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主にエレンの日常とはリヴァイの監視の下、リヴァイ班と共にほかの新兵となんら変わらぬ訓練が行われていた。森を使っての立体機動訓練や、先輩兵士と共に対人格闘術。あとは馬の世話や古城の清掃など。寝る場所が地下牢という事を除けば、思ったよりも特に不便はないと思っている。
しかし時折やってくる奇人と名高いハンジさんが来たときは、その日常は壊される。
名目的には「巨人化実験」という列記とした任務ではあるのだが、ハンジの場合はどうしても趣味九割と言った所か。今日も本部で精製したといって自慢げに取り出したのは気泡がぶくぶくと泡立っている怪しげな薬。手足を固定され無理矢理飲まされそうになったり、正直こんな事では命がいくつあっても足りない気がする。しかし巨人の能力のおかげか今のところ特に身体に異常が見当たらないのが幸いか。
しかし、大抵その場合はいつも奇行に走ったハンジさんをモブリットさんが必死に止めたり、ハンジ班紅一点であるなまえさんがエレンを庇ったり。誰にも制御できなくなればリヴァイ兵長自ら、蹴りをお見舞いして実力行使で止めてくれたりと、いつも現場はてんやわんやである。

先ほどまでの惨事を思いだし、エレンは大きく溜息を吐いた。
その様子を見て、なまえはエレンの顔を覗き込む。

「大丈夫?」
「あ、はい…大丈夫です。」
「ごめんね、ハンジ分隊長止められなくて。」
「いえ、全然…ほら、俺は丈夫ですから。」

心配そうに見上げてくるなまえを安心させるように小さく笑う。そう、と一言漏らして再び前を向いて歩きだした。
今、この場にいるのはエレンとなまえ、そして二人の前をモブリットが歩いているだけだ。ハンジとリヴァイは所要で今は席を外しているため、地下実験室から食堂へ向かっている最中だ。
いつもなら兵長か、リヴァイ班の誰かが必ずついていた為、ハンジ班の人とこうして歩くのはなんだか新鮮だと思った。そしてひとつ、小さな疑問が浮かぶ。

「あの、自分は確かリヴァイ兵長の監視の下でという条件付きでこうして調査兵団へと配属されたんですが、いいんですか?兵長もハンジ分隊長も見当たらないんですが…」
「あはは、それって俺たちの実力信用してないってこと?」
「い、いえ!!決してそういう訳では!!」
「いや、うん、別に気にしてないよ。まぁいいんじゃないかな、兵長が言った事だし…」

柔らかな雰囲気をまといつつ、前を歩くモブリットはちらりと後ろを付いてきているエレンとなまえを振り返った。
失言をしてしまったと焦るエレンに笑いかけ、そしてなまえへと視線を向ける。

「なまえは兵長付きなとこあるし、リヴァイ班と同じようなものだと思ってくれていいよ。」
「モブリット先輩、私はハンジ班所属ですが。」
「はは…でも、もうほとんどリヴァイ兵長に付きっきりじゃないか。」
「ハンジ分隊長の世話で手がいっぱいなんですが…」

無表情ながらも僅かに雰囲気に怒気と呆れを含ませながら、モブリットの言葉に応答する。
そんななまえを軽くあしらいつつ、まぁ、と言葉を漏らして再び前を向く。

「まあ、なまえがいれば何かあっても対応できるだろうっていう兵長の判断なんだろう。だから心配しなくてもいいよ、何かあっても隣のなまえが何とかするから。」
「……」

この隣を歩くほとんど自分と変わらない年齢の少女。思わずチラリと視線を下げると、興味もなさそうにぼんやりと虚空を見つめていた。
底知れぬ実力を前にして思わず息を飲む。
ハンジ班、リヴァイ班の中で誰よりも小柄で華奢で、体系的には同期であったクリスタとなんら変わらない少女。だというのに、その実力は兵長も信頼し、エレンに関する全権を託せる程の実力とは。

大きな目を丸くさせ驚愕の表情を浮かべながらエレンはなまえを見つめていた。その視線を特に気にする様子もなかったなまえが、ふ、と呼吸を細く漏らした。



「…、」
「……なまえさん?」
「…っ、あ、れ……は、ふ…」

口を小さく開けそこから漏れる吐息は乱れて不規則だった。
言葉と共に細く吐きだされる息は、上手く吸いこめず吐きだすには言葉と共にしか吐きだせていなかった。
人が生まれてから当たり前のようにされている呼吸を、自分の意思で正常に行われていない。明らかに通常のそれとは違う様子に、エレンは慌てる。

「ちょ、大丈夫ですか!!?」
「ん、あれ…なまえ、お前なんで…」
「わ、わかんな……ど、しよ…っ、……」

普段はあまり表情を変えない顔が今はありありと困惑の表情を浮かべていた。
どうしよう、と震える声で途切れながらも助けを求めるようにモブリットを見上げるなまえ。その視線を受けるが、生憎モブリットには何も手段がない。その事実に顔を歪め髪を掻き毟る。

「ちょ、モブリットさん!なまえさんが!!」
「あ〜いや、心配しなくても多分大丈夫なんだ。まぁいつもの事だからな。」
「でも、こんなに苦しそうで…っ」
「兵長が帰ってこないとどうしようもできないしなぁ…いつも兵長と一緒の時にしかならないのに、一体なんで…」

過去に数回、こうなってしまった状態を見たことがある。しかしそのどれもが兵長が一緒にいた時に起こり、その度にこの症状を兵長が沈めてしまった。
医療行為とは違う、二人だけの間に生まれた発作の沈め方の様な物。恥ずかしすぎて直視した事はないが、こうなってしまった場合、なまえをなんとかできるのは兵長しかいないのだ。
しかし生憎、いまはいない。先ほどハンジ分隊長と共に所用で席を外してしまっている。すぐに戻るから食堂で待っていろと言われたためそんなには時間はかからないはずだが、いつ帰ってくるのかもわからない。
そしてなによりも、この状態のなまえを放置していく訳にもいかず、かといって待ち合わせの食堂まで運ぶ事は困難で、エレンに頼もうにもエレンもまた少なからず動揺しているらしい。
どうしたものかと悠長に頭を抱えながら、首を捻る。

すると、耳が音を拾った。
足音だ。こちらに向かって歩いて、そして立ち止った。

「なにをしている」

計ったかのようなタイミングで、求めていた人物の声を聞いてモブリットは振り返り、なまえは顔をあげた。



「……なまえ?」

いつまで立っても来ないエレン達にしびれを切らして迎えに来てみれば、廊下に立ち尽くす大きな背が見えた。猫背が僅かに戸惑いの雰囲気をまとっていた為、声をかけると勢いよく振り返った。
隠す様に立っていた長身が逸れて、見えた光景は動揺したエレンと、廊下の壁に手をついて崩れ落ちるなまえの姿だ。

どうしたのかと駆け寄り膝をついて顔を覗き込むと、僅かに空いた口から洩れる呼吸はか細くおぼつかない。
短く荒く乱れた呼吸の合間に必死に言葉を紡ぐ様子に、すべての状況を理解した。

「…へ、ちょ…くるし、…」
「ああ…今楽にしてやるから…」

縋るように伸ばされた手を取り、頬に手を添える。一度二度程撫でて、そして引き寄せられるようにお互いの唇を触れ合わせる。



「えっ」

そういえば、周りに人間がいたな、と今リヴァイはキスをしながら思い出した。が、なまえはというとリヴァイから直接もらう酸素を取り入れることに必死らしく気づいた様子はない。

エレンは思わず声をあげた。声をあげ、目の前で繰り広げられている現実を見る。繰り広げられた現実から状況を察する。状況を察し、そして顔がかつないほど赤く染まり体温と動悸が急上昇していくのを感じた。
初心な反応を見せるエレンの目を慌ててモブリットが塞ぎ、これ以上見ないようにと目隠しをする。

「ほら、エレン!!先に行ってよう!!なまえの事は兵長に任せて!!」
「……あ、は、はい!!!じゃ、じゃあ先に行ってますね兵長!!」
「ああ…すぐに行く。」

一度なまえとの口付けを止め、ちらりと背後の二人を一瞥する。その視線を受ける前に、男二人揃って、失礼します、と半ば半泣きになりながら頭を下げ、そして逃げるようにその場を後にした。



「ん…、ふ…」
「……少しは治まったか?なまえ…」
「…うん……、ありがとう…ございます…」

いまだに少し乱れているが、先ほどよりは断然楽になった呼吸。生理的に浮かんだ涙を拭いながら御礼を述べる。が、傍から見れば口づけに対しての御礼に聞こえてくるので、あそこでエレンと共に退散したモブリットはとてもいい判断だったと判断できる。

「俺がいないのに、どうしてああなった…言え。」

息が上がり桃色に染まる頬を撫でながら、口端からこぼれた唾液の跡を拭いつつ、固い口調で問いただす。
その言葉に更に頬を染めて、目を伏せる。睫毛の隙間から覗く瞳は未だ潤んで僅かに羞恥に染まり震えている。そんななまえを見下ろしながら、促す様に髪を梳くようにして優しく撫でていると、ほんの少しの間逡巡してそれから恥ずかしそうに恐る恐る口を開く。

「…兵長の事考えてたら、苦しくなって、それで…」
「俺のことを?」
「うん…先輩が、私は兵長に信頼されてるからって言って…そしたら恥ずかしくなって、ここ、苦しくなってきて…」
「そうか…」

それはつまり、今まで自分は信頼されていると思っていなかったと言う事か。問いただせば一度小さく頷く。これ見よがしに溜息を一つ吐いて、首筋の当たりに爪を立てて軽く引っ掻いてやるとなまえは小さく身体を震わせて怯えた表情を浮かべた。

「信頼されていないとでも思っていたのか…馬鹿め…」
「すいません…」
「いや、いい…理解したのなら、もう二度と俺の目の届かない所で呼吸を乱したりするなよ。恥ずかしいなんて感情を抱くのは俺に抱かれている時だけでいい。いいな、なまえ?」
「はい……、んっ」

リヴァイの言葉にゆっくりと一度、確かに頷いた。見上げてくるなまえの顎を掬い取り、そして何度か再び口付けを落とすと素直にそれに従いゆっくりと目を閉じる。
口付けながら、リヴァイは考える。
こうして、もし、自分の目の届かない所で何かあった時対処できるようになまえをリヴァイ班への転属をエルヴィンに直訴してやろうと。なまえがこうして上手く呼吸をできなくなってしまったのは元はと言えばリヴァイが威圧的に従属関係を結ばせたからであるが、更に元を辿ればエルヴィンがなまえへ依頼という名の命令を下したせいだ。ならば、こうして時折過呼吸に陥ってしまう責任の一旦にはエルヴィンにも僅かばかりだがあるのだ。ならばその責任を取るのは当然。
そんな事を考えながら、そろそろ先に食堂で待たせているオルオ達やハンジが待ちくたびれる頃合いだろう。この口付けが最後だと思いながら、柔らかな唇に再び齧り付いた。




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