昔々、おじいさんとおばあさんが出逢うより前に、私はこの街を出て行った。
その頃とは打って変わって、煌びやかになったこの街に帰ってきたのは、百何年ぶりだろう。
みんなで食べたお団子屋さんはそびえ立つビルに変わり、夏になれば涼んだ河原は、コンクリートで舗装されている。
思い出に浸ることでこんなにも物悲しくなるのなら、出て行かなければよかったのに――そう、過去の自分を嘲笑った。
――出て行った理由なんて、たかが知れている。
“失恋したから髪を切る”女の子と、同じようなものだ。
私みたいな長命のモノノケにとって、髪を切るなんて造作もないこと。気がつけば(といっても、何年間かすれば)、伸びているんだから。
それに、髪だけは切りたくなかった。いくら、“失恋した”からって、それだけは嫌だった。
――彼が褒めてくれた、唯一の物だったから。
この街に帰ってきたのは、単純に気が向いたからだと思う。
ぼんやりと山奥で暮らしているのに、飽きたからなのかもしれない。
木も、花も、森もなくなってしまったこの街――東京。森で仲良くなった動物の一族達は、東京には行くなと散々忠告してくれた。
動物はさばかれるか、愛玩用に売り飛ばされるし、私たち魔物は物珍しさで売り飛ばされるから、と。
「それでなくても貴女は世間知らずなのだから、気をつけなさい」
特に仲良くなった湖の長老に、そう言われた。(出逢った頃は稚魚だったのに)(いつの間にか立派になってしまった)
それでも私がここ――東京に来たのは、昔、あの頃、みんなで見た桜の木が、また見たくなったからだ。
――・・・この様子だと、刈り取られてしまった可能性の方が高いけど。
そうして記憶を頼りにうろうろとしていたら、案の定、迷子になってしまった。
きらきら、きらきら、星の見えないネオンの真ん中で、一人ぼっち。
次第に息も苦しくなってきた――ここには、緑も、天然水も少なすぎる。
革靴、ヒール、革靴、サンダル――行き交う人の足たちを見ながら、ぼんやりと遠のいていく意識。
その時――ガチャ 目の前で、音がした。
「なんや・・・何でこんなトコに精霊(ニンフ)がおんねや」
「・・・・・・・・・ず」
「は?」
「・・・・・・少年・・・おみずか、みどり、ください」
「は!?って、待ちや!!」
金髪に、青い瞳――彼にそっくりな色を角膜に刻んで、私の意識は途絶えた。
・
・
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森の動物たちが、口をそろえて私に言う。
「ほらね、貴女には無理だって言ったじゃない」
「木も、水もないところで、精霊が生きていける筈ないのよ」
「汚染された場所で、どうやって息を吸うというの?」
「それでも、私は“彼”に会いたいの」
「馬鹿げてるわ、たった一人の男の為に命を落とすなんて」
――そう、そうなの。本当は、桜なんて言い訳。
私はただ、彼に会いたかった。髪を切る変わりに飛び出したけど、忘れることなんてできなかった。
何百年経っても、私は彼を忘れられなかったんだ。
「――・・・・・・?」
その時、“彼”が私を呼んだ気がした。
でも、多分気のせい――意識が途切れる前に見たのは、彼によく似た金髪に青い目――そして、拳銃。
噂の通りだと、私を見つけた彼は凶払いの一族だ。きっと私は、そのまま死んでしまったんだろう。
「――・・・名前?」
ふ、と、瞼をゆっくりと開く。そこには、夢にまで見た彼の顔があった。
「・・・・・・弁天?」
「名前・・・目ェ覚ましたか」
ほっとしたように笑う顔は、昔より随分と大人びた表情だった。
「・・・・・・・・・ゆめ?」
「んなわけねーだろ!このド阿呆が!」
――バチン 私の額を弁天がデコピンする。良い音と一緒に、鋭い痛みが走った。
「いった・・・・・・」
――これは、夢じゃない。
「なん、で・・・弁天・・・・・・」
「街で行き倒れてたお前を志萬のボウズが白狐の所まで運んできて、俺様が確保した。理解したか?」
「え?あれ・・・殺されなかった・・・」
そのままの疑問をそのまま口にすれば、久しぶりに見た彼――弁天は、大きくため息を吐いて、眉をしかめる。
「“行き倒れの魔物を殺す趣味はねー”だそうだ。いきがりやがって、あの童貞!」
「・・・・・・そっか」
ふふふ 笑うと同時に、視界が滲む。ずっと我慢してきた筈の涙が、込み上げてきた。
「な!なに泣いてんだよ!死ななかったんだからいーだろ!?」
「・・・っはは、違う・・・なんか、おかしくて」
「涙は余計だろうが!!」
瞬きと同時に零れる涙。それでも、笑いは止まらない。
「・・・ッチ、昔からお前の涙には弱ぇんだよ・・・・・・いいから、泣き止め」
そう言って、弁天は私の顔をぎゅっと肩に押し付けた。
昔から変わらない弁天の香り、身長や肩幅は、少し大きくなった気がする。
懐かしいその人に――私の涙は余計溢れてしまった。
「髪、伸ばしたのか・・・」
求めた腕。
求めた声。
求めた人。
――大好きでたまらなかったその香りには、少しだけ煙草の香りが混じってた。
「泣きべそな所は変わってねーのな・・・」
呆れたように言う弁天の言葉に、私は何も返せなかった。
・
・
・
「それで、何でお前は東京に来たわけ?もう戻って来ねーのかと思ってたぜ」
ようやく涙の止まった私に(もしかしたら、目が腫れてるかもしれない)、弁天はそう聞いた。
私は真実を言える筈もなく(本人に言うのはものすごく恥ずかしい)、「桜を見に・・・」とだけ返答する。
「桜だぁ!?その為に命掛けたのかお前ェは!?」
「ご・・・ごめんなさい・・・・・・」
「ああっ、ったくもう・・・そうだよ、お前は昔っからそういう奴だったよな」
弁天は少し苛々しているのか、吸い掛けの煙草を灰皿にぐりぐりと押しつけて、瞼をぎゅっと瞑った。
「昔っから、ホンッと変わってねーよ、お前は!気がついたら迷子になってるし、戦場でもぼんやり月見しだすし、挙句の果てには人が決意した時にゃ姿消してるし、白狐にも浄阿弥にも叢雲にも俺にだって行き先いわねーし、さんっざん捜したんだからな!?」
「す、すいません・・・・・・」
思わず頭を下げた私に、弁天は大きなため息を吐く。今日で何度目だろうか。再会してから、弁天に呆れられてばかりいる気がする。
「何を勘違いしたのか知らねーけどな・・・・・・」
そして、次には大きい手のひらが、私の伸びきった髪の毛を掬った。
「砂羅のことは・・・とっくに立ち切ってんだ」
そうして、弁天は私に見えるように、私の長い髪へ口づけを落とす。
「本当は捜して、俺が見つけて、言いたかった。まさか、志萬のヤローにその役取られるとは思ってなかったけどな!」
私を見つけてくれた少年――志萬君より少し緑掛った水色の瞳は、とても真剣そのものだ。
「・・・好きだ。砂羅より、誰より、お前が欲しい。こんな一言の為に何年掛けたと思ってんだ」
その瞬間、私はまたしても泣いてしまって、弁天をすごく困らせてしまった。
告白されて泣くなんて、私は本当に、弁天が好きなんだって、そう思った。
ラブソングの
終止符は鳴らない
「そういえばよ、あの桜なら俺が土地買い取ったからこれから先何年でも見れるぜ」
「え、うそ!?」
「マジマジ」
2009.08.09
Z-00-FESに参加させて頂きました。素敵企画ありがとうございます。
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