※榛名卒業後の中3
阿部中2





「よ」
「……ちわ」


外は雨が降っている。3月だというのにまだ少し白い息が出ていて、口から出たそれは静かに尾をひいた。受験が終わり久々に見かけた彼は背が伸びたな、そう思った。俺もあの頃よりは身長は伸びた。しかしやはりなかなか追いつけないもので、見上げることに些かの抵抗を感じた。


「卒業おめでとうございます」
「おー、サンキュ」


俺は手にしたこともない程のでかい花束が雨でしな垂れる。冷たい風が花びらを散らした。

――たくさんのものが変わってしまった。
バッテリーは夏大で解消され、俺は新しいチームメイトと野球をしている。同い年のキャッチャーは速度は落ちるが元希さんのように変な所に飛んでいかない。しかしそう考えている時点で俺の根底にはまだ元希さんがいた。
憎んでると言えばそれまでなのだが、それで一纏めにするにはたくさんの感情が混ざり合っている。


(あーもう、傘もささないで何やってんだよ!)
(っせーな!忘れたんだから仕方ねーだろ)
(風邪ひいたらどうすんですか!)



あの頃のように元希さんは傘をさしていなかったが、心配するのはもう俺の仕事ではない。左手が寒さで微かに震えていたのを見なかったことにする。

「話あんだけど」


昔より力のなくなった瞳に見つめられ息が詰まる。呼吸ってこんな難しかったっけ。元希さんと関わるとロクなことがないという学習能力からなのか、頭の中で警報がしきりに鳴り響く。きっと聞いたら俺の危惧している事態が起こってしまう気がするのだ。


「隆也」
「…何です」
「ごめんな」


彼から聞こえるはずのないことばに驚いて顔をあげる。今謝った。あんなに頭を下げることを嫌った元希さんが。


(…アンタがリードに従わないから4点も取られました)
(はぁ?俺のせいかよ)
(責任、感じないんすか)
(感じねーし絶対謝らねー)



「なんで謝るんですか」
「今まで、イロイロごめんな」
「聞きたくないです」


俺の気も知らない彼の口からぽろぽろと言葉が零れる。そこには見知った傍若無人な榛名元希はいない。それだけで不安になって後ずさる俺の腕を濡れた左手が捉えた。


「…いやだ」
「隆也、」
「アンタ許したら、もう俺ら何も残らない」


手を振り払おうと抵抗した反動で傘が落ちて途端に強い雨に全身がずぶ濡れた。怯える俺を見て彼は今まで見せたことのない酷く傷ついた表情をする。ずるい。アンタが憎いはずなのに、アンタの自業自得なのに。アンタを憎んで、恨んでいればバッテリーじゃなくなっても繋がっていられると思っていたのに。きつく掴んでいた腕があっさり解放される。


(うわ、何すんですか!暑苦しい)
(スキンシップだよばーか)
(重っ!離してください!)
(やだ。離さない)



「…うん、もうお前は俺に縛られなくていいから。俺の球も捕ることもねーからさ」
「もとき…さ、」


泣いてる。
ああ、だからこの人は傘をささなかったんだ。雨に混じって俯いた顔から涙が落ちた。それは雨なんかよりずっと綺麗だったから俺は言葉を失う。


「腕のアザ、治ってよかったな」
「キャッチャーやめんなよ」
「痛い思いもさせてごめん」
「今までありがとな」
「多分俺、隆也のこと好きだった」
「じゃあな、隆也」



(お前怖がんねーからさ)



恨めるわけないじゃないか。
随分と遠ざかって行ってしまった元希さんの足はやっぱり早くて、俺はそのまま動けず今までもこれからも人生で一番のエースを見送る。


「…俺も、元希さんのこと」


――雨が降っていてよかった。こんなにも涙が止まらないなんて。




春風
(出会えてよかったとか、大好きだとか、ありがとうとか。いっぱい溢れてくる言葉を、どうすればあなたに、伝えられたのでしょうか)




「さようなら元希さん」






song byゆず/春風
(20100925)