09
「じゃあ、行ってきます。」
「ううぅ…なまえ、気を付け…ゲホッゲホッ」
「ちゃんとモブリット先輩の言う事聞いて大人しくしててください。私が帰ってくるときにはちゃんと治しておいてくださいね。」
「なまえ…ゲホッ」

ベッドの上に死体のようなハンジが顔をくしゃりと歪めて泣き崩れる。ウイルスが充満していてただでさえ汚い部屋に鼻水と涙が混じり、無表情を保っていたなまえの眉間に僅かに皺が寄る。
隣で甲斐甲斐しく世話をするモブリットが鼻紙を数枚取り容赦なくハンジの顔から色々垂れたものを拭い取る。

「なまえ、行くぞ。」
「はい。…じゃあ、先輩、よろしくお願いします。」
「うん、いってらっしゃい、気を付けてね。」

手を振りかえし、先を歩くリヴァイ兵長と、既に馬車に乗り込んでいるエルヴィン団長とミケ分隊長の後を追う。本当は、今からなまえが行う仕事とは本来ハンジの役目だった。だからこそ何日も前から資料の内容を頭に叩き込んだ。かなり骨が折れただけに、当日になって高熱が出たと報告された時のなまえは普段感情の起伏があまりないが分かりやすい程に怒りを露わにしていたと、後にモブリットが証言した。
しかし今日の内地での会議では欠席するという選択肢はない。何しろ巨人の研究はハンジを筆頭に行われているためその詳細を理解している者はハンジとその班の人間でしかない。書類だけの報告を受けているエルヴィンでは実際の実験内容や成果を聞かれた時の適格な応答が出来ない為だ。
そしてもう一つ、今日の会議に参加する人間は幹部クラスが多く集まる為、後日開催というものができないのだ。だからこそ、欠席されては困る。
という訳で立てられた代役がなまえだった。
なまえならばハンジの研究内容も正確に把握しているし、何よりエルヴィンの元に届く研究成果の報告書のほとんどはなまえが作成しているためだ。
先輩であるモブリット達が行けばいいという声もあるが、人には適材適所というものがある。幹部勢が集まる会議で堂々と物怖じせずに発言できる人間が欲しいのだ。その点であればなまえは適格だ。
それに残ったハンジの看病は、潔癖症のなまえには中々酷な仕事になるが、普段から奇行に走るハンジを抑えているモブリット達ならば看病も問題なく行われる。
さまざまな結果や過程を考慮して、今回の内地で行われる定例会議では病欠のハンジに変わり、なまえが駆り出されたのであった。



「言い忘れていたが、会議は今日じゃなくて実は明日なんだ。」

誰も会話をしない馬車の中で、エルヴィンがぽつりと漏らした言葉にぼんやりと窓の外を見ていたリヴァイ兵長や、馬車に揺られ目を閉じていたミケ分隊長や、膝に置かれた自分の手を見つめていたなまえが、視線をエルヴィンへと映す。
その視線を受けて、曖昧な笑みを浮かべて言葉を続ける。

「実は昔お世話になった人がいてね、その方がパーティーを開くので是非来てほしいと言ってきてどうしても断れなくて。どうせ会議が次の日にあるのなら、前日に行って泊めて頂こうと思って。宿代も節約できるし、削れるところは削っていかないとね。」
「ほう……それで、俺達はそのパーティーに強制参加って訳か?」
「聞いてないぞ、エルヴィン。」
「まぁ身内だけの小さいものだし、豪華な料理がタダで食べれると思って諦めてくれないか。」

リヴァイとミケの責め立てる視線を特に気にする事も無く、エルヴィンは言い放つ。今引き返せば調査兵団本部につくのは夕方になってしまう。そうなれば今日一日は無駄になってしまう。
だからこそ、今のタイミングで言ったのだろう。相変わらずの策士っぷりにミケ分隊長は溜息を吐き、リヴァイは忌々しげに舌打ちをした。
ただその会話をぼんやりと聞いていたなまえに、エルヴィンは振り返りその目を覗き込んだ。

「夜に少しリヴァイを借りるよ。もちろん、君もパーティーに参加してほしい。」
「いえ、私は…」
「お前も参加しろ。命令だ、なまえ。」
「……っ、」
「リヴァイ、もう少し女性は丁寧に扱うものだ。」
「こいつが参加しないなら俺はでねぇからな。」
「まったく……だからなまえ、」

そしてゆっくりと優しげな笑みを作って、エルヴィンは言った。

「せっかくリヴァイと一緒に内地に来たんだ。初めてだろう?だから、もし君がよければ夜まで一緒に内地観光でもしてきたらどうだろうか。」

その言葉に、なまえの瞳にわずかに瞳が灯るのを正面に座っていたミケから確かに見えた。



そして言葉の通り、内地の繁華街で馬車を下ろされた。定刻になればまた迎えを寄越すから楽しんでくるといい、とエルヴィンは笑って去っていった。
馬車の後ろ姿を見送ると、いまだわずかに機嫌の悪そうなリヴァイが舌打ちをひとつしてなまえの手を掴んで歩き出す。
引きずられるように歩きだし必死にリヴァイの背中を追っていく。

「どこ、いくんですか…?」
「お前が喜びそうな所だ。」
「…?」

たった一言告げて、黙って歩き続ける。
訳も分からず見知らぬ内地で頼りになるのはリヴァイだけだ。離されないように繋がれた手に力を込める。これが俗にいうデートというものだと言う事に二人は気づいていない。
故にエルヴィンの気遣いにもまた気づいていない。
二人の認識は夜になるまで外をぶらついていろと馬車から放り出されたという感覚なのだろう、と馬車に揺られながらミケだけが冷静に分析していた。

ついた場所はほのかに甘い匂いを漂わせていた。
くん、と一度鼻を利かせると鼻腔をくすぐる甘さに、なまえの頬がわずかに緩む。それを横目で見つつ、店内に並ぶ小瓶を一つ手に取って迷うことなく店の店主にそれを渡す。

「いつもありがとうございますっ…あれは、もしや彼女さんですか?人類最強も隅に置けませんねぇ。」
「………いいから早くしろ。」

店主の親父が下世話な笑みを浮かべながらリヴァイから金を受け取る。いつもはなんの変哲もない紙袋にいれるだけの包装なのに、何故か今回は小瓶に可愛らしいリボンをつけるという無用な演出に、リヴァイは若干眉を顰める。
可愛らしくリボンで彩られたそれを受け取り、店を出る。
店の外で鼻腔をくすぐる甘い匂いに酔っていたなまえを呼ぶと、リヴァイに気付きこちらに駆け寄ってくる。
きょとんと見上げるなまえに先ほど買った小瓶を差し出すと、恐る恐る受け取っる。

「……こんぺいとう、」
「好きなんだろう?」
「ん…いつも、ここで?」
「ああ…ここは砂糖菓子の専門店で量も質もいいからな。」

だからエルヴィンはこの店がある繁華街を狙って下ろしたのだろうと、それに気付きリヴァイは相変わらず食えない男だと眉を顰めた。しかし目の前の嬉しそうに大切に小瓶を抱えるなまえを見れば自然と気持ちも晴れるというものだ。



「兵長さん、兵長さん!!」

声をかけられ、その声に振り返る。なまえもまたリヴァイと一緒に声の方向へと視線を向けると、高そうな木箱をひとつ掲げてにんまりと笑みを浮かべる店の店主がいた。
その笑みに僅かに機嫌が悪くなるが、なんだ、と一言声を返す。

「これこれ、上物が手に入りましてね。いつもお買い上げいただいている人類の希望である兵長さんに、特別に安価で差し上げようと思いまして。」
「なんだ…それは…」

小さな小瓶には金色のものがたくさん詰まっていた。こんぺいとうのようなカラフルな砂糖菓子ではない、見た事も無いものに眉を顰める。いい言葉を吐いて怪しいものを押し付けようとしているのではないかと、疑心する。隣にいるなまえもまた首を一度小さく傾け、小瓶を興味津々に見つめている。

「集めた花の蜜を巣にため込む虫がいましてね?その巣を採取して蜜だけを取り出したものです。まぁ様は花の蜜なんですが、虫に集めさせたものなので採取量も少なくて普通に買えばかなりの高値になるんですが。まあ、貴方は上客でそれも我々人類の希望とあれば、」

虫の集めたものなど食べられるか、と顔を顰める。しかしなまえは小瓶の中身に興味深々だ。
親父から視線を逸らし、すぐ隣で大事そうに先ほどのこんぺいとうの詰まった小瓶を抱えるなまえに声をかける。

「なまえ、欲しいのか?」
「花の蜜は美味しいですから…でも、」
「いい、欲しいのなら俺が買ってやる。」
「え……でも、もうこれ買って頂いたから…」
「お嬢さん。せっかく兵長さんがこう言ってるんだから女は黙ってそれに甘えとけばいいんですよ?」

でも、と言葉を濁しつつ困ったようにリヴァイを見上げる。
その視線にリヴァイは溜息を一つ落とし、にんまりと笑みを浮かべる親父に言った。



歩く。ひたすら歩く。
一人先を歩くリヴァイを必死に追いかけるようになまえも歩く。しかし、見知らぬ街ではぐれぬように今度はなまえの方からリヴァイの袖をこっそり掴んで。
しばらく歩くと定刻になれば迎えに来るとエルヴィンが言っていた川のほとりまでやってきた。整備され周りを煉瓦作りの街が太陽に反射し煌めく静かな川を演出していた。
その一角にある階段を数段降り、そして川をぼんやり眺めながら溜息をひとつ落とす。

「お前も座れ、なまえ。」
「……はい、」

その言葉に恐る恐るなまえもリヴァイの隣に腰を下ろす。
なまえもまたひとつ溜息を吐いてぼんやりと川を眺める。

「あそこの店は物はいいが親父が話し好きだからな、だから買ったらさっさと帰った方が身のためだ。でなければ二人の馴れ初めだのなんだのと、色々しつこく聞かれる。」
「そうなんですか…」
「ああ、馴れ初めと言ってもタダの上司と部下でなんもねぇって何度も言ってるんだがな…」

そんなに溜息をつくならわざわざ買ってきてくれなくてもいいのにとも思うのだが、いつもリヴァイのお土産を心待ちにしている自分もどこかにいて、その言葉は言えなかった。その変わり、これからはもっとこの手に抱えた砂糖菓子を味わって食べようと心に決めて大切そうに小瓶を抱え直した。
その動作をリヴァイは横目で見ると、懐からもうひとつ、金色のものが満たす小瓶を取り出した。
そう、リヴァイは買ったのだ。金平糖よりは確かに値は張ったが別に出せない程の金額でもなかった。そして金を親父に押し付けると手渡された小瓶を受け取った瞬間逃げるように店を出て、ここまで歩いてきたのだ。
わずかに掲げてみると太陽を反射した川の光に透かされ、確かに金色に輝くそれは綺麗だとも思った。

「ほんとによかったんですか…?」
「お前がいらないなら捨てるが…」
「えっ…だ、だめです…!!」

リヴァイの言葉になまえは慌てて拒否の言葉を発した。その慌てた様子を可愛らしいと思いながら、手のひらサイズの小瓶の詰めを外すと、ふわり、と花の甘い匂いが香ってきた。
その瓶に人差し指を差し込みドロリと蜜を救い上げると、迷うことなく隣のなまえの口へと突っ込んだ。
ぐるりと口内を一周させて緊張に固まる舌になすりつけるとピクリと肩を反応させるなまえに、思わず口端をあげた。

「ん……、ん…ふぅ…」
「ほら、ちゃんと舐めとれよ?貴重な蜂蜜だからな。」
「んん…ぅ、ふ……はっ、」

みるみる赤くなっていくなまえ。何度も指を抜き差しされ口内をリヴァイの手で弄ばれる。必死で蜂蜜に塗れた指を、爪を、爪と皮膚の間まで丹念に舐めとる。しばらくすると、ずるりと口内から指を引き抜かれそれと共に口内に溜まっていた唾液も口端から溢れ零れ落ちた。
顔を赤くさせながら、それを自身の袖口で拭うと、リヴァイへと視線を向ける。
頬を撫でられ顔を寄せられる。触れるだけのものから、次第に口内を弄るように動く舌にめまいがしてくる。先ほど指でたっぷりと弄ばれた口内を今度はリヴァイの舌が弄ぶ。

「確かに、甘いが…たまにはいいか…」
「ん……、」

じわりと滲む涙に視界をぼやけさせながらも、目の前のリヴァイに視線を向ける。
その目にリヴァイは小さく笑いながら、問いかける。

「もっと、か?」

なまえの汚した人差し指を拭うことなく問いかける。
その問いに目を細めて、僅かに逡巡する。そして、返す。

「もっと…食べたいです。」
「そうか…口、あけろ。」
「ん……ん、…っ…」
 

蜂蜜をなまえの口内へ塗りたくり、それをリヴァイが舐めとる。少ない蜂蜜を二人で味わうには一石二鳥だが、その瓶の中身が無くなるまでかなりの時間を要したのは言うまでもない。
そして日も沈み空が赤らんできた頃、ようやく迎えの馬車が来た。最後の蜂蜜をなまえの口内から味わっているリヴァイを見て、ミケは小さく溜息を落としたのだった。




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