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 "歯に付きにくいガム レモン"

 その文字、そしてその歯のイラストを見た私はくしゃと顔をしかめた。いつか食べた、少しも甘くない――だけど歯に良いらしいガムの味を思い出して。

『これ、すーすーするやつでしょ。あのキシリトール? …みたいな』

『うん?』

 くりくりな青色の目を更に丸め、デイダラはそのまろみを帯びた頬っぺたをもぐもぐと揺らしつつ、言う。

『そんなことないと思うぞ』

 食わないのか?と訊ねたその声に、私はこくりと顎を引き頷く。ふーん、と呟いたデイダラのその手にそのとき、伸びてきたのは新たな手。幼い子ども独特のふんわりとした肉付きの良い手のひらが、そこから小さなガムの板を抜き取る。

『もらうぞ』

 そう言ったサソリはさっさとその銀紙を剥くと、ぱくとそれを食んだ。私は何故だかその光景を呆気に取られて眺めていて。すると不意に、サソリが小さく呟いた。

『オレ、これ好き』

 ああ、この間はハイレモンも好きって言ってたし、レモン系のものが好きなんだな。

 私はぼんやり、そう考えていた。だけどひっそり、心の中ではきちんとメモを残して。

『シオ、これが嫌なら"かむかむレモン"もあるぞ、うん』

 ごそごそと自分のポケットをあさり出したデイダラの動きを手で制し、私はするりと唇を動かす。

『いや、そっち』

『え?』

『そっちをちょうだい。歯に付きにくいガムレモン』

『………』

 そのときのデイダラは、何故だか妙な顔をしていたように思う。だけど私は何食わぬ顔で、デイダラの手の中からするりと一枚のそれを抜き取った。
 手早くそれを空気に晒し、一瞬の躊躇の後――…歯を突き立てる。

『………』

『………』

『……あれ、』

 吃驚した私は咄嗟に片方の手のひらで自分の唇を押さえる。

『…美味しい』

 どうやら、私の考えていたものとは違ったらしい。普通のガムと何ら変わらず甘い風味を広げるそれをもにゅもにゅと噛みつつ、私は小さく口端を緩めた。
 そしてぱっと顔を持ち上げ、一言。

『これ…美味しいね、サソリ!』

 サソリはいつもと変わらぬ表情で『ああ』と一言だけしか返してくれなかったが、そのときの私にはそれで良かった。いいものを見つけたという妙に清々しいような気分でにんまり、目立ち過ぎない程度に唇を緩める。

 そのとき抑揚のない声でぼそと、デイダラは何かを呟いたようだったのは――…一体、何だったのだろうか。





 ふわり、意識が浮上する。私は逆らわずに目を開けた。見慣れた天井に目を瞬かせ、それから瞼を擦る。

 随分と懐かしい夢を見た。

 伸び上がるついでにベッドから立ち上がり、私は散らかり放題の自分の机に歩みよると引き出しからハイレモン取り出す。に、そして口端を持ち上げた。

 ああ、もうすぐ始まっちゃう。

 ふと我に返った私はポケットに自転車と自宅の鍵それから財布を突っ込むと、慌てて部屋から飛び出した。




「何やってたんだよ、うん」

 振り返った幼馴染みはしっかり二次成長を終え、すっかり男の体になっていた。しかし面影ありありの長いちょんまげを見上げ、私はあははと苦笑いを溢す。

「ごめん。十分だけのつもりでうとうとしてたら、つい…」

 まだ薄明かるいその場所に、所狭しと並ぶは屋台。道を照らすのは色とりどりの提灯。そして裸電球。

 今日は小さいながらもここらでは夏のビッグイベント――お祭りだ。

 私は目の前のデイダラの顔から視線を外し、きょろきょろと辺りに視線を巡らせる。

「…旦那ならあそこだぞ」

 指をさされたその向こう。見つけた朱色の髪に私は顔を綻ばせ、一瞬だけデイダラを振り返った後一直線に駆け出した。

「サンキュ、デイちゃん」

「…おう。……て、おい!」

 一拍遅れて私の後ろを追いかけてきたデイダラの怒声は気にも留めず、私は追い付いたその男のわりには華奢な――しかし私よりは確実に広い背中をぽんと軽く叩く。

「サソリ、ごめん遅れた!」

「ん、ああ…シオか」

 私はにっとその緋色の瞳に笑いかけた後、ふうとサソリの並ぶその屋台に目を向けた。かき氷。これぞ祭りの代名詞、だ。
 そのときすっと、目の前のカップルが仲睦まじげに去っていく。屋台のおじさんと目がサソリに向けられて、そこはにっこり愛想の良い顔で柔らかく微笑んだ。

「何にしますか?」

「あ、私も食べる…!」

 慌てて声を上げた私をちらりと横目で見やり、サソリはふっとその形の良い唇を動かす。

「ブルーハワイ」

「私…もそれで」

 はいよと大きな声で返事をしたおじさんから、素早く出てきた二つの山。サソリは両手でその二つを受け取ると、流れるような動作でその列から離れた。私は黙ってそれを追いかける。
 人混みがある程度緩和されたところまで行くとその背中はくるりと振り返り、穏やかな瞳で私を見下ろした。

「ん」

「ありがとう…」

 私はそれを二つの手のひらで大切に受け取り、ちょこっとだけ照れた。

 今の私、なんだかまるで乙女な気分だ。

「おーい旦那! シオ!」

 しゃくしゃくとその青を満遍なく広げる為にその山をかき混ぜていれば、駆け寄ってきた金色。見ればその手にも何故か、黄色のかき氷が握られていて。

「何だ、てめェも買ったのか」

「あっちの方が安かったからな、うん」

「え、狡い!」

 ふふんと唇を上向きに尖らせたデイダラの顔を見、私は軽くむくれて見せる。しかしデイダラはそんな私を意地の悪い笑みを浮かべて見下ろすだけで、膨れた頬はその指先にしぼめられてしまった。

 ちょっと頬っぺた痛かったわ、馬鹿。

「…腹減った」

 そのときふと、小さく呟かれたその言葉。私はぴくりと僅かに背筋を伸ばす。

「何だよ旦那、今それ食ってるだろ? うん」

「馬鹿が…。こんなもんで腹は膨れねーよ」

 私はごそりとポケットの中からそれを取り出すと、急いでその包装を外す。サソリの目の前に私が手のひらを突き出せば、俄にその紅緋色は丸く見開かれた。

「私、ハイレモンなら持ってるけど」

「お前…」

 そのときのサソリの表情は何とも言えないものだった。私は意味が分からず、はてなと首を傾げる。ややあって薄く開かれたその唇から溢れた声は、若干不思議怪訝な様子を含んでいて。

「お前、いっつもおんなじような菓子ばっか持ってるよな」

 私はぽかんと、その場に立ち尽くした。


 気づけばサソリは再びその青のかき氷を、ピンクと白のストライプ模様のストローでできたスプーンで掬いだしていたところで。
 私はすうと生温い青に融かされた崩れかけの――サソリとおんなじ山を見下ろす。

 本当はイチゴが食べたかった。


 …そのとき。

 横から伸びてきた手のひらがひょいと、私の手からごく淡い黄色のタブレットを拐う。無意識の内にその動きを目で追いかけていた私は、それが迷いのない動作でデイダラの唇にぱくと放り込まれる様子を目撃した。
 私は、思わず呆然としてしまう。

「オイラはレモン好きだから嬉しいけどな、うん」


 もぐもぐ。


 昔よりはずっと丸みの緩和された頬の小さなその動きが、夢の中のまあるい顔した少年のものと重なった気がした。

 デイダラのその手に握られた山の頂点は、そのちょんまげとおんなじレモン色。
 私の唇はふうと、自然に動き出していた。

「ねえ」

「んー?」

「それ、一口ちょうだい」

「…うん?」

 ぱちぱちと瞬いたその透き通るようなブルーを真っ直ぐに見つめ、私は静かに口を動かす。


「食べたくなった」


 言えば、目の前のその唇はにっと不敵に笑って。デイダラはすうと、私の口元に向かってスプーンを差し出してくる。

 間接キスがどうとかそういったことは不思議と考えず、私は迷わずそこに唇をつけていた。


 好きでもなかったレモン味。

 だけどそのときのそれはやけに―――美味しいと感じた。




   ルーハワイ
        
        ハイレモ




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