荒北が大学に入学してから一ヶ月が経った。彼は高校のときと同様に自転車競技部に入部し、金城と共に多忙な日々を過ごしている。静岡県にある洋南大学はそれなりに学力が高く、荒北は講義を聞き流すことが多い。金城はそれを一度注意したことがあったが、彼には何を言っても無駄なのだと途中で気が付いた。
そんな荒北が講義を自主休講したゴールデンウィーク明けのこと。大学をふらふら歩いていると、余所見をしていたため誰かとぶつかった。荒北はそれに反射的に声を上げてしまう。
「あァ!?」
しかし、ぶつかった相手はそれに特に驚いた様子もなく、下を向きながら一言謝罪した。荒北はそれに少し驚き、思わず口篭る。大抵の人間は彼の言動を怖がり、すぐに逃げていくからだ。
少し明るい茶髪をした、ぶつかった相手が顔を上げる。荒北はそれに更に驚いた。
「名字…?」
「ああ、なんだ。荒北だったの」
胸あたりまで伸ばしてある髪、しっかりしてあるメイク、右耳のピアス。見た目こそ変わっていれど、ぶつかった相手は荒北の中学時代の同級生の名字だった。しかし、彼の記憶にある名字はこんな容姿の人間ではなかったため、それに動揺して言葉が出てこない。
「久しぶり。中学卒業して以来だよね。いま空き講なの?」
「あ、あぁ」
動揺しているせいで、嘘まで吐いてしまった。それ程までに名字は中学の頃と様変わりしている。うまく動かない口を開き、荒北はやっとのことで言葉を絞り出した。
「ヒサシブリダナ」
あまりにも片言な言葉を発してしまったことに荒北は顔をしかめる。しかし名字はそんなことは気にしていないようだった。
「まさか同じ大学だとは思わなかったよ」
「…そうだな」
「せっかくだし、連絡先教えて」
そういって名字は鞄からスマートフォンを取り出す。荒北は肯定の返事をし、同じくスマートフォンを取り出した。中身のない適当な会話をしつつ、連絡先を交換する。
「ありがと。それじゃ、また連絡するね。バイバイ」
彼女は手を振って去っていった。一連のその流れに荒北はポカンとする。我に返ってスマートフォンを見れば、そこには中学の同級生の名前の文字。
「なんでこんなことになってんだ…?」
ポツリ、呟いた。