大事なものは胸ポケットに

※こちらは「ハウルの動く城」夢です、主人公はハウルの妹。
設定は映画版ですが、すこしだけ原作のものも含まれます。
キャラ崩壊が激しいです、了承のうえお読みください。



 冷たい床に座っていると、幼かったころを思い出す。二つ年の離れた兄が、姉の大事な筆入れを壊したときのことだ。兄は外では大人しいひとだったが、家では少々乱暴ものであった。花瓶をなんども壊したし、暇さえあれば老いた飼い猫を追い掛け回す。そんなこんなで両親は、今回も兄の仕業に間違いないと思った。本当は、壊したのは別の人間だというのに。あのとき兄は妹であるエリーをかばって、筆入れを壊したのは自分だと名乗りを上げたのだ。
 もうどんな柄の筆入れだったかは、覚えていない。ただ、自分を守るように立ちはだかった背中が、エリーの脳裏にひどく焼き付いていた。



 いつからか、ハウルはエリーが自分のもとから離れることを嫌がるようになった。外へ遊びに行くときも、勉強するときも、いつも一緒。さすがに学校の時間は離れていたが、エリーに自由はないも同然だった。というのも、ハウルはひとたび癇癪を起こすと手が負えず、エリーがつねにストッパーを務めていた。不思議なことにエリーが側にいると、彼はたいていご機嫌だったのである。昼食に嫌いな野菜が出たとしても文句は言わないし、お手伝いだって素直にした。こっそり魔法を使って片付けることもあったが、それでも平和そのものだった。エリーが15歳になった、あの夏まではーー
「なぜだ、どうして……エリー、お前はどうして、そうすぐに言いつけを破るんだ……?」
 城の、リビングにて。エリーの襟元をつかみ、ハウルは言う。しかしその瞳はエリーを見ているようで、まったく見ていない。底知れない不安と疑念に覆われ、我を忘れている。エリーは息苦しさに顔をしかめるも、紡ぐ言葉を慎重に選んだ。
「兄さん、落ち着いて。ちがう、違うの……ジャックとはなにもないわ。ただ、挨拶をしただけよ」
「違う! あれは……あいつはっ! お前をたぶらかすつもりなんだ!」
 刹那、ぐっとエリーの首元が締まった。身長差のせいか、いくらか足が浮く。これにはさすがのエリーも、身の危険を感じた。ハウルが手を上げることは滅多にないのだが、今回はどうにもその逆鱗に触れたらしい。エリーはこうなっては最後の手段だと、首元にあるハウルの手に己のものを重ねる。そしてすがるように、彼の瞳に語りかけた。
「兄さん、信じて……お願いよ」
 見つめ合うこと数秒。ふ、とハウルの力が抜けた。エリーは盛大に、尻もちをつく。すると掃除をしていないだけあって埃がまい、エリーの顔をすこし汚した。喉にも入ったのか、反射的にこほこほと咳き込むーー
「エリー、もしかして風邪か? 風邪を引いたんだな……!」
 一体なにが起こったのか、エリーは一瞬わからなかった。しかし目の前にハウルの顔が大きく見えることと、つるつるとした透明な壁でことの次第を把握する。エリーはハウルの魔法によって、ちいさなガラス瓶に閉じ込められてしまった。体は親指ほどの大きさになり、声もねずみが鳴くくらいの音量になる。
「兄さん、出して! 私、風邪なんて引いてないわ!」
 力一杯ガラスを叩くが、びくともしない。それでもエリーは、訴えることをやめなかった。もしかしたら、騒ぎを聞きつけてマルクルが来てくれるかもしれない。ハウルが我に帰って、ごめんと笑いかけてくれるかもしれないーーしかしいくらそうしても、ハウルはあがくエリーを満足げに見つめるだけだった。もはや悦に満ちた表情は、惜しみなくさらされている。
「ああ……やっとこれで安心だ。エリー、ジャックだろうとセドリーだろうと、ぼくが君を守ってあげるからね。だからいまは、そこで風邪を治しなさい」
 いや、やめて。そんな叫び声などないもののように、ハウルはガラス瓶に栓をした。もうエリーの声は、一寸たりともハウルには届かない。救いの手を求めることも、出来なくなった。そしてエリーが入った小瓶は、ハウルの胸ポケットへとおさまる。絶対に逃がさないように、傷つけないようにと魔法がかかったそれは、ちょっとやそっとでは壊れない。
 黒くぬりつぶされた、視界。冷たい瓶のそこは、まるで兄の心のようだとエリーは思った。一体どうしてこうなってしまったのかと、悶々と考える。昔はあんなひとではなかった、とも。しかしハウルはまぎれもないエリーの兄で、エリーはハウルを変えてしまったという自覚がすくなからずあった。
 15歳の夏、エリーにはじめてのボーイフレンドが出来た日のこと。ハウルはひどい癇癪を起こして、エリーのボーイフレンドに怪我を負わせた。キスしようとした横顔を殴りつけ、挙げ句の果てには魔法でヒキガエルに変えてしまったのだ。以降、なぜかエリーは男性との交際を禁じられ、いまに至る。若い男とは、言葉をかわすことはおろか、目を合わせてもいけない。ハウルは言う、お前を穢すやつは許さないとーー

「まえはうっかり家へ置きっぱなしにして、マルクルに開けられてしまったからね。でもこれなら、ぼくしか開けられないし、ぼくだけがエリーを独り占めできる。どうだい、カルシファー? 画期的だろう?」
 胸元を大事そうにおさえながら、振り返る。その顔は、さきの狂気など微塵も感じさせなかった。しかし暖炉から一部始終を見ていたカルシファーは、奇妙なものでも見るようにしかめ面をする。ハウルのエリーに対する執着心はすでに知るところだが、さすがに見て見ぬふりも限界だった。
「ハウル、お前……エリーをどうしたいんだ?」
 カルシファーの問いかけに、ハウルは答えない。すたすたと扉の方へ向かっては、ノブを捻って闇のなかに消えた。その背を見たカルシファーは漠然と、あと数日は戻らないと思ったのだった。

back


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -