幼稚なロメオと
規則的に木の戸を叩く音が、日の差さない薄暗い廊下へ響く。
室内から少し高い甘めな声で「入って」と一言聞こえ、それを確認すると僕はゆっくりとドアノブを捻る。カチャリとどこか小気味よい音でドアがなると、室内には爽やかな風が吹いていた。窓は、開いていないけれど。
「・・・風通しがいいね」
「恭弥君、来て早々厭味?」
「事実だよ」
床に散らばったガラスの破片を拾い上げると、チクりとした鈍い痛みが親指に走る。刺々しい破片は、僕の薄皮を呆気なく引き裂いていた。
僕は持っていた破片をまた元の場所へと投げ捨て、彼女を見る。彼女は大人びた顔を子供のよう夢中にさせ、カチカチとパソコンへ顔を向けているだけで、僕には一瞥もくれようとはしない。
「何やってるの?」
「ソリティア」
「あれ?マイブームはマインスイーパって言ってたじゃない」
「たまに、違うのやらなきゃ飽きちゃうでしょ」
そういう彼女は年の割にとても幼く見えて、同じ日本人である筈の僕すら日本人は幼いんじゃないかと思う。ただ、彼女の場合は大人だ。無邪気な残酷さも、この年になればある種意図的であることに違いはない。
「ねぇ、僕はどっち?」
「・・・は?」
「さっきの牛の子」
嗚呼、やっと僕を見た。
眉をしかめ、怪訝そうな目つきで僕を見る彼女は、やっぱり一人の成人女性。無邪気な顔は年下に見えるのに、どうしてこういう時だけ、れっきとした大人に見えるのか。(これが俗に言う"大人風"ってやつなのかな)
「僕は知ってるよ」
「何を?」
「彼はずっとあの木の影から、気づかれないように君を見てた」
「・・・へぇ」
ひび割れた窓をなぞると、先程切った指先がじくりと痛む。破片が傷口に入ったのだろうか?
「この部屋からは生憎死角になるようだけど、僕の部屋からはしっかりと見えるんだよね」
興味が無いというような表情で、彼女はまたしてもパソコンに視線を返す。こっち向けよ。
「まるでロミオとジュリエット?あはは、お伽話みたいだ」
「・・・それで、恭弥君は何が言いたいの?」
パソコンを見つめる目は、さっきみたいに無邪気な瞳じゃない。冷徹な、熟成されたその瞳。
「爆弾少年も、野球馬鹿も、ついでに沢田と赤ん坊も、名前にとってはロミオかな」
「だから、何が・・・」
「ねぇ、僕はマインスイーパ?それともソリティア?」
「・・・・・・・・・」
僕を見ない彼女は溜め息を吐き出し、マウスから手を離した。だけど、彼女は僕を見ない。彼女が見ているのは、さっきまで先客の居たあの木の影。
「それ、ランボ君が割ったのよ」
「ふぅん」
「急に十年前に呼び出されたみたい、ね。子供のランボ君がいきなり来たの」
「・・・・・・・・・」
質問への返答をしない彼女に、僕はどんどん苛立ってくる。見えないように拳を握ると、傷口の少し広がる痛みがした。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・そんな顔しないでよ」
やっと真剣に視線の交わった彼女は、何処かで僕を見下ろしている。見下してるんじゃない、見下ろしてるのだ。その生きた時間の分だけ、僕を。
「そんなって、どんな顔?」
「・・・恭弥君ってさあ、普段大人っぽいのに、二人になると子供みたい」
「名前に比べれば子供だろうね」
「あはは、そうだね。ディーノ以外はみんな餓鬼んちょ」
「・・・・・・・・・」
彼女はそう言うと、僕を引き寄せ傷付いた右手をその顔の前に持ち上げる。じっと傷口を見られているとき、何だか叱られているような気分になった。
しばしの沈黙を経た後、彼女はその傷口に口づける。妙な痛みがぬるま湯にさらわれて行くようだ。
「痛い?」
「痛くない」
「・・・餓鬼」
「五月蝿いよ」
名前の柔らかな唇に噛み付くと、僕の血の味がした。目を閉じない彼女とは、視線すら交わったまま。
「子供はこんな事できないでしょ」
「そうだね、恭弥君は大人だわ」
彼女はにこりと微笑んで、僕の頭を優しく撫でる。いつも思うのだけど、この人は行動と言動が伴っていない。
「もういい」
いい加減、張り合っているのにも嫌気がさしてきた。
僕は名前の細腕から自身の腕を解き、ドアへと足を向ける。
引き止めない彼女と、振り返らない僕。距離はこんなにも遠いまま。
だけど、廊下に出てドアを閉じようとした時に、彼女の声が小さく聞こえた。
「・・・マインスイーパかな」
例えそれが嘘だとしても、最後の曖昧な言葉が気になったとしても、やっぱり彼女には敵わない。
そんな些細な事で落ち込んだ気分が上昇してしまう僕はやっぱり子供で、嘘も偽りも酷く上手な彼女は、自分の浮気も罪も全て誤魔化せる程大人なんだ。
嘘吐き
ジュリエッタ
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