* 悲しげな顔に の続編です 三成を抱きしめたその日の夜、夢を見た。 「さよなら、三成」 そこは一面焼け野原で、静かに穏やかに――前に眠る愛しい人の死に顔のような穏やかな風が火薬のにおいを運んでいた。 家康はこの景色が夢であるということを一瞬理解できずに居た。あまりにも見覚えがあったのだ。 例えばこの目線の高さであったり、この空気であったり、この気持ちであったり、この場所であったり、この目の前で安らかに眠った愛しい人であったり。 しかし自分の思い通りに動かない身体に気がつき、やっとこれは『誰かの記憶』であることを理解した。 だが誰の記憶なのかは全くわからない。見覚えがあるだけだ。 もちろんこれは“家康の記憶”である。 1600年――天下分け目の関ヶ原。今の時代ではそう呼ばれる。 石田三成率いる西軍と、徳川家康率いる東軍が天下統一を目指し激突した戦だ。 今の家康は、誰かと視界と思考を共有している感覚である。今この愛しい人を殺した男の心情は何とも言いがたい、悲しく寂しく虚しく…しかし後悔はない、強い願望を抱く実に様々なものが渦巻くものだった。 それを感じた家康は男を酷く哀れんだ。男は愛しい人を殺さなくてはならなかった。ああ、何て酷い願望だったのだろう。と。 男と視界を共有している家康はあることに気が付いた。いや、気が付いていたのだが信じようとしなかった。しかし思い返してみれば男は彼の名を呟いていた。 あの死体は、三成だ。石田三成だ。間違いない。姿かたち、全部一致している。 ならば、この男はワシ自身か。家康は頭のどこかで理解した。 関ヶ原の戦いで勝ったのは徳川家康率いる東軍だ。ならこの男を…石田三成を殺したのは東軍総大将徳川家康に違いない。そしてその視界と思考を共有しているのだから、ほぼ確信できた。 しばらくして“徳川家康”は“石田三成”の死に顔を眺めるのを止め立ち上がった。そして歩んでいく。 家康の心はこのとき、三成に対しとてつもない罪悪感を生み出した。 目を覚ませばそこはいつもの光景。 関ヶ原でもなければ、火薬のにおいすらするわけがなく、もちろん“石田三成”の遺体も転がってはいない。 だが不思議なことに、あの夢の影響なのか家康は“徳川家康の記憶”を取り戻していた。豊臣に下り石田三成と共に戦った事から死ぬまでの記憶を思い出した。まるで“徳川家康”が家康に乗り込んだようだった。 眠気で重い身体を起こし、これから三成の顔を見るということを考えた瞬間どうしようもないくらい気分が沈むのを感じた。 しかしいつまでもこうしているわけにもいかず、戦場を駆け回った生活とは異なった、定められた生活を送るために家康はベッドから立ち上がった。 *** 何故天下のために民のために自分の欲のために愛した人を殺したワシが転生し、また三成と廻りあい幸せに生きているのだ。 登校しながらそう頭の中でぐるぐると回る言葉。あの夢からずっとそうだった。 三成に合わせる顔がない。三成は“覚えている”のだろうか?覚えていたのなら家康はしてほしいことがあった。 学校に到着し教室に入ると自分と遠いところに席がある三成はすでに登校していて、珍しいことに机に突っ伏していた。普段なら静かに読書をしているか、音楽を聴いている。 それが今は静かにただただ突っ伏しているのだ。しばらく視線を送っていれば、何か気が付いたのか三成は顔を上げ家康が居る方を見、彼を見つけた。 不意に家康は“三成”があの、己を嫌悪する目でこちらを見るのではないかと怯んだが、意外にも三成の顔はどこか気まずそうだった。ほっと胸をなでおろし、家康はそんな気まずそうな顔をした三成へ歩み寄る。 「おはよう三成。昨晩はよく眠れたか」 「いや、妙な夢を見た。」 家康は特に驚くことはなかった。むしろ、ああやはり。という気分でもあった。 それってもしかして、と家康は彼に問いかける。 「ワシに殺される夢か?1600年、関ヶ原の戦いで。」 逆にそう問われた三成が目を大きく見開いた。視線は彷徨い、どこを見つめればいいのかわからず結局俯く。こんな話誰かに聞かれたら気味悪がられるだろう。そう家康は思い、場所をうつすことにした。 家康も三成も朝学校に来るのは早いためHRには余裕がある。2人は屋上へと向かった。昼時間ならともかくこの時間なら誰も居ない。 ずっと俯いたままの三成は、やはり家康と同じ夢を見ていたようだ。また、彼も“石田三成”と視界と思考を共有し、あの場に倒れこんでいたのだ。 階段を上り終え、屋上の柵まで歩み寄り柵に腕を乗せ街を見渡すように家康は息をついた。 その隣に三成が立ち、同じように重い息を吐いた。 「三成、思いだしたのだろう?」 空を、街を、人々の生活を見ながらこの手で作り上げた泰平の世。愛した人を殺めてまで欲しかったこの平和。 またそれを見渡す隣の男は心底驚いたような顔をする。 「まさか、貴様もか…」 「…あの夢が、ワシらの記憶の鍵だったのかもなぁ」 はは、と家康は困ったように笑う。もう二度と逢えるものかと思っていた。再び生まれ変われたとしてももう何も関わることはないと。 しかし運命とやらは随分と悪戯が好きなようで、2人をこうして引き合わせた。 敬愛する主君を殺され本気で殺してやろうと狂気に囚われた男と、そんな男との絆を断ち切ってでも泰平の世を欲した男。そして2人は衝突し結果、狂気に囚われた男が絆を断ち切った男に殺された。 こんな最悪な関係を再び引き合わさるとは、家康は苦笑するしかなかった。 「それじゃあ、幼い頃手を伸ばしあったってのも頷けるな。」 「あの話か」 「ああ。ワシは三成との絆を再び紡ごうとした。…きっとお前はワシを殺そうとしたのだろうな」 不意に街を見渡していた家康の視線が足元へと落ちる。そんな家康の発言に三成は何もいえなかった。 仮にもこの記憶を思い出す前までは、そこそこ仲のいい友人同士だった。それが今、記憶を思い出してから家康の態度である。それが無性に三成の腹を立てさせた。 「違う」 やっとの思いで三成は呟く。家康の頭は上がらなかった。 「私は、確かに貴様に手を伸ばした。だが、」 家康を殺すつもりはもう。三成の言葉は最後まで発せられることはなかった。また昨日のように抱きつかれただとかではなく、さえぎられた。あまりにも、残酷な言葉によって。 「ワシを殺せ、三成」 *** 三成には家康の発した言葉の意味があまり理解できなかった。そのため数秒考え込んだ。 いつものような明るい雰囲気はなく、今あるのは…――以前というより前世のある日、あれは徳川軍が豊臣軍を侵攻前の日だっただろうか。その日のような思いつめ悩んでいるようなあのもどかしい雰囲気。 当時の三成もその時の家康の態度には大層腹を立てた。それが今よみがえったかのように三成を突き動かす。 「…ふざけるな!!」 柵に腕を乗せていた家康の大きなたくましい身体を三成の全身の力で胸倉を掴み上げる。大して変わらない身長のため息苦しくはなる事はないのだが、家康の顔は前世でも見たことないほどに――いや、ある。三成が死ぬ間際に見せた表情だった。それほどにつらそうな顔をしていた。 「ふざけるなッ!!私は…私は…!!」 「…………」 家康は特に抵抗することも、反論することもなかった。すべてにおいて無力。 そんな態度を見て、殺意も沸くが前世のように怒り狂うほどの殺意ではもちろんない。 「私はもうあの“私”ではない!今の私は貴様の腐れ縁の石田三成だ!!貴様は私の腐れ縁の徳川家康だ!!すでに凶王ではなければ貴様も東照でもない!」 胸倉を掴みながら揺すり、怒鳴りつけると今まで下を俯いていた家康が三成の瞳を捉えた。 その瞳はすべてを見る瞳だ。三成はいつも思う。それと同時に、やはりこの瞳は嫌いだ、と。 「ワシはお前を殺した、秀吉公も殺した。」 「それ以上口にすれば今ここで貴様との縁を切ってやるッ!!」 三成の怒鳴りで家康の口は閉ざされた。絆の力を説く男にとって、三成は大切な絆を結ぶ1人である。 死しても絆が解かれることはない。それは前世から今世にかけて今この状況で2人は理解していた。死より絆を失うほうが家康にとって恐ろしいものだったのだ。 一度は涙して手放したものが運命によってまた手の届く場所に居る、それをわざわざ手放そうとする馬鹿がどこに居ようか? 「なら、三成はワシが憎くないのか?許せるのか?」 「…一度死に、その情は置いてきた。貴様のほうがよっぽどその情を拾ってきたように思えるな」 掴んでいた胸倉を乱暴に払い、三成は家康に背を向ける。 「多生の縁だ。今回ばかりは貴様と普通に暮らせればいい。」 「三成…。…そうか、解った。ならばワシは今世では三成を至極幸せにしてみせよう!」 前世で悲惨な別れを遂げたのだ。家康の胸にはすでに三成への想いは募りに募っている。それは前の世で愛されて愛したのだから当然三成にも芽生えている。 その上腐れ縁からの感情もあったのだ。自分らは記憶を取り戻すことなくとも、再びこの関係になっていただろう。 それは運命の悪戯というよりかは家康の言う絆の力のほうが解りやすい。 「好きにしろ。…だが、裏切りは許さない。」 「ああ。もうこの世は平和だ、その必要なんかどこにもないさ」 家康は背を向ける愛しい男に歩み寄る。この手はもう男の腕を、掌を、掴むことが出来る。骨を砕いた手は嘗てのように肌を撫でることが出来る。 後ろからそっと最も愛しい男の身体を抱き寄せれば、三成は小さく笑んだ。 「ああ、幸せだなあ三成」 「…ふん」 返事の代わりに三成は身体を抱きしめ離れない家康の手の甲を優しく撫でた。 幸せそうな顔に くちびるを降らせて。 -------- 幸せで、幸せで仕方ないしあわせきがはら。 三成は憎しみだとかは置いてきたけれど、無念だった家康への気持ちは持ってきてたよ。というお話。 |