり、踵を返した。


「…――おれは、あんたの色の方が綺麗だと思うけど?」


 鋭く細めた目で最後にその顔を流し見、それからそちらに背を向ける。ひらひらとお座なりに手のひらを振ってから、おれは静かにその場を後にした。

 見えない瞳がじっとおれの背中を見送っているのが、振り返らなくても分かった。






 前方に見える、白の集団。
 おれはそれを追いかけつつぐしゃり、自身の前髪を強く掴んだ。

――…んだよ、あの手…。

 くしゃりと撫でられたあの手付きが、温もりが、妙に髪に――心に残っている。

「あーあ…」

 海風に差のありすぎる頬の温度を馴染ませるべく、おれはすうと空を仰いだ。今日の風は何だか、やけに涼しく心地よい。

 だけど、


「……調子狂う」


 自分の頭を撫でたその温かな感触は暫く、消えてくれそうになかった。



120221
 
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