みおさん | ナノ



『ごめんさつえいながびいてるもうすこしかかる』





丁度シャワーを浴び終えた頃、テーブルに乗っていた蓮の携帯が健悟からの句読点も変換も無いメールの着信を知らせた。

まあ、忙しいっつーのは真嶋健悟の名前を考えればすぐに納得のいく事なんだけれど。

首に掛けられたタオルで髪の毛を乱雑にがしがしと拭きながら溜息をひとつ吐いた。

「しゃーないしゃーない。あいつ一人で仕事してるわけじゃねーし」

ぼそりと呟いた言葉は一人ぼっちの静かなリビングルームにいやに響いた。

テレビを見るのも、雑誌を読むのも、ゲームもするのも健悟が仕事に行ってしまってから既にやり尽くしてしまい、とうに飽きてしまった。

仕事だ仕事。

そう自分に言い聞かせながら、蓮はリビングに置かれたソファに勢いよく身体を投げ出した。

勢いをつけると深く沈むソファはそれだけで心地良く、寝転んでいるとついつい睡魔に襲われてしまう。

蓮のお気に入りだ。



「…ん?」



…と、自分の尻の下にくしゃりと何かが潰されているような違和感を覚え、蓮は手探りでその正体を探った。

手に掴んで眼前へ持ちやると、真っ白なシャツがそこにあった。

踏み潰していたというのに皺があまりつかないのは、素材が良いからだろう。自分のものでないそれは健悟のものである事がすぐわかる。両手で広げれば、自分のサイズよりもよっぽどでかいそれに少しばかり腹が立った。



「…………」

じいっとシャツと睨めっこをしているうちに、何故そう思ったのかはわからない。

気づいたときには半身を起こして、俺はそれに袖を通していた。

健悟が着れば恐らくはスマートで、それは美しく健悟を彩る一つとなりえる筈のものなのに、いざ自分が着てみれば笑えるほどに美しくなかった。父親の洋服でも着てしまったような気持ちに似ている。



「うお、やっぱでけえ…」

余る袖と、全く一致しない肩幅に思わず独り言が出てしまう。そういえばシャワーからあがってボクサーパンツ一枚だったのを思い出す。下も、パンツは見事に見えなくなり、太股を半分とまではいかないが3分の1以上は確実に隠していた。足をぷらぷらと動かしながら、やっぱりむかつくなぁ、とひとりごちた。

再び身体を倒してソファに寝転ぶと同時にふわりと嗅ぎ慣れた匂いが蓮の鼻腔を擽った。

健悟の匂いだ。香水のそれとは違う。健悟の、健悟そのもの、本人のにおいだ。

ぎゅっと強く抱きしめられたときに感じる、あの匂いだ。

途端に蓮は頬が熱くなるのを感じた。



ばかじゃねえの、ばかじゃねえの。

心の中で、抱きしめられてるみたいだ なんて思ってしまった自分を叱咤する。

魔が差したとはいえ、健悟のシャツなんぞを着てしまったのがいけなかったんだ。

そもそも帰ってくるのが遅い健悟がいけないんだ、と怒りの方向をシフトして恥ずかしさをやり過ごすしか無い。

ただ、そうは言っても健悟のにおいは嫌いじゃない。むしろ、好きだと思う。言わないけど。

このにおいにつつまれていると抱きしめられて眠るいつもの体制を思い出してしまって、ついつい安心してしまうのだ。

ソファで寝返りを打っても落下しないのはさすがゲーノージンのおうちの家具だ、と感嘆する。





そして俺はここで一つの間違いを犯してしまう。

すぐに脱いでしまえばよかったのに、健悟を待つのに飽きたのとソファの柔らかさが相俟って、襲い来る睡魔に身を委ねてしまったのだ。どうせ健悟が帰ってくるのはもう少し後だろう、と。





***



ガチャガチャガチャ!!と、いつもよりも乱暴に玄関の扉の鍵を開ける音に蓮の意識は浮上した。

「ん……うわ、やべ寝て、……た?」

ゆっくりと身体を起こし目を擦った時に自分の手の出ていないシャツの袖が視界に入り仰天する。



そ う だ 、 脱 い で な か っ た 。

混濁としていた意識は健悟が扉を開く音と共に一気に覚醒し、このままだと蓮にとっては最高にいただけない展開がやってきてしまう事を直感した。

やばい、なんで俺丁寧にボタンまで閉めちゃってるのやばいやばいやばいどうしよう。

あのアホは絶対玄関からリビングまで走ってくるに違いないやばいどうしよう無理来るなどっか行け!!

テンパる手ではボタンはすぐに外れてくれなくて、ばたばたと近づいてくる足音に泣きたくなってきた。

多分もう脱げない、これ。間に合わない。

脱ぐことを放棄した俺はひとまず、ソファから滑り落ちるようにして床に身を伏せた。





「ただいまぁー!れん、ごめんね!おそくなった!」



どこから走ってきたのか知らないけれど、息を切らした健悟の揺れる肩と銀髪がちらりと視界の隅に入り込んだ。

頼むから見つけないでください。むしろこのまま俺をどっかに消してくれないかなぁ。

いや、どう考えてもムリなんだけどそう願わずには居られない。

「れーん?れんくーん?…あれ?」

本来ならば、遅いだとか文句を言ってやりたかったのに今はそれどころではない。

穴があったら入りたい。今はまさにそれだった。

れん、れん、と甘い声が俺を呼ぶ。

次第に近づいてくる声に、顔から何から何まで隠したくって、健悟のシャツの中にぎゅっと身を寄せる。



「れーん?うわ、何してんの?」



シャツに出来うる限り身体を入れ込んで、芋虫のようになってソファの影に隠れていた俺を遂に健悟は発見してしまった。

マジ 終わった。







***





折角蓮が来てくれているのに、どうしても空けることの出来ない撮影を入れ込まれてしまい渋々ながらも蓮を自宅に待たせて仕事に出かけた。更に悪いことに、予定通りに終わってくれれば良かったものの、伸びに伸びた撮影によって予定を遥かに上回る拘束時間に健悟は懸命に苛立ちを抑える事で精一杯になっていた。

早く帰って蓮といちゃいちゃしたい。くっつきたい抱きしめたい。

もしかしたら待たせすぎてふてくされてしまっているかもしれない。

何度か覗き見た携帯電話には蓮からのメールも着信も無し。それが更に健悟を焦らせていた。

お疲れ様です、という撮影終了の声と共に健悟はすぐさま帰路につく準備を始めた。

蓮との貴重な時間は一分一秒だって無駄にしたくないのだから。





そして帰宅。

真嶋健悟は目の前にいる白い塊をきょとんとして見下ろしていた。

「れーん?」

名を呼べばびくりとその塊は揺れ動く。間違いなくこれは、蓮なのだろう。

「なに、どうしたの?」

「チガウ、レンジャアリマセン。ドッカイッテクダサイ」

いつにも増して硬質な声が返ってくる。でも、蓮の声だ。

しかしあのかわいらしい金色の髪の毛も見当たらない。一体どんな体制をしているのかわからない。

「ごめん、おそくなって。怒ってる?」

しゃがみこんで、白い塊になった蓮を覗き込もうとするとすすす、と後退される。

器用だなぁと苦笑いをしつつ、健悟もすぐさま蓮を追いかけて近づく。

「怒ってない、怒ってないからまじでちょっとだけ離れてて。俺を見ないでどっか行ってくんない?」

「れん?わっ、ちょ、何で?え?」

白い塊から手が伸びたかと思うと、その手は健悟を遠ざけるようにしてぐいぐいと押してくる。

突然の拒絶にえもいわれぬ不安と焦燥が押し寄せる。

やはり、怒っているのか。ならばきちんと顔を見て謝りたい。

伸ばされた蓮の腕を取り、顔を見ようと白い塊に触れようとしたその時。

ふと、蓮の手に目がいった。

指が出ていない。白いのはどうやらシャツらしい。蓮はつまりシャツを着ているという事だ。それは判る。

けれど蓮が着るにしては妙に大きくないか?しかもこのシャツにはどこか見覚えがある。

ああ、そうだ。これは昨日俺が着ていたシャツに良く似ている。



「………え?」



まさか。

そう思ったときには蓮の脇の下に手を差し込んですぐさま起き上がらせていた。

「わああああああああああ!テメッ!ざけんな!やめろ!」

そしてそのまま抱きかかえてソファに腰を下ろした。蓮が気に入るかと思い、柔らかさ重視で購入したソファはその効力を十二分に発揮してくれた。蓮を乗せたまま勢いよく腰を下ろしたというのに反動一つなく、柔らかく健悟の身体を沈ませた。

抱きかかえていた蓮を向かい合うようにして膝に乗せ、改めて視線を落とした。

感動という言葉が今、何よりも相応しい。そう思う。

なに、これ。奇跡かもしれない。

超可愛い。

これは、間違いようも無く自分のシャツを蓮が着ている。

しかも下はボクサーパンツだけだから蓮の白い足がすらりとそのまま投げ出されているし、その上内側の太股にちらりと見える赤い跡は昨日付けたばかりのものだ。

どうせ誰にも見られない場所だからと遠慮無しにつけたそれは己の独占欲を露にしている。

そんなものまでも視界に入って来てくれるなんて、なんだこれは。本当に奇跡か夢かしかないんじゃないか。

ただ、いっこだけ。疑問点がある。



「れんちゃん…なんで頭からかぶってんの?」

着方が絶対におかしい。可愛いけど、超可愛いんだけどそこだけは言わずにはいられなかった。

「〜〜〜っ、」

膝の上に乗せられた蓮は頬どころか顔を真っ赤にして、唇を噛みしめている。

心なしか涙目にも見える。そんなに噛みしめたら唇切れるっつーの。

指先を蓮の唇に乗せ、それを咥内へ入れ込むようにして噛むのを止めさせた。

「だぁめ、血ィ出ちゃうでしょー?」

顔を近づけてにこりと笑いながら蓮にそう言うと更に蓮の顔は紅潮する。

反撃無し。ただ顔を真っ赤にされると可愛すぎてどうしたらいいか分からなくなる。

しっかりと腰に手を回しているので蓮は逃げられない。さて、次は腕の中でどんな行動に出るのやらと少しばかりわくわくしていたら蓮はもぞもぞと動き、白いシャツの中にその身体全てを隠してしまった。

これでは顔さえも見えない。蓮は完全にただの白い塊と化してしまった。足は出てるけど。



「忘れろ。これは何かの間違いだから、今すぐお前の記憶から消去しろ。いいな」

白い塊は、俺の胸に突撃をしながらそう告げた。照れ隠しである事が手に取るように分かる。

「やだよ。俺の中のメモリーに保存されちゃったもん。削除なんて不可能です」

「っ!!ふざっ…けんな!!」

空気に晒されたままの蓮の足がじたばたと動き回る。離れようとでも言うのか。

ぜーったい、離してなんかやんないけど。



「なにがそんなに恥ずかしいのかねぇ」

「別に恥ずかしくない!しね!ばか!」

「じゃあ顔見せてよ」

「ヤダ」

「やっぱ照れてんじゃん」

「ち が う!」

足をじたばたさせながら暴言を吐くとか、本当に子供みたいで笑える。蓮だからこそ許される所業だ。

ああもうほんとにどんだけ可愛いのこの子は。

一体何がどうなってこんな可愛いことをしでかしてくれたのかとか、凄く気になるし、聞き出したいれけど、恐らくそれは物凄く難しい事のように思う。

ほんの少しの間しか見れなかったけれど、蓮の頬にはうっすらとではあったけれどソファで眠っていたと思われる不自然な線のような跡がついていた。推測するに、この子はシャツを着たままつい寝てしまったのではないだろうか。

考えるだけで眩暈がしそうになる。



たまらない。



今この距離で蓮の顔なんて見てしまったら何をしでかしてしまうか分かったものじゃない。

顔を隠していてくれてむしろ良かったのかもしれない。なんて思いながらも、やっぱり蓮の顔が見たくて、

触れたくて。



「俺、めっちゃ今幸せでやばいんですけど」

白い塊に顎を乗っけて、包み込むようにして抱きしめる。



「れーん、」

「…………」

「れーんくん、」

「…………」

「ちゅーしたい」

「………やだ。」

「えーーーなんでよ。まだただいまのちゅーもしてもらってないのよ、俺」

「そんなのした事ねえだろうが」

「そうだっけ?でも今俺、蓮とすごいちゅーしたいの。だめ?」

「………………。」

今度は否定もせず、だんまりだ。

腕の中の白い塊がもぞもぞと身じろぎする。

だから、そんな事しても逃げらんないんだって。

思わずくすりと笑みが零れる。



「ほんっと…可愛くって困るなあ」

無理矢理にだって顔を見る事は出来るけど、やっぱりそんな事は蓮にしたくないから。

蓮が顔を出すのを待ってやろう。

とは、思うのだけど触れたいという欲求はどうにも抑えられそうもない。

ちらり、と視線を落とせば無防備にさらされた蓮の太股が目につく。

蓮の身体に回していた腕の片方を外し、なぞる様にして触れた。びくん、と蓮の肩が揺れる。

微かにではあったが、小さく息をのむ音も聞こえた。悪くない反応に口の端がつい緩んでしまう。

つつつ、と付け根に向けて動かしていくと腕の中の塊はびくびくと揺れ動く。

「や、めろ…って」

「ちゅーさせてくれたらやめる」

「~~~っ」

ああ、今頃顔が出ていたら上目遣いで睨まれるんだろうなぁ とか、蓮について思う事は尽きない。



早く 早く 出てきてくれたらいいのに。

出てきたら目一杯甘やかしてやりたい。遅くなってごめんね、と謝りながら沢山のキスを降らせたい。



だから早く、出てきて。





「すきだよ、だいすき。蓮」



白い塊に唇を寄せてそっと囁いた。





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