この寮には、リリー・エヴァンスという美しい少女がいる。眉目秀麗、才色兼備、おまけに正義感が強いときた。最高の女性だ。
寝起きの悪い親友達を叩き起こし、言うことの聞かない我が儘なくせっ毛をできるだけ撫で付けて、談話室へ下りる。そして、そんな美しい少女に愛を囁くことから、僕の朝は始まるんだ。

こうした習慣ができたのは、僕がこのホグワーツに入学してすぐ。完全に、一目惚れだった。
赤毛の綺麗な完璧少女ではない――彼女の影へ隠れるように、どこか周囲へ怯えていた、小さな少女。

彼女の名前は、マリ・アイカワ。黒曜石を思わせる真っ黒な髪に、真っ黒な瞳。柔らかそうな白い肌は、まるで紫外線というものを知らないようだ。
これで真っ赤な唇を持っていたら、童話にある白雪姫そのものだろう。残念ながら、あまり顔色のよくない彼女の唇は、薄いピンクなのだけれど。幼さの目立つ東洋人特有の顔立ちをした彼女は、ジャパンという小さな島国出身らしい。その島国では、彼女の唇の色を"桜色"というのだそうだ。(図書館で調べた)

何故、彼女を好きであるにも関わらず、僕は別の女の子に愛を囁くのか?
それには、勿論理由がある。

言っちゃ悪いけど、僕は目立つ。いや、"僕等は"目立つ。
悪戯が大好きな僕等、ルームメイト四人組は、"悪戯仕掛人"と名乗りを上げ、いつだってこの閉鎖的な空間であるホグワーツへ笑いを届けているのだ。それに、僕は「みんなが大好き!」クィディッチの最年少シーカーであったりもするわけで。話題性に全く事欠かない僕は、自分で言うのもなんだけど、つまり、モテるのだ。

僕にとって、リリーは最高の隠れみのだった。完璧な彼女に愛を囁いても、僕は全く疑われない。しかも、正義感の強い彼女は、悪戯を好む僕を都合よく嫌ってくれている。
何より、彼女はマリの友達なのだ。利用しない手はない。彼女には、悪いけど。(一応、僕にだって罪悪感はある)

この事実を知っているのは、仕掛人の中でも最も深い親友だと言える、シリウス・ブラックだけ。彼はリリーがあんまり好きではないようで、「あんな高飛車のどこがいいんだ!?」と問い詰められた時、真意を話したら協力してくれるようになった。
人の良いリーマスには言えないし、臆病なピーターは論外だ。何かがあって、周囲に真相をバラされては堪らない。(ごめんよピーター)(それでも君は親友だ)

こんなことでリリーを利用するなんて!と、言われてしまえばどうしようもない。
だけど、もっと大切な理由もある。

先も述べた通り、僕はモテる。ちなみに、僕ほどではなくとも才能溢れるシリウスは、僕よりモテる。彼は(自分で認めていないが)家柄も最高だし、見た目も満点だ。そんな彼の女になりたい少女は、ホグワーツに沢山いる。そして、恋を知る間もなくプレイボーイになってしまった彼に、手を付けられて泣いてきた女の子も沢山見てきた。
彼が好きで、酷い男だと泣いているならまだいいだろう。だけど、そんな男の"恋人"という地位を得た子に纏わり付く、一つの決まりみたいなものを、僕は知っていた。

――所謂、女の嫉妬。

モテる男と付き合えば、ほとんど絶対と言ってしまっても過言ではないくらい、女の子特有の"イジメ"が待ち受けている。
もしも、僕がマリを愛していると周りに知られてしまったら?

――考えるだけでも、おぞましい。

気の弱いあの子は、なす術もなくやられてしまうだろう。あの綺麗な肌に傷がつく?あの純粋なハートに消せない傷痕が?

有り得ない。堪えられない、僕が。

その点、僕のことが心底嫌いなリリーはいい。"一方的"な"僕の"片思いなら、嫉妬をしたって相手には無力だ。脅せる要素もないのだから。

――そして、長い年月をかけて、四年生になった僕は、最愛なる彼女を"事実上"手に入れた。

みんなが寝静まった寮。出来立ての忍びの地図を眺めていたら、談話室にマリ・アイカワの文字。
彼女の周りに誰もいないことを確認して、僕は一人、談話室へ下りて行った。

静かな談話室には、パチパチと熱せられた薪の割れる音だけが響いている。昨日出た変身術の課題でもやっていたのだろう――腕を枕に、すっかり夢の世界へ旅立ってしまっている彼女の横には、変身術の教科書や参考資料が置かれている。ちなみに、中途半端な課題は彼女の腕の下だ。
僕はマリの隣に腰掛け、その寝顔を見詰めた。

入学した時と変わらず、顔色の悪い白い肌と桜色の唇。伸びた黒い髪は、きちんと手入れされているらしく、暖炉の火によってチラチラと、艶めかしく照らされている。漆黒の瞳は、同様の色を持つ長い睫毛に閉ざされているけれど。

長い年月が経ったのに、僕が彼女をこんなに近い所で見詰めたのは、初めてだった。

積年の想いが溢れてくる。初めて近距離で見ることのできた彼女は、想像よりも美しかった。
凛としたリリーの美しさとは違い、儚げな美しさを持った彼女。それは、彼女の母国に咲く桜のようだ。
なんとも表現のしがたいあの薄いピンク色に、"桜色"という名前を与えた東洋の偉人を褒め称えたい。彼女の唇は、確かに花びらのようなのだから。


「・・・ん、」


この時間が永遠になればいいのに――そう思っていた矢先、彼女から柔らかな声が漏れた。


「・・・ぽっ、たー?」

「やぁ、おはよう。アイカワ」


寝ぼけた様子で紡がれた僕のファミリーネームにさえ、げんきんな胸は高鳴る。


「・・・いま、なんじ?」

「もう真夜中をとうに過ぎているよ、レディ」

「・・・ねすぎちゃった」


どうやら、彼女は寝起きだと舌足らずになるらしい。新しい発見だ。
マリはローブの袖でこしこしと両目をこすり、改めて僕を見た。


「起こしてくれたらよかったのに」

「あまりに寝顔の可愛いプリンセスがいたからフェミニストな僕は起こせなかったんだ」


いつもの口調でそう言うと、彼女は可笑しそうにクスリと笑った。


「あなたが見たいのは、リリーの寝顔でしょうに」


――ドク リ
心臓が、変な音を立てた。

彼女の麗しい唇から、ファーストネームを呼ばれる少女が、羨ましくて堪らない。先ほどまで満足していた感情は、簡単にあっさりと吹き飛んでしまった。僕の名前も呼んで欲しいという、我が儘な欲求に支配される。


「いや、間違いなく君だよ、レディ」


「黙れ」 そんな意味もあったと思う。いつもの口調で、いつもと違う感情を持ってしまった僕は、いつの間にか彼女の桜色の唇を己のそれで塞いでいた。

見開かれる漆黒。

突発的な行動に、彼女だけではなく自分でも驚いた。
けれど、もしもこの行動で彼女に嫌われてしまう可能性があるのならば、今はこの瞬間を堪能していたい。

初めて触れた彼女の肌は、想像以上に柔らかかった。

長い時間、僕たちは触れ合っていた。いくら触れても僕の想いは止まらなくて、最初は戸惑っていた彼女の吐息も甘くなる。


「・・・愛してるんだ、マリ」

「・・・え、」

「君が欲しい」


真っ赤になってしまった彼女を見て、僕は確信した。
だからこそ、逃げてしまった艶やかな黒髪を追うことはしなかった。僕の手に、彼女は堕ちたんだ。

それからすぐ、五年生になった。監督生になった親友のリーマスは一人部屋に移り、同じく監督生になった彼女も一人部屋へ。
そうして、曖昧な僕等の関係が大きく揺らぐ。

――彼女・・・マリと、僕は初めて肌を重ねた。







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