07
調理実習という授業は男にとってはステータスアップのため、女にとっては意中への手っ取り早いアピール手段という、学生にとっては一大イベントである。いや、学生といってもほんの一握りの恋する人間だけで、それ以外の人間にとってはただの家庭科の授業というだけである。
エプロンを持参して言われるままに、目の前の上下にするホワイトボードに書かれた分量を量ってボールに入れて混ぜる。あらかじめ用意されたカップに注いて、オーブンに入れてスタートのスイッチを押せば、後はおしまい。
女はマフィン。男はクッキー。第一調理室と第二調理室で男女で別れて作らせているのは教師の計らいか。そのため家庭科担当の教師が二つの部屋を行ったり来たりしているのを、焼きあがるのを待つまでぼんやり観察していた。

「ねぇ、なまえはやっぱりリヴァイ先生に渡すの?」
「え…あぁ、どうしよう…渡さないと怒られるよねぇ、さすがに。」
「そりゃあまぁ、一応恋人だからねぇ…先生だけど。」

こっそりと、ぺトラが小さな声で話しかけてきた。
まだわずかに寝不足が残っている目で、怒るリヴァイ先生を思い浮かべると容易に想像できた。
あの日から夢を見る機会はみるみる減っていった。といっても、まだたまに見てしまう日もあるが、そんな日の朝はいつもリヴァイ先生が目ざとく察して、昼休みになれば理科準備室に引きずられるように連れ去られそして寝るように命令される。そのおかげで身体の負担は徐々に減り。未だ隈はうっすらと残るものの顔色は良くなったし食欲も戻り骨と皮だけだった身体にはわずかだが肉も付き始めた。

ハンジ先生の言った通り、縁を結べば夢を見る回数は減った。そして消えつつある。

「あれ、なまえ…なんだか髪つやつやになったね。シャンプー変えたの?」
「え?んーん、変えてないよいつも通り。」

食欲も出て必要最低限しか接種していなかったために生命維持のために必要最低限にしか身体を構成していた栄養分が、いまは髪に艶を出すまで余裕が出たという事か。
髪をひとふさとって、毛先を弄れば、確かに心なしか艶が出ている。

「枝毛あるよ。毛先だけでも切れば?」
「んー…そうしよっかなぁ…」

などと、他愛もない会話をしながら焼き上がりを待つ。
リヴァイ先生に渡すかどうかは、結局決心がつかず、授業は終了してしまった。



放課後、ふと気まぐれを起こして一緒に帰る約束をしていたぺトラに断ってからなんとなく理科準備室に足を向ける。察しのいいぺトラは笑って送り出してくれた。
早くもなく遅くもなく、いつものペースで歩き、理科室の前に立つ。
扉を仰ぎ見て、そして一言、

「先生…?いる…?」

これで会えなかったら帰るつもりで来た。
数秒後、ガラリと大きな音を立てて扉が開け放たれた。ほんの少し怒ったような顔で招き入れてくれたリヴァイ先生に、昼間調理室で予想したリヴァイ先生と重なった。

「……やっぱり、怒ってる。」
「あ?別に怒ってねぇぞ。」
「でも、眉間に皺。よってます。」

そう指摘すれば更に皺が増えた。手を取り引きずられるように理科準備室に押し込められると、ガチャリと鍵のかかる音を聞いた。
そしてリヴァイ先生はスタスタといつものソファの前の机に置かれた飲みかけであっただろうマグカップを持ち、部屋の片隅に置かれたコーヒーメーカから継ぎ足す。その傍らの棚からもうひとつマグカップを取り出し新たにコーヒーを注ぎ、そこにはしっかりと砂糖とミルクを注ぐと、机の上に静かに置いた。
死線に促されるようにもう一つの長椅子の方のソファへ腰かけカバンを隅に寄せる。
机の上に置かれたノートパソコンを操作しながら、片手間でコーヒーを啜る。

「仕事あるなら、帰りますよ?これ、届けに来ただけだし…」

カバンの中から綺麗にラッピングしたマフィンを差し出す。それにちらりと一度見て、無言でパソコンのキーを叩く。
相変わらず意思の疎通のしにくい人だと首を傾ける。けれど口下手で不器用なだけだと知っているからこそ、そっと手に持つマフィンを机の上に置くと、渡されたマグカップの中の物を飲み干してから帰ろうと静かに口つける。

「………あつっ」
「…大方、飲み終わったら出ていくつもりだったんだろう?熱くしておいて正解だな。」
「だって、仕事の邪魔するわけには行きません。それに、私は生徒だから見られたくない資料とか書類とかあると思うし。」
「んなもん見られる程適当な仕事はしてねぇ…ハンジは別だがな。」

小さく笑ってまたパソコンに向き直る。
湯気のたつ砂糖とミルクがたっぷり入ったコーヒーに息を吹きかけゆっくりと冷ます。
特に会話もなく、ただリヴァイがパソコンを叩く音と、時折なまえがコーヒーを啜る音が部屋に響く。

しばらくするとコーヒーも冷め、舌を刺激する事もなく飲み下せるようになった。
なまえがマグカップに並々注がれたコーヒーを飲み終わるのと、リヴァイが一息ついたのはほぼ同時だった。

「仕事終わったんですか?私も飲み終わりました。」
「そうか…なら、」

静かにパソコンを閉じ、椅子が軋みをあげながら立ち上がる。
それを目で追っていると隣にドカリと乱暴に座る。
マグカップ机に置いて隣に座ったリヴァイに向き直ると、ふわりと目の前の人影が傾いた。
そしてスカートから除く太ももをわずかにくすぐって次に少しの重み。視線を下ろせばわずかに疲れが残っている顔だが、先ほどとは違い眉間の皺が消えた、リヴァイ先生の顔。
いまの現状を理解して、なまえは瞬時に身体を固くさせた。それを察して閉じていた目蓋をゆっくりと開き、下から見上げる。

「いいだろ、これくらい…疲れたんだ。」
「あ、でも…えっと、他の人に見られたら…」
「鍵は閉めた。わざわざ開けてまで入ってくる奴はいねぇだろ…もう放課後だしな。」
「で、も…」

しかしその後の言葉は続かず口を紡ぐ。
諦めたように目を閉じて身体の力をゆっくりと抜く。それを感じ、リヴァイもまた力を抜いてなまえの太ももへと頭を落とし、その柔らかさを堪能する。
それを堪能し、目を閉じてずっと使い続けていた神経を休める。ふぅ、と一息つくと、髪にかかった前髪をさらりと撫でる優しい手を感じた。
リヴァイはそっと目をあければ、なまえはその視線にゆっくりと微笑んだ。その微笑みに小さく笑い、その優しい手を堪能する。

張りつめていた目の神経も解き解れ、なまえの手のおかげでわずかにささくれ立っていた心も凪いだ。
ふ、と机の上に置かれたマフィンに手を伸ばす。もちろん、これは自分のものだ。待っていなかったと言えば嘘になるが、かといって欲しいとも言えなかった。それは教師としてのプライドか、リヴァイ個人としてのプライドか。それが邪魔して直接は言えなかった、ならリヴァイに出来るのはくれると信じて待つしかない。
結局なまえはいつも通りにやってきて、当然のようにそれを差し出した。
それを嬉しく思い、綺麗にラッピングされたそれを手の中で弄び小さく笑う。
可愛らしいリボンを解き、中から香ばしい匂いを未だわずかに漂わせるマフィンを取り出し、迷うことなく口へ運ぶ。

「寝ながら食べるなんて、行儀悪いですよ先生。」
「あ?別にいい…」

甘さは控えめなのはリヴァイの好みに合わせたのか、ほんのりとした柔らかな甘さが口の中に広がる。菓子はすっかり冷めてしまっていたが、しっとりとした生地がまた美味い。
齧る度、口端についた菓子クズをなまえが拾いそれを口に運ぶ。

「美味いな…」
「…よかった、ちょっと甘さ足りないと思ったんですけど。」
「いや、丁度いい…なんだ、分量間違えたのか。」
「いいえ、全部リヴァイ先生のためですけど。」

もう少し甘い方が好きなんですけど、とリヴァイが零したクズをペロリと舐めながら首を捻る。
相変わらず甘いものが好きなお子様な味覚をしているんだな、とリヴァイはなまえを身投げながら再び口へ運ぶ。
全て食べ終えると腹も満たされたのか意識が次第に微睡み始める。一仕事終えたばかりで、後は職員室に帰ってパソコンを置いて帰るだけだし、と今後の予定を頭の中で組み立てる。
そして、一息吐いて、

「おい。」
「はい?」
「この後、予定あるのか。」
「いえ、特に無いです。」

そうか、と呟いてそして仰向けだった体制を横向きに帰る。太ももに触れる髪がくすぐったいのかなまえが僅かに身じろいだが、それによって足の隙間に丁度頭がいい位置に沈められた。
呼吸が太ももをくすぐるのか、びくりと震え小さく笑う。そして再びまた横になったリヴァイの頭を優しく撫でる。それに目を閉じ、まどろみ始める意識を徐々に落としていく。

「寝る。六時になったら起こせ。」
「えっ!」
「安心しろ…帰りは俺が送ってやるから…ああ、ちゃんと家族に連絡しておけよ…遅くなるが帰りは俺が車で送ってやるから心配するな、って…」
「あ……、はい…」

既に寝る体制に入り始めたリヴァイに何を言っても無駄と察したのか、傍らに置かれたカバンの中から携帯を取り出す。機械の操作する音を聞きながら、目をゆっくりと閉じる。
メールが返ってきたのかバイブ音が短く聞こえ、その文面になまえは小さく溜息をつく。相変わらずリヴァイ贔屓な両親は、先生が送るなら何時でも帰ってきていいなんなら帰ってこなくてもいいなどと楽天的な返信が帰ってきた。
溜息を付きながらも、どこか嬉しいと感じながら携帯をカバンに仕舞い、そして自身の膝の上で横たわるリヴァイを再び撫で始める。

「おつかれさまです…リヴァイ先生。」
「……あぁ、…」

静かな寝息を立てて、眠り始める。
前世でも、こんな事あったなぁ、と懐かしくなりつつ当時もこうして頭を撫でれば張りつめていた神経を緩めてよく眠ってくれていたものだ。これは今でも変わらないという事を嬉しく思いながら膝に掛かる重みを愛しく思う。
静かな空間、外から聞こえる部活動の喧騒を遠くに聞きながら、リヴァイの寝息だけが部屋の中に響く。
そして二人の間をゆっくりと時間がけが過ぎ行くのであった。




bkm
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