たいせつなおと。
本当は腹を立てる場面ではないのかもしれないけれど、少しくらいは許されると思う。
結局彼はいつだって身勝手なんだ。
「今度からこれ流れたら俺からだからちゃんと取れよ」
やっと気が済んだのか、つい先刻まで弄っていた携帯電話を返された。
音楽を流したままで。
聞き取りやすい女声のそれは、歯が浮くような歌詞を紡いでいる。
黒崎がこんな曲を聞くなんて少し意外だ。
どちらかというと騒がしい音楽を好んでいた覚えがある。
「ちなみに俺もお前からの着信はそれだから」
嬉しそうな黒崎を無視して、まだ曲を流したままの携帯電話の電源ボタンを押した。
それが確か数週間前。
「…出ない」
あれから、用もないのに矢鱈と電話をしてくる黒崎のくだらない悪戯に付き合って、きちんと出てやっていたのに。
それだけでは満足しなかった彼は、半ば強制的に僕から電話をするように言ってきた。
だというのに関わらず、出ないとはどういう事だ。
しかも、僕が切ると間髪入れずにかかってくるのだ。
一度や二度ならまだ許せるが、毎回なのだから堪忍袋の緒が切れるのも無理はないだろう。
ご丁寧に、かけているこちらにも同じ曲が流れるように設定してあるらしい。
僕にはそのような設定は全く分からないけれど。
いつの間にか覚えて、ふとした瞬間に思い出す、その曲が悪いわけではないのに、苛々とした気分になった。
『石田』
「君はどういうつもりなんだ」
きっと気持ち悪い笑顔で電話をしてるんだ。
能天気なオレンジ頭を思い出して口調を荒げると、素っ頓狂な声を上げた。
「からかってるのならもう電話なんてしない。君の悪戯に付き合える程暇じゃないんだ」
言ってやった。
そんな気持ちで黒崎の反応を待つ。
『お前さ、今何考えてる?』
「は?」
今度は僕が素っ頓狂な声を上げる番だった。
考えている事と聞かれたって、今思考を占めているのは怒りだけだ。
『俺の事考えてんじゃね』
「何を言ってるんだ」
妙に自信に満ちた言い方が癇に障る。
『そうやって怒ってんの俺にだろ?』
確かにそうだが、だからといってそれとこれとは話が違う。
あまりの言い種に開いた口が塞がらず、何も言えずにいると黒崎は更に続けた。
『俺はあの曲聞くと石田の事考える』
この変態がっ。
言葉を飲み込んだのは、少なからず僕にも思い当たる節があるからだ。
最近の歌に疎い僕が、気が向いた時につけるラジオから流れる音の中で、反応するのはあの曲だけで。
ふと思い出すそれに伴って出てくるのは黒崎の顔。
条件反射。
『お前は違うか?』
馬鹿みたいだ。
息を詰めて、答えを待って。
僕の言動に一喜一憂。
「違ったら君の電話になんか出ない」
遠回しにしか言わないのは、性分だから仕方ない。
『相変わらず素直じゃねぇな』
黒崎の明るくなった声に思わず笑えてくる。
結局僕も一緒だ。
彼の言動に掻き回されて、面倒臭いと思いながら、苛々しながら、でも携帯が鳴るのを待っている。
着信履歴も発信履歴も彼の名前しか並んでいない。
一日の終わりの挨拶、おやすみとまた明日。
君の声のそれを待ってた。
「馬鹿だなぁ」
僕も。
『は?』
少し不機嫌になった声音が分かりやすくて面白い。
弁解なんてしてやらないけど。
お互い様なのだから。
「くろさき」
『なんだよ』
名前を呼ぶとすぐに反応が返ってくる。
「好きだよ」
言いたい時ははっきり言う。
これも性分だからどうしようもないだろう?
は、え、と慌てたような声が離れたところで続いているのに頬が緩む。
「じゃあ、また明日。おやすみ」
言って、電源ボタンを押すと小さな音がして繋がりが切れた。
言い逃げすんじゃねぇよ。
これと、あの言葉の応えの為に電話が鳴る。
知ってるよ、と言ったらわざとらしい溜め息と挨拶が返ってきた。
電子音が再び電話が切れたことを知らせる。
ボタン一個で切れるような繋がりに幸せだと感じる。
確定のない未来のほんの小さな約束を楽しみに待っている。
こんな事誰にも言えないけれど、僕にとって、とても大切なこと。
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