――カキィン


野球グラウンドの方角から、金属と硬球の恋に落ちる音が聞こえる。
ワァワァとざわめき立つ声の波は遠く、やけに耳へつくのは放課後の青春よりもチクタクというせっかちな時計の音。


窓際、温かい太陽の光が差し込む校舎内。
軽い眠気に誘われながらも、睡魔に敗退した隣人の二の舞にはなりたくない訳で。


(それにしても、どうして私が)


本来ならば、今頃は自室ベッドの上で、この太陽の光を浴びていた筈なのだ。
まどろむ目を擦りながら、「夕飯まで寝ようか」なんて、独り言を呟いていたかもしれない。
しかし、どうして、予期せぬ面倒事を押し付けられたものだ。


昼食の時、忘れてた飲み物を面倒だと買いに行かなかったのが悪いのか?
そのせいで授業が終わるや早々喉が渇き、自宅まで我慢しなかったのが悪いのか?
それとも、あろうことか教室に戻り、好きだけれど得意ではない炭酸飲料をちびちびと飲んでいたせいなのか・・・。


いや、それより遡る事、学級委員長という役柄を成績という理由だけで担任教師に押し付けられたのが、まずの原因なのか。


つまる事、私は何故か張り切り過ぎた入学初日の実力テストで好成績を取り、それだけの理由で学級委員長に任命され、本日、大好物のコカ・コーラを爽快に(しかしゆっくりと)飲み干そうとした寸前で、偶然教室へと帰ってきた担任に「ちょうど良かった!補習の奴逃げ出さないよう見張っててくれ」と笑顔で言われた挙句、早急に断ろうとするも、担任教師はその行動を予測してか、ニンマリと嫌な微笑みで言い放った。


「苗字は学級委員長だし、暇そうだもんな!」


新米面のあんチクショウは、ことごとく私の拒否権を否定する。
術を奪われた私は、仕方ない、YESの代わりに盛大なため息をプレゼントして差し上げた。


こんな一学期早々に補習とはどんな馬鹿が居たもんだと頭を捻らせれば、担任と入れ違いに教室へ入ってきたのは、キツネ目の背が高い少年――御柳なんとか君。
バカだかアホだか、確かそんな単語が名前に入っていたと思う、通称ガム男。(心の中でそう呼んでいる)(だっていつもガム噛んでるんだもの)


どうやら補習は彼だけだったようで、クラスメイトが帰宅した空間には私と彼の二人っきり。
確か野球部のエースらしい彼だから、スポーツばかりで勉強には身が入っていないのか・・・と思いきや、決してそうでは無いらしく、ただサボり過ぎた授業の穴埋めという事らしい。(担任はクラスメイトに甘いのだ)


しかし、そんな好意を意とも簡単に踏み倒してしまう彼だからこそ、私が見張りに任命されたというわけで。


(ああ、何てはた迷惑な奴だ。ガム男め。)


別にさして仲良くない私たちの間には、一時間程も会話が無く、気がつけばこの有様。
彼は自身の腕につっぷしながら、夢の世界を彷徨っている。


勿論、私は起こさない。
気持ちよく寝ているのを邪魔される苦痛が理解できるというのもあるが、私は"逃げ出さない"為の見張りを任されただけであって、"寝ないように"の為の見張りでは無いからだ。
寝起き特有の機嫌の急降下に伴う八つ当たりなんて真っ平御免。私にそんな事される筋合いなど無い。


――カキィン


二度目のホームラン音が、鼓膜を刺激した。
ふと意識をそちらへ運べば、外周を走る柔道部のいかつい掛け声も聞こえてくる。


この見るからに軽そうな男も、本来はあの青春の一部であると思うと、何故だか可笑しかった。


(に・・・似 合 わ な い !)


グラウンドで泥だらけの姿よりも、都会でチャラチャラとナンパでもしている姿の方が、しっくりきてしまう。
まぁ、そんな失礼な台詞なんて、口が裂けても本人には言えないわけだが。


「ん・・・・・・・」


時計の音を遮るかのように、何やら可愛らしい声でガム男君が寝返り?をうった。
外の風景から視線を戻すと、つっぷしていた顔はこちらを向いている。
制服に擦れたのか、いつもの赤いアイシャドーは取れ、すっぴんの、寝顔。
それはやはり高校一年生。背がいくらデカいといえど、幼さの残るその顔は、まるで小学生のようだ。


不本意にも、「可愛い」なんて呟いてしまった。(教室に人が居なくて本当に良かった)


何となく手を伸ばし、軽く頬に触れてみる。
くすぐったいのか眉をしかめ、「うぅ」と彼は肩に力を込めた。


(やば、面白い・・・)


まるで子供のような悪戯心に、火がついた。
居残りの仕返しだと言わんばかりに、私はなおも彼の顔を弄ぶ。(表現が、卑猥だ)


――少し日に焼けた、その肌。(やっぱりスポーツしてるとすべすべだ)

――整えられた眉。(自分でやってるのかな、上手いなオィ)

――微かに揺れる、睫毛。(意外と長いんだ、羨ましい)


そうしている内に、彼は思っていたよりもカッコいい人なのだという事実に気が付いた。
今まで全くと言っていいほど興味が無かった上、ほとんど教室に居ない彼の顔をここまでちゃんと見た(見つめた?)のは初体験。
時折漏らす声はやっぱり子供みたいに可愛くて、一方的な母性本能まで芽生えそうだ。


(しかし如何して目を覚まさないんだ、コイツは)


そういえば、今更だが彼はクラスの女子に絶大なる人気を誇っている。いや、クラスに限らず全学年の女子に人気がある。
この寝顔を写メに納めれば、きっといい値で売れてくれるだろう。
なんてったって、"寝顔"。恋する乙女の大好物。

善は急げ、と言わんばかりに、私は鞄から携帯を取り出した。
待ち受け用から少し大きめのサイズに変更し、スピーカーを抑えてカメラを向ける。
当のモデル本人様は、私の卑しい考えも知らずに夢の中。自然と口端が、釣り上がる感覚。


――♪ ♪♪


己の指というシェルターにより、くぐもったシャッター音が鳴り響く。一瞬どきりと心臓が跳ねたけれど、嬉しい事に彼は目を覚まさなかった。
何だか一発目で結構上手く撮れたので、それはフォルダに保存しておく。それから同じ手法で数枚彼の寝顔を抑え、画像容量が警告を放った辺りでその手を止めた。


(まぁ、売って消せばいいか)


一応確認、と、その写メを見つめる。
うん、私、案外カメラマンとか向いているかもしれない。
プリクラはともかく、写真だと綺麗な美人も普通程度になってしまう事もあるが、モデルのせいか、はたまた私の腕のおかげなのか、彼の表情は酷く愛らしく写っていた。


何だか無償に誰かへ自慢したくなって、アドレス帳検索に移る。
彼は野球部のエース・・・という事は、我が校に限らず他校にも人気があるかもしれない。
そういえば、十二支にやたらと金にがめつい友達がいたっけ。いい品物を提供すると言えば、きっと高値で買ってくれるだろう。


「んー・・・・・・くぅ・・・」


――と、散々思考を巡らせれば、小さく声を立てる隣人。
下心満載の心を見透かされたのかと驚いてみやれば、ガム男君はうなっただけでやっぱり寝ていた。


(び、ビックリさせんじゃないわよ・・・)


何となく、本当に、先ほどよりも至極軽い気持ちで、その髪に手を伸ばす。
痛んでそうな髪は予想よりはるかにさわり心地がよく、さらさらと指の間を零れて。そのまま頭を撫ぜていると、ああ、なんて事だろう!


「・・・・・・名前・・・」


嘘みたいな本物の寝言が、純真無垢な微笑みと同時に囁かれた。

寝ている彼が確信犯である訳が無いし、狸寝入りならば先ほどの撮影会も確実に中断させられていただろう。


(・・・・・っていうか、)


ガム男君は私の名前を、呼んだことなんて一度も無い。
私だって彼の下の名前をおぼろげに記憶している程度の付き合いなのだ。


(・・・・・・一人っきりの時、私の名前、呼んでるの?)


そう思うと、急に顔が熱くなってきた。何だコレ、本当、ある意味不意打ちの告白ではないか。


(あー・・・・・・)


私は一度やり場の無い手で頭を掻くと、作成中のメール画面を終了した。


(もう、もう、もう、)


ミイラ取りがミイラになる。
まさに今の私の心情にピッタリな言葉だ。


売りさばくだけのつもりで撮った写メ。私はきっと、この寝顔を売れない。渡せない。
酷く、酷く幼稚な独占欲が、急激に芽生えてしまったからだ。




携帯という牢の中

閉じ込めた君 飛び出した恋




(負けっぱなしは趣味じゃないから)(目が覚めたと同時に言ってあげる)

「私、君が好きかもしれない」


2006.xx.xx
2012.05.15 加筆修正・再アップ



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