この先も
「あけましておめでとう」
「…おめでとう」
一年に一度、一年の始まりの日。
平常と違う挨拶を交わすその日は、しかし普段と大して変わりがある訳ではない。
学生の独り暮らしの身にしてみれば尚更だ。
だから一瞬、自然にいつもと違う挨拶をする黒崎への反応が遅れた。
「んじゃ行くか」
先を歩く黒崎から少し遅れて着いていく。
「寒くないか?」
「大丈夫」
寒いのは嫌いではない。
冷たい空気を身体に入れると清々しい気分になる。
蒸し暑いよりはずっとましだ。
とくだらない事を考えていると、僕より大きい黒崎の手が僕の手を取った。
「俺は寒い」
「なら帰れば?」
手を繋ぎたいなら言えば良いのに。
別に嫌がったりしない。
今日は気分も良いし。
僕より体温の高い黒崎は手を繋いだところで温かくはならないだろう。
繋がれた手から腕、肩と視線を上げていくと黒崎は拗ねた様にそっぽを向いていた。
「可愛くねぇヤツ」
「可愛いって言われたって嬉しくない」
そもそも僕は初詣になんて行くつもりなかったのに、黒崎が一緒に行こうって言うから来てやったんじゃないか。
家族と行けば可愛い妹さん達と行けるのに。
「…朽木さんとか井上さんとか有沢さんとか呼べば良かったんじゃない?」
可愛い人が良いならクラスに沢山いるし。
あまり興味は無いけれど、うちのクラスの女子はレベルが高いと耳にした事がある。
「お前が良いんだよ」
即答されると流石に少しむず痒い。
何と返して良いのか分からなくて、いつも聞き流してしまう。
「やっぱ凄い人だな」
神社の周りはやはり人が多くなってきた。
人に見られると不味いと、名残惜しげに黒崎が手を放したのは少し前。
参拝を待つ今僕の手は、人多いからばれねぇよ、と再び黒崎の手の中だ。
確かに前の人の背中しか見えないこの状況では、誰も僕達の事を気にしないだろう。
「夜中だったらもっと凄かったのかな」
「どうだろうな」
年が明けて数時間経った今でもこんな状態なのだから、年明け直後はどれくらいの人がいたのだろう。
「行くぞ」
ぐっと手を引かれ人の流れに沿いながら数歩進んだ。
そういえば、参拝なんていつ以来だろう。
特に信仰している宗教なんて無いし、祈り事なんて最近は殆どしていない。
…祈り事か…。
「石田?」
「何?」
名前を呼ばれ、少しだけ上に視線を向けると怪訝な表情で見られて疑問を返す。
「いや、…人ごみに酔ったか?」
「大丈夫だよ」
眉間に皺を寄せているのは訝しんでいる訳ではなく、心配しているらしい。
黒崎の御人好しさに笑みが零れた。
「何笑ってんだよ、人が心配してるってのに」
ムスッとした表情が余りにも予想通りで、更に笑えてくる。
「君は面白いな」
「は?」
打てば響く黒崎の態度は自分にはなくて面白い。
それを伝えると、更に眉間を顰めた。
馬鹿にされたと思っているのだろうか。
別に僕にそんなつもりは無いけれど。
「そろそろだね」
僕の言葉を聞くと拗ねた様な顔のまま、黒崎は前を向いた。
前もあと数列、賽銭の為の五円玉は黒崎と繋がっている手の反対で握っている。
ごえんがありますように、なんて駄洒落でくだらないけど結構そういうのは好きだ。
なんて考えているうちに、賽銭箱がすぐ近くになっていた。
五円玉は二つ綺麗に弧を描いて箱に吸い込まれる。
二礼二拍手一礼。
この御人好しが幸せであるように、願わくば自分が近くにいられるように。
…なんだ?
どうして隣にいるこの男の事を考えているんだ。
確かに自分の事で神に祈る、なんてする気はないけど、だからといってなんで…。
「顔赤いけど大丈夫か?」
参列が終わり、人の流れから離れると、声をかけられた。
「気にするな」
頬が熱くなるなんておかしい。
「そういや朝言い忘れてた。今年もよろしくな」
そんな事笑顔で言うなんて無神経だ。
僕が混乱してるって言うのに。
「帰るっ」
「は?」
一人で歩こうと思えば、人の波もすり抜けるのは二人の時より容易い。
と、黒崎に手を掴まれた。
「手を放せ」
「どうしたんだよ」
勝手な態度に怒れば良いのに、どこまでも御人好しな黒崎は困った様に眉を下げる。
「知らないよ」
僕がこの苛々の理由を教えて欲しいくらいだ。
「お前んち寄ってって良いか?」
「は?」
「飯いらねぇつって来たんだよ」
勝手な理屈で食事までご馳走する義理なんてないけれど、どうせいつも押しきられてしまうのだ。
「好きにすれば」
「じゃ、好きにするわ」
そんな風に笑わないでほしい。
この先も一緒にいる事を仄めかす様な言い方をしないでほしい。
未来を期待してしまいそうになるから。
だけどもし、僕が君に少しでも笑顔を与えられているのなら、君が傍にいる事を望んでくれるなら、僕は君と共に歩いていきたい。
君が僕にもたらす全ての感情も一緒に。
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