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初恋ロジック(1/2)





(…どこが不調だって?)
(心臓です!いわゆる恋の病です!)

何の気なしに通りがかった船長室の前でピタリと足が止まる。今日も今日とてこの耳に微かに届く彼等の温度差の目立つ不毛なやり取りに小さく吐息するや否や、唐突に開かれた扉から首根っこを掴まれ小さな獣のようなあられもない姿で顔を出した彼女が床に落下する。ぎゃぶ。無造作に放られた彼女は、そう蛙の潰れたような声を出した。


「…あれ?ペンギンさん?」


無慈悲にも無言で扉が閉ざされたかと思えば同時に顔を上げる。そのあまりにも雑な仕打ちは慣れっこの彼女にはあまり意味をなさないのだろう、けろりとして俺に首を傾げて見せた。
さらりと揺れる蜂蜜色の髪は今日も柔らかくこの瞳に映り、ふわふわとした小花柄の可愛らしいワンピースはその華奢な身体によく似合う。しかしこのクソ寒い中よくもまあその薄い布切れ一枚で平気なものだと洒落っ気のない俺は無粋な事を片隅で考えてしまう訳だが、それはおそらく欠片程も彼女の思案する所ではない。


「…今のが昨日思い付いた新しいアプローチか?」

「はい、でも失敗です!」


やはり彼女はけろりとそう言った。
俺には一体、彼女がどこまで本気であるのかが分からない。船長の気を惹くため毎日のように新しい作戦をと真剣になって考えあぐね、そして日々実行に移す彼女は最早船内の名物としてクルー等の興と化しているものの、しかし俺から見れば単なる稚拙な戯れとしてしか受け止められずどうしても俺には彼女が分からないのだ。


「でも大丈夫!次のはとっておきの作戦ですから!」

「…取って置きの?」

「色じかけです!」

「……、…誰が」

「誰がって私がですよ!」

「………へえ」


彼女の素っ頓狂な台詞には俺は飽きもせず毎度くらりと眩暈を覚える。シャチやら他のクルーは彼女のそういった意味不明な行動を面白がって囃し立てるものの、俺は上手く笑ってやれた事がない。いや笑ってやるというよりかはその素行に上手く応えてやる事が出来ぬのだ。性根が真面目腐っていると言ってしまえばそれまでであるが、俺にはどうしても彼女が自分とは異なった得体の知れない生物のように思えてならない。


「ローさんもじわじわと私の魅力に気付いているはずなんです」

「……………」

「勘違いじゃありませんってば!」


少し得意げに言われれば心底言葉に詰まった俺に、彼女は俺を咎めるかのように口を尖らせた。すくりと立ち上がりながら色素の薄い瞳をぱちりと大きく見開いて、是非話を聞けとでも言わんばかりに俺の腕をがしりと掴む。何も彼女の話を暇潰しのために喜んで聞く輩はこの船にはごまんと居る訳で、しかしながら彼女はこうやって別段興味を示さない俺にまで他と同程度に懐くのだからこれも彼女が分からない原因の一つだったりする。


「ローさん偶に変な研究のために長期間部屋に籠りますよね」

「…変な……、ああ…まあ」

「駄目なんです…そうやって誰にも会わない日が続くと必ずローさんから私に会いに来るんです…きっと寂しくなって構って欲しくなるんですよ」

「……………」

「兎みたいな人なんです…放っておくと死んじゃうかもしれません」

「………、」


兎は決して寂しさ故に死んだりはしないと、よくよく言いかけた言葉を俺は喉の奥で呑み込む。それよりもどちらかと言えば独りを好み孤高を愛すであろうあの男を、寂しいと死んでしまう兎だと形容する彼女の心中が俺には馬鹿馬鹿しくもかなり興味深い。彼女の瞳にはそう映るのだろうか、それともクルーではない彼女にしか見せないあの男の顔があるのだろうか。実に難解な疑問に眉を寄せる俺の目の前で、しかしながら軽快に話し続ける彼女は至極能天気で。


「相変わらず…船長に御執心だな」


彼女が単身でこの船に乗り込んできたのは果たして何時の頃だったろう。
ただ偶然立ち寄った島の島民、戦闘は疎か虫一匹ですら殺せないような彼女が何故海賊に成り下がったかと聞かれれば、彼女曰く恋は盲目との事である。生まれて初めて人を好きになっただなんて訳の分からぬ理由で常に付き纏う彼女を、勿論当初は乗船させる気などなかったものの何時の間にかベポを味方につけた彼女は強かった。とどのつまり船長が折れ、自分の身は自分で守る事、そして他クルー以上の仕事をこなす事を約束させた上で彼女を雑用として船に乗せたのである。


「…シオ、」


"初めての恋だから、"
"だから大切にしたいんです"
彼女は確かにそう言った。


「…ジンクスを…知っているか?」

「ジンクス?」