目が覚めた時、室内は闇と言うにはまだ明るく、奇妙な薄暗さに包まれていた。シンとする部屋に音は無く、私はシーツを素肌のままの身体に巻き付け、まだ覚醒しきらない思考で窓を開ける。
肌を撫でるように吹く柔らかな夜風が、やけに心地良い。夜だというのに部屋が明るい理由は、空に高く浮かぶ月が今日はとても明るく輝いているからだ。
こういう時、あの喋る三角帽子に振り分けられた寮がスリザリンじゃなくてよかったと、しみじみ思う。あの寮は地下にある。部屋の仕組みがどうなっているのか、入ったことがないから知らないけれど、この塔に設置されたグリフィンドール寮から見えるこの景色は、いつだって私に優しかった。
けれど、相反して、スリザリンに振り分けられたならばこんなことにはならなかったのではないかとも、思ってしまう。そんなことを考えながら、私は極力音を立てずにベッドへと腰掛けた。
監督生用に与えられる一人部屋。でも、此処に居るのは私だけじゃない。
私はまだ目を覚まさない人の柔らかな頬に、ゆっくりと左手を乗せた。しっとりと、少し、汗ばんでいるけれど、不快ではなかった。
月明かりに照らされて、浮かび上がる白い肌。自分では見えないけれど、きっと私自身も、目の前の人と同じようになっていることだろう。
そうしていると、長い睫毛が静かに持ち上がる。彼は大きな瞳で私の姿を確認し、優しく微笑んで、頬に乗る私の左手へ骨ばった手を重ねた。
「おはよう、マリ」
「まだ夜だよ、ジェームズ」
私がそう言うと、彼は「本当だ」と言って、少し笑う。
「何を考えていたんだい?」
「スリザリンに行けばよかったなって」
「マリが?冗談じゃない」
ジェームズは、余程スリザリンが嫌いなのだろう。眉をしかめて、叱咤するように私を見詰める。
「スリザリンなんて、死喰い人の巣窟だ。マリが死喰い人になってしまったら、僕は君を殺さなければならないじゃないか。僕はそんなの、嫌だね」
「死ぬのはいやだけど、ジェームズにならいいかも」
「僕が嫌なんだ」
「冗談だよ」
私が笑えばジェームズも笑い、やんわりと左手を退かされた。ジェームズの手は左手から離れ、今度は私の頬に宛がわれる。そして、唇が静かに重なった。
――どうしてなのだろうと、いつも私は考えていた。
この寮には、真面目で、容姿端麗で、成績優秀なリリー・エヴァンスという、まさに模範生と呼ぶに相応しい少女がいる。
それなのに、何故私が監督生に選ばれたのか。ダンブルドア先生は、何故私を選んだのか。
大して勇気のない私を、目的の為に手段を選ばなかった私を、何故帽子はグリフィンドールに選んだのか。
そして、公にはリリー・エヴァンスへ恋をしているこの男が、私の部屋へ毎夜訪れては、
「愛してるよ、マリ」
そう、囁くのか。
私にはわからない。
「・・・・・マリ?」
「なあに?」
「何か、あったのかい?」
「何でもないよ」
だけど、私に彼へ聞く勇気はない。
彼の、ジェームズの真意が、哀れみであっても、リリーへ近付く為の道具なのだとしても、単なる性欲処理のおまけであったとしても、私は――嬉しかったのだから。
「ジェームズ」
「なんだい?」
私は、狡い。
彼が何を考えていても、傍にいられればそれでいい。だから私は、全てに蓋をしてしまった。
狡くて、滑稽で、愚かな自分さえ、隠すように。
「すきだよ」
「僕も、あいしてる」
けれど、閉じた筈の蓋から溢れ出る何かに、呼吸さえできなくなる時がある。
じわりじわりと侵食していくこの寂しさや虚しさは、いつか私の胸に海を作り、きっと、私は溺れ死んでしまうのだろうと、思った。
呼吸を忘れた淡水魚
(それでも、いつか死ぬなら貴方の隣がいい)(なんて、我が儘)
2009.04.16
加筆修正:2013.08.24