放課後、正臣も、園原さんも用事があるらしく一人で帰宅する道中、ふと、池袋の町を散策してみようと思った。梅雨の季節の珍しい晴れ間だったからかもしれない。なんとなく、このまま家に帰るのはもったいないような気がした。
 駅前から少し離れて、細々とした建物の立ち並ぶ路地裏へと足を運ぶと、小ぢんまりとした駄菓子屋があるのを見つけた。都会にも、こんな店がまだ存在したのかとちょっと感心したような気になって、故郷の風景と重なり、ふらりと足を店の中に運んでみる。喉が渇いたような気もするし、ラムネでも買おう。
「あ、」
「おや、こんなとこで会うなんて奇遇だねぇ」
 古びた店内に入るとそこには、どこか懐かしい駄菓子と、それに似合わない眉目秀麗な青年がいた。臨也さんだ。座敷に座って店主さんと雑談していたらしい彼は、僕を見つけるとちょっと驚いたように笑って手を振ってきた。
 上質な黒のファーコートと、黒のズボンに彼の何処か危うい雰囲気は、どこまでも、のんびりとした優しく懐かしい店内には似合わない。しかし、店主さんはそんなことなど気にした様子もなく、臨也くんの友達かいと尋ねている。臨也さんが君付けされ、まるで子供のように扱われているその風景は、不思議と懐かしいような気がした。
 店主さんに挨拶をし、臨也さんのほうに向く。
「……似合わない……」
 臨也さんにも挨拶をしようとか、なじみの店なんですかとか、言うべきことは他にも複数あったはずなのに、やっぱり駄菓子屋の座敷に座って寛ぐ臨也さんのミスマッチ具合に思わず本音が出る。
 すぐに、失礼なことを言ってしまったと思って謝ろうとすれば、臨也さんは、そんな僕の呟きに目を見開いていて、そのまま腹を抱えて爆笑した。店主さんもおかしそうに笑う。
「会って第一声がそれって……あっははは……はぁ、おかしいね帝人君は」
 ひとしきり笑うと、よほどおかしかったのか目じりに浮かんだ涙を臨也さんはぬぐった。申し訳なさに居た堪れなさが加わって、僕は臨也さんのほうを見ずにすみません、とだけ謝った。臨也さんは別に気にしてなかったらしく軽く別に良いよーなんて言ってまた笑ってる。
 小学校からずっと来良に通っていた臨也さんは、どうやらこの駄菓子屋によく来ていたらしく、今でもたまにこうやって足を運ぶらしい。ラムネを二つ買った臨也さんは店主に挨拶をしてから僕の手を引いて店を出た。少しひんやりとした路地裏の適当な場所に臨也さんは腰を下ろして、僕にはい、とラムネを一つ渡した。
「のど、渇いてるでしょ?」
「えっと、あの……すみませんありがとうございます」
 遠慮するべきかとも思ったのだけど、駄菓子屋で買ったラムネ一つに遠慮するのもそれはそれで失礼な気がして、素直に受け取ることにした。臨也さんは、今度はたしたしと彼の隣をたたいた。座れ、ということなのだろうか。
「失礼します」
 すとん、と彼の隣に座れば、満足そうな気配がしたので多分間違ってなかったのだろう。ぴりりとラベルをはがしてぐっとビー玉を押し込めば、プシュッと勢い良く空気の抜ける音がする。そのままぐっと力を込めて、炭酸が落ち着くのを待つ。
「うまいね」
「あ、地元でよく飲んでたので」
 口に含めば、かったるい甘さと炭酸の刺激が広がる。梅雨の蒸すような暑さに丁度いい。
「時々飲みたくなるんだけどさー、身体に悪い味するよね」
 臨也さんも、ラムネをあふれさせることなく開け、口に含んだ。しかし、少し眉をしかめあまりおいしそうにはしていない。
「甘い」
 不機嫌そうにそう告げる臨也さんは、本当にいやそうな顔をしてる。分かっていても飲みたくなる気持ちは分からないでもないが、そんな顔をするならばやはり買わなければ良いのにと思う。
「なんかさぁ、あの店、凄く居心地良いんだよね。のんびりとしてて、ちょっと優しくて、さ」
 ちゃぷんという水音が聞こえる。持て余すように、ラムネを振って中のビー玉を転がす臨也さんはラムネだけでなく気持ちも持て余してるように見えた。
「帝人君みたい」
「へっ」
 ぼそりと消え入るように彼が呟いた言葉は、しかし僕の耳にしっかりと届く。反射的に臨也さんを見やれば、ラムネの中のビー玉を退屈そうに覗いていた。
「帝人君みたい」
 もう一度、彼は呟く。ふっと浮かべられた微笑は、思いのほか優しくて、彼はこんな表情もできるのかという驚きと、僕みたいという比喩に込められた思いを想ってどうしたら良いのか分からない。
「俺はね、帝人君。君のこと、結構気に入ってるんだよ」
 伸ばされた手を、どうしたら良いのかわからずぼんやりと眺めていたら、親指と中指で丸が作られそのまま僕のおでこを弾いた。
 思わず、口からは短い悲鳴がこぼれ、手からはラムネが滑り落ちる。幸い、僕にも臨也さんにもその液体がかかることはなく、カランと高い音を立てて転がっていった。
 もったいないと思う間に、臨也さんは彼の分のラムネを僕に手渡して立ち上がる。
「あげる」
 そう短く告げて、立ち去っていく臨也さんを、僕はそのままぼんやりと見送った。残ったのは、空になって転がるラムネのビンと、ぬるくなった臨也さんの分のまだ十分に残っているラムネと、どうしたら良いのか分からない僕だ。
 仕方なく、臨也さんのぶんのラムネを口に含めば、案の定炭酸は抜け気って、ただ、のったりとした甘さだけが口に残った。
 それが妙に、臨也さんみたいだと思った。
 のどの渇きを潤すために含んだ最初の一口は、程よい刺激と甘さがとても美味しいのに、そのうちに刺激は少なくなってのったりとした甘さだけが残る。残った甘さはのどの渇きを生み、また同じものを求め、いつかきっと最初に望んでいたものがなんだったのか思い出せなくなっていくのだろう。

モドル

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