毛布が自身の体温に慣れてくる。ベッドへ寝転がって、どれだけの時間が過ぎただろう?

――途方も無い考え事を、していて。

明日の不安に悩みながら、何時の間にか、夢を見ていた。



紅い夕暮れ
I had the dream before one is aware.





人波が消え、静寂に包まれた校舎。
相反して、遠くから聞こえるのは、騒がしい校庭での掛け声や笑い声。
少しずつ朱色に染まり行く空を背景に、私はその様子をただ一人、眺めていた。

光る汗、泥まみれの笑顔、リアルタイムの青春ドラマ。
カキィンと心地のよい金属音が鳴り響き、空へ孤を描く白球が美しい。
それをしげしげと、余裕のある微笑で見上げるのは、同じクラスの御柳芭唐君。
授業を真面目に受ける所か、まともに出席すらしない彼の、意外な一面が私は好きだった。

彼はクラスでも、墨蓮君などという固定の人としか行動する事は無い。
それでも、大抵は一人。寝ているのか、教室に姿を現せないかのどちらかで。
たまに、クラスの女子へ話し掛けているのを見る事もあるけれど
それはやっこやゆんちゃんという、ギャル系の、気の強そうな女の子。
極普通のグループに所属する、極普通の私に、彼との接点はほとんど皆無だった。

――でも、自分から話し掛けるなんて出来なくて。

御柳君が怖いんじゃない。
彼の存在が怖いわけなんかじゃ、全くないのだけれど
「ウザイ」とか「鬱陶しい」とか思われるんじゃないかって、不安だった。
いきなり馴れ馴れしく出来る程の勇気も、余裕も、私は持ってなどいないから。


「見てるだけなら、自由だから」


いつだったか、友達にそう言った記憶はまだ新しい。
本当にそう思っていたのか、はたまた自分へと言い聞かせていたのか

今考えれば、それはもうわからない事なのだけれど。




いつのまにか時間が過ぎ、変わらぬのままの空へチャイムが響いた。
時計まで目を走らせると、時針は午後五時ちょっと前を指している。


(もうそろそろ、野球部も終わる時間か)


そういえば、随分と日も長くなったな、と思い返す。野球部と仲良く一緒に帰宅・・・なんて勿論出来ない私は、早急に荷物を鞄へ詰め込んだ。

一年玄関までゆっくり歩き、今日もまた人の少ない並木道を通り抜け・・・る筈だったのだが、ガヤガヤと、こちらに向かって歩いてくる集団は、見間違いじゃない。


(野球部・・・・・・?)


どうして、まだ五時になってなんか居ないのに。
あの強面な部長が、早くに切り上げる事など今までなかったのに。


(ああ、それよりも)


早く逃げなくっちゃ。
そうは思ったものの、既にもう手遅れだったようで。
私の存在に気付いた墨蓮君が、笑顔で手を振っていた。


「苗字さん、どうしたのー?居残り?」

「あ、うん。ちょっと、日直で・・・」

「あ、そっかー!大変だね!もう終わったの?」

「う、うん、終わったよ。今帰るところ」

「へぇー、じゃぁ俺らと一緒だね!」


キラキラ、純粋な笑顔が眩しい。
大した嘘を吐いたわけじゃないのに、何だか後ろめたさで一杯だ。


スパイクの紐を上手に解いていく指。
ローファーに履き替えにでも来たのだろうか?御柳君も、同じように靴を脱いでいた。


「それじゃぁ、」

「あれ、帰っちゃうの?」


彼らより幾分早く履き替えていた私は、ボロが出る前にその場を立ち去ろうと歩みを進める。
だけど、悪意の無い手に引き止められ、それは余儀なく断念せざるおえなくなった。


「・・・・・・・・・!」

「折角だしさ、途中まで一緒に帰ろうよ。ここら辺最近危ないって聞くし」

「え、え・・・でも、悪いし・・・」

「なに気にしてんの!御柳もそう思うよね?」

「あー、んだなぁー。っつか苗字チャンって家何処よ?」


――苗字チャン。
たった、それだけの一言に、頬が少し熱くなるのを感じる。


(名前、知ってたんだ・・・)


「○○区の・・・」

「あ、おんなじ方向じゃん!じゃぁいいよね?決定ー」

「ぇ、えぇえぇぇ?」

「苗字チャン、うろたえ過ぎだけど」


柔らかく強制的に話を進めていく墨蓮君と、私の様子にけらけら笑う御柳君。
初めて、自分自身へ笑顔を向けられた瞬間。


(心臓が、壊れそうだ)





「じゃぁ、俺と御柳はチャリ取って来るからちょっと待っててー」

「あ、う、うん!」


玄関前に取り残された私。
どきどき、どきどき、どうにかなってしまいそうな位、痛む胸。
今の内に逃げ出したら、二人は怒るだろうか?


(ドキドキしすぎてお腹痛くなりそう)


「お待たせー」

「あ、お帰りっ」

「じゃー、名前ちゃんは御柳の後ろね!俺途中で道別だから」

「へ、え?御柳君の?」

「何、俺じゃ役不足?」

「ちちち違うよ!や、いいのかなって・・・」

「今度はドモリ過ぎ。いーからさっさと乗れよ」


ぐぃっと腕を引っ張られて、荷台に腰かけらされる。
教室でもたまに感じる香水と、汗の交じった匂いがした。


「スカート大丈夫?」

「うん、横乗りだから平気」

「そっか、捲れないように抑えときなよ?」

「心配してくれてありがとう、墨蓮君」

「マジ気をつけろよ?一番見たがってんのソイツだぜ」

「ちょ、御柳!変な事吹き込まないでよ!」

「あはは」


帰り際、とんだハプニング。
さっきから不整脈は、激しく加速していくばかり。

帰るまでに生きてられるかな、

混乱した頭の中で、私は見当違いな心配しか浮かんでこなかった。




「じゃぁ、名前ちゃんは部活やってないんだー?」

「うん、やりたいけど、そんなに運動得意じゃないし・・・」

「あぁー・・・吹奏楽とかは?あ、でも持ち上がりがほとんどかぁ」

「そうそう、入っても鍵盤ハーモニカしか弾けないよ」

「あははは!懐かしいねそれ!あ、なんなら野球部マネしたら?」

「ぇえ!?でも部長さん怖そうだもん、監督さんも色んな意味で怖そうだし・・・」

「屑桐先輩は優しいよー、監督は・・・俺もよくわかんないけど」


自転車が走り出して数分。
社交的な凌君(気がついたらお互いに名前呼びだった)は沢山話し掛けてきてくれて、もう随分馴染んだと思う。
クラスの中でも結構人気のある彼。その理由が、わかった気がした。


「あ、じゃぁ俺こっちだから!」

「そっか、また明日ねー」

「うん!明日アド教えてよ、名前ちゃん面白いし」

「そうかなぁ?うん、いいよ。明日ね!」

「やった、アドゲット!じゃぁ、ばいばーい」


最初から最後まで笑顔だった凌君に手を振り、ふと空を見上げた。
流れていく景色は、さっきより赤くなっていて。

静寂に、戸惑う。

静かになった空間は、御柳君の香水の香りをより引き立てていた。


「・・・苗字チャン、さ、」

「え?」

「日直なんて嘘でしょ」

「!?」


沈黙を破った御柳君の言葉。
さして悪いことをしたわけでもない癖に、すぅっと血の気が引く。


「な、何で?」

「だって、今日俺が日直だし」

「嘘!?」

「あ、やっぱ嘘なんだ」


少し顔をこちらに向けて、にやりと笑う御柳君。
引っ掛けられた!と思いながら、不覚にもまた心臓が跳ねる。


「っつーかさぁ、いっつも居残りしてんじゃん?何で?」

「え、何でって・・・っや、何で知ってるの?」

「グラウンドから丸見えなんよ、俺らの教室」


そういう御柳君の顔は窺えなくて、私は何て答えればいいのか、解らなかった。
今読んでる漫画で言えば、絶対"変化系"ってやつ、だ。
語尾に記号を付けて話すあのキャラと、掴めなさがどうにも被る。


「で、誰見てたんさ?」

「え、誰って・・・・・・」

「好きな奴いんじゃねーの?いっつも居るし、苗字チャン居残りする程頭悪くねーっしょ」


まさか、「貴方です」なんて、言えるわけが無い。
どうシラを切ろうと必死に考えてると


「言うまで帰さねーからな」


御柳君って、こういうキャラだったんだ・・・。

押し黙ってしまった私と、私の答えを待つ御柳君。
そうしている内に、私の家はどんどん近づいてくる。


(本当に帰して貰えなかったらどうしよう・・・)


「あ・・・」


ついに、曲がるべき道すらも過ぎてしまった。


「なした?」

「・・・・・・っ!」


急にブレーキを踏む彼。
そこまでの勢いは無かったものの、私の顔は御柳君の背中と衝突。


「あー、もしかして通り過ぎたっぽい?」

「あ、うん・・・・・」

「悪ぃ悪ぃ」


振り向く御柳君の少し高い位置にある顔を見上げる。

ぶつけた鼻が痛くて熱かったのか
夕焼けがそうさせたのか
それとも、大好きな人の笑顔のせいか

体中の血が沸騰しそう。
気をつけないと、茹で上がった頭ではうっかり告白すら口にしてしまいそうで。
思わず目をそらしたら、ポンポンと、頭に手を置かれた。


「小っせーの」

「なっ、御柳君が大きいんだよ!」

「さて、俺の名前はなんでしょう?」

「へ?」


脈絡の無い会話に、脳みそがついていかない。
本当に、何を考えてるのかわからない人だ。


「御柳・・・くん、でしょ?」

「当たってるけどそれは苗字。俺が聞いてるのは、名前」

「ば・・・から、君?」

「ん、正解」


すると、御柳君はポケットからガムを取り出して、私に差し出した。


「賞品、バブリシャス」

「あ、ありがとう・・・」

「で、俺の事はそっちで呼べよ。御柳君ってかぃーかぃー」

「え、?」

「何その反応。墨は呼べて俺は呼べねーの?」

「や、そ、そんな事ないけど・・・」


「本当にいいの?」って、聞こうとしたら、御柳君は怪訝そうな顔を再び笑顔に変えて


「芭唐。はい復唱」

「ぇ?え?」

「いーから、マジで帰さねーぞ」

「ば、芭唐、君?」

「君は余計」

「ば、から・・・・・?」

「うし、良く出来ました」


またあの大きな手のひらが伸びてくる。
思わずぎゅっと目を瞑ると、今度は優しく私の髪を通り抜ける指先。


「名前、番号なんばん?」

「え、090の・・・・・」

「じゃぁ、次アド」

「・・・・の、ドコモで・・・・」

「っし、登録完了。今日はこれで見逃してやんよ」


悪戯っ子さながらの、不適な微笑。
真っ赤な夕焼けが、私の心臓を鷲掴みにして離さない。


「メールすっから」




――♪ ♪♪

TIME.○/○/○ 22:34
FROM.○○@docomo...
SUB.無題
―――――――――――――
御柳芭唐。
090-xxxx-xxxx
登録しとけよ?


嘘みたいな、遠い幻のような、現実。
ベッドの横で震える携帯に、翻弄されっぱなしの臓器。


(明日、ちゃんと話せるかな)

(笑って挨拶、出来るかな)


途方も無い、考え事。
覚醒してしまった、眠れそうにもない目を擦って
明日に募るのは、大きな不安と小さな期待。


(気まぐれだよ、こんな。芭唐は、変化系なんだから)




消せない不安 打ち砕けない期待

振り払えない、夕暮れに焼き付けられた好きな人。


いつもより、長い夜。




(気付いてたんよ、グラウンドを見るいつもの視線)
(だって俺は、アンタをずっと目で追ってたんだからさ)


2006.xx.xx
2012.05.15 再アップ



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