02
家は貧乏だった。決して裕福とは言えない家庭環境で、明日食うに困るような事はないが、しかしそれでも酒や食事という嗜好品に使うような金はなかった。
だから、働きに出て家を楽にさせてやりたかったのだ。
しかし12歳になって兵士に志願はしてみたものの、立体機動の適正検査でしょっぴかれてしまったので、残る道は生産者の道しかなかった。
そんな途方に暮れてふらふらと仕事を探していた私に声をかけて拾い上げてくれたのが、なまえさんだった。
事情を話せば、じゃあうちで働いてはどうかと言って微笑んでくれた時、この人はまさに女神かと思った程だ。幸か不幸か家庭の家計は毎月火の車だったため、お金の計算はそれなりに出来る。人付き合いも問題なく特に人見知りという性格でもないため、店のお手伝いとして見事仕事を獲得した。
賄いで出る食事も絶品に美味しいし、最近は売り上げもいいからとお給金もそこらの店よりも割高だった。そのため毎日目まぐるしいと思える程の忙しさだったが、賄いの食事の為なら頑張れた。なによりなまえさんが優しく丁寧に仕事を教えてくれたし、面倒なお客さんが来たとしても全てその対応はなまえさんが自ら動いてくれた。
確か、昔は相当優秀な訓練兵だったとか、チラリと聞いたこともある。その為腕っぷしも強いから揉め事が起こってもなまえさん自ら解決してしまう。滅多に仕事をしない憲兵団より、この人の方がよっぽど頼りになるなと、心の底からそう思う。

仕事をくれた恩人で、優しくて、美人で、たまに可愛らしくて、女として申し分つけようもないほど出来た人だ。いつも微笑みを浮かべて、口調も貴族かと思ってしまったほどに丁寧な言葉遣いで、勝手ながら憧れみたいなものも抱いてしまっている。私もああいう女性になりたいと、最近では密かに目標としている。
そう、だから、文句も不満も何一つないのだ。ないのだが、

「あら、」

最近、変わったことがひとつある。

夜も深まり客の足もまばらになったため、そろそろ店を閉めようかと閉店の準備に取り掛かろうとした時、店の扉を開ける一人の人物に目をやり、そして花が咲いたようにふわりと嬉しそうに笑う。
なまえさんが恋をしたのだ。本人からそんな話を聞いたことは無いが、あれは間違いなく恋だ。いや、もしかしたらもう既に付き合っているのかもしれない。だって、
だってやってきた男も、なまえさんを見て人相の悪そうな顔が少しだけ、ほんの少しだけ緩んだのだ。
嬉しそうに駆け寄って、こんばんわ、と夜の挨拶をする。するとそれに小さく返事して、まだやっているのか、と聞けば、嬉しそうに一度頷いて店の奥の席へと案内する。

「リヴァイ兵長、今日も来たんだね…」
「そうですね…でも、二週間ぶりなので…」
「なるほど…どうりでなまえちゃんも嬉しそうな訳だ…」

こそっとカウンターに座る常連客のお爺さんに話しかけられる。内緒話のように声を潜めて会話をしながら、二人でチラリと店の奥にいる二人に目を向ける。
ひとつ変わったこと。それは人類最強と名高いリヴァイ兵長がうちの常連になった。
ただの常連ならまだいい。しかし、そんなリヴァイ兵長となまえさんが、かなりいい雰囲気を毎回兵長さんが来る度に甘い甘い雰囲気を醸し出す。
まだ、今日はいい方だ。お客さんもあまりいないから。
少し忙しい時、常連さんが大量にいる時などかなり悲惨な光景になる。

「でもあの顔させられるのはリヴァイ兵長だけなんだよなぁ…悔しいのう。」
「お爺さんもなまえさん目当てだったんですか?」
「いや、儂は酒目当て。二割くらいはなまえちゃんに癒されに来てたがのう。」

優しく微笑みながら美味しい料理を提供するなまえさんは、この店の看板娘で、あれだけの美人だ。少し優しくされ言葉をかけられれば惚れない方がおかしいというものだ。
ほんの少しの間、席に通されるまでの一瞬、お会計をする時のわずかな時間、なまえさんはよくお客さんに話しかける。
今日の料理は美味しかったでしょうか、また来てくださいね。そんなありきたりな言葉でも、なまえさんの口から発せられればそれだけで全ての疲れも吹き飛ぶというものだ。
だから、だからこそ。そんななまえさんが唯一営業用のスマイルではなく心の底から浮かべる笑みをたった一人の男に向けられ、かつ甘い甘い胸やけしそうな雰囲気を出されれば、常連さんの男性達は生殺しの拷問を受けたような絶望した表情をして机に突っ伏すか、酒を追加注文して現実を忘れようとするか、そのどちらかだった。客観的に見ている私の感想としては正に「地獄絵図」という表現がふさわしい。

「今日はずいぶん遅いんですね…お仕事ですか?」
「まあな…ハンジが…以前一緒にいた眼鏡を覚えてるか?あいつが中々報告書あげて来なくてな、それを待っていたらこんな時間だ。」
「あら…それは大変でしたね…」
「食事摂る暇もなかったが腹が減ってちゃ満足に寝れやしねぇからな…だが、本当に平気か?もう閉店するつもりだったんだろう?」

その言葉に小さく笑ってゆっくりと首を振って否定の意を示す。
そして個人的に女神の微笑と呼んでいる優しい微笑みを浮かべて、柔らかな口調で言葉を紡ぐ。

「いいえ…リヴァイ様の為なら、個人的にお食事を作ってでもお食事の提供をさせてもらいます。リヴァイ様の為ですから。」
「だが、」
「私が好きでやっている事ですから。それとも、ご迷惑でしょうか…?」

微笑みが一瞬にした不安気な色を浮かべると、リヴァイ兵長はゆっくりと手を伸ばしてなまえさんの頬を撫でる。
その手から伝わる温もりに不安を湛えた瞳が僅かに細まり、頬を撫でるリヴァイ兵長の瞳も細められた。

「いいや…ありがたい、お前の手料理なら疲れも飛ぶ。」
「ふふ…お世辞でも、嬉しいお言葉です。」
「世辞じゃねぇ、本心だ。」
「あら、では腕によりをかけてお作りしなければ。」

表情に再び笑みが戻り、軽やかな声音が弾むように言葉を紡ぐ。
さらりと頬に掛かる髪を払い避け、何度も白く柔らかそうな頬、いまは程よく桃色に染まるそこを撫でる手つきは、無骨で無愛想な人類最強と言う名前からは想像もできないほど優しい手つきだった。
たった二人だけの空間をずっと観察していると、こちらが当てられると最近学んだ。目の前のお爺さんと溜息を一つ落として二人から視線を外すと、二人して小さく困ったように笑った。

「そろそろ帰ろうかのう…もう少し飲みたい気分じゃったが、胸やけしてきたわい。」
「それがいいです…それに、今日は少し飲み過ぎじゃないですか?」
「そうかの?あと三杯はいけるぞ。」
「だーめーでーす!また来週にしてください。」

子供の様に拗ねた顔をして懐から財布を取り出す。合計金より僅かに多目に出されたお金を見て、頭の中で計算をしながら裏から釣銭を持って来る。
釣銭を受け取り財布に仕舞うと、どっこいしょ、という言葉を出しながら椅子から立ち上がる。カウンターから出て店の外まで送り出して、さようなら、と言葉をかけると、突然顔をよせてきた。
のう、と前置きを置いて再び内緒話の様に声を潜めて話しかけるお爺さんに、私も身を屈めてその言葉に耳を傾ける。

「のう…あの二人、付きあっとるんか?」
「いえ、そういう類の話は聞いたことないです。まぁ絶対相思相愛だと思うんですけど。」
「じゃあ聞いてみといてくれないか…儂、気になる。」
「いい年して恋愛話しに興味あるなんて…若い女の子じゃないんですから…」
「いいじゃろ…いくつになっても、そういう話題は皆好きじゃろ。それに、常連客達の女神とこの世界の人類最強の恋バナなど、酒の肴にぴったりじゃろうが…」

などとのたまっていい年した爺がニヒルな笑みを浮かべる。この爺、精神年齢は一蹴回って小学生みたいだと、この日この瞬間目の前の人物への認識を改めた。
しかし、確かに女神と人類最強がどうなのかと聞かれてしまえば好奇心はふつふつと湧いてくる。相思相愛なのは間違いない。しかし両片思いという可能性も無きにしもあらず。

「わかった、聞いておきます。」
「おお…じゃ、来週の酒の肴にでも頼むよ。」
「はいはい…ではお気をつけてお帰りくださいねー」

お爺さんの帰る後姿は心なしかスキップをしているように見えた。年を考えろと心の中で悪態を付き、溜息を吐きながら店へ戻る。



店内へと戻ると楽しそうにリヴァイ兵長と会話に花を咲かせていたなまえさんが、こちらを振り返った。それに釣られるように兵長さんの鋭い視線が私に刺さって、ビビりながらも一度会釈をして、カウンターに置かれた飲み終わったグラスの片づけをする。
後ろの方で一言二言会話をして、そして優しい声が私の名前を呼ぶ。
それに振り返るとパタパタと可愛らしい擬音が聞こえるような動作でこちらにかけてきて、いつものように優しく笑った。

「今日はもう遅いから、あがってもいいですよ?」
「え…でもまだお客さんいるし、なまえさんだけ閉店作業させるわけには…」
「大丈夫ですよ。お客さんもリヴァイ様だけですし、閉店作業も一人でも大丈夫ですよ。それに、こんなに遅い時間まで貴女を返さなくって何かあったとなればご家族になんて言えばいいか…」

いえ、うちの家族なら働ける所まではたらいて来いと言うような家族だから気にしなくてもいいですよ。それを聞いて珍しくなまえさんが僅かに怒りの表情を浮かべながら、ダメです。と否定した。
雇い主である彼女に、いや正式には彼女の父だが実際に切り盛りしているのは彼女なので、そんななまえさんに言われてしまえば、ではお言葉に甘えて、と言葉を続けるしかなかった。
それを聞いて嬉しそうに笑って、店の奥へと消える。お盆に先ほどのお爺さんの飲み終わったコップを持って、一度振り返ってリヴァイ兵長に一度頭を下げて、なまえさんの後を追うように店の奥の厨房の流し台に下げた食器を置く。
狭い厨房になまえさんのお父さんの姿はなかったので理由を聞けば、あのお爺さんを最後に店を閉めるつもりだったので先に自宅に帰ったと。そう告げられた。自宅に帰ってしまったのならわざわざ訪ねてまで退勤の挨拶をするのは逆に迷惑だろう。そう考え、目の前のなまえさんにだけ挨拶する。
きっとその手に持つ食事はリヴァイ兵長に提供されるものなのだろう。賄いとして作ってあったスープに火をかけながら野菜を切り分けながら、お疲れ様でした、と返事をした。
エプロンを棚にかけて、小さなカバンを下げて、そして思う。

彼女の父もおらず、客もおらず、先ほどの会話で得た疑問をぶつけるなら今しかない、と。
意外と早くチャンスが巡って来たなぁと、思いながらなまえさんへ向き直って、そして直球ストレートに聞く。

「なまえさんって、リヴァイ兵長と付き合ってるんですか?」
「えぇえ!!?」

微笑み以外の表情は中々珍しい。悲しみと、怒りと、そして今日は驚愕も見れた。フルコンプ、と心の中でガッツポーズをした。
驚愕に目を見開いてそしてみるみる赤く、先ほどリヴァイ兵長の前でしていたような桃色ではなく赤い、顔を真っ赤に染めて勢いよく首を何度も横に振る。

「そ、そんな訳ないじゃないですか!!もう、何をいきなり…っ!!!!」
「え、でも…てっきり付き合ってるんだとばっかり…」
「ど、どこをどう見たら私とリヴァイ様が……、もう、そんな、おこがましい…っ!!!!」

様子を見るに、本気で付き合っていないらしい。
それどころか自分の感情にも気づいていないらしい。
それで毎回あの雰囲気を出していたのか、と自分の顔が引きつるのがわかった。

「も…もう、そんな事冗談でも言っちゃだめですからね!!め!!!」
「は、はい…すいません…」

動揺して震えながらもなんとかスープを更に盛り付け、少し冷めてしまったであろうパンを添えてお盆に乗せる。
真っ赤な顔をしながら小さな子供に諭すような口調で私を叱りつけるなまえさんも、愛らしいなと思いながらリヴァイ兵長の元へ向かうなまえさんの背中を見送る。
ひょっこりと顔を出せば店の奥、なまえさんの手料理を食べながら、先ほどとは明らかに様子の違うなまえさんに首を傾けるリヴァイ兵長がいた。

「なにかあったのか?叫び声も聞こえたが…」
「な、なんでもないです…すいません、うるさかったですか?」
「いや、そういう訳じゃねぇ…本当に、大丈夫なんだな?」

といって、赤く熟れた頬に手を伸ばす。
それに珍しくピクリと僅かに小さく反応すると、手に持ったお盆をぎゅうっと握りしめて、恥ずかしそうに顔をお盆で隠す動作をしながら、小さく震える声が呟く。

「本当に、大丈夫です…ちょっと、動揺しただけです…」
「とても大丈夫には見えないが…」
「リヴァイ様が気になされる様な事では…ほんとに、」

思考回路が正常に作動していないのか、うわ言のように何度も同じ言葉を紡いで大丈夫だと繰り返す。
そんななまえさんにリヴァイ兵長は頬を撫でながら、羞恥に染まる瞳を真っ直ぐに見つめながら、真っ直ぐに本心から言葉を紡ぐ。

「なにか困った事が有ったら真っ先に俺を頼れよ、なまえ。」
「……っ、」
「それとも、俺では頼りないか?」
「…め、滅相もない!!そんな…でも、リヴァイ様の手を煩わせるわけには…!!」

なまえの言葉に、あの人類最強が、ふ、と一瞬笑みを浮かべる。

「俺が好きでやってるだけだ、気にしなくていい、なまえ。」

つい先ほど、なまえさんが彼に向けて言った言葉をそっくりそのまま返す。
それに気づき目を見開くが、すぐにその目は嬉しそうに細められる。

「……では、なにかあったら一番最初にリヴァイ様に相談しますね…」
「ああ、そうしてくれ。」



胸やけしそうな二人の世界を、もうお腹いっぱいと思いながら二人の世界を邪魔しないようにこっそりと音を立てないように裏口から帰る。
大きなため息を吐きながら、トボトボと帰り道をぼんやり歩く。
夜空を見上げ、綺麗な満月にぼそりと吐きだす。

「リア充爆発しろお…」

その呟きは誰にも気づかれず、夜の闇に吸い込まれていった。




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