ぱちん、といい音が中庭に響いた。
ひとりは手を上げたまま肩で息をする黒鷲の学級の女の子、もうひとりは目立つ赤毛の青獅子の学級の男の子。
男の子は引っ叩かれたのだろう。遠目でも彼の頬が赤くなっているのが分かった。その後女の子は彼に怒鳴るようになにかを言い捨てて、そのままその場を後にしてしまった。
女の子が見えなくなったところで、私は彼に声をかける。


「シルヴァン、探したよ」
「ああ、名前か」


へらり、と笑って彼が私に笑顔を向ける。その頬には張り手の痕がくっきりと残っているのに、たった今叩かれたことなんてまるで無かったことのよう。だから私もその一部始終には触れず、手に持っていた本を差し出した。


「貸してくれてありがとう」
「わざわざ持ってきてくれたのか。今度でもよかったのに」


シルヴァンに借りていたのは、スレン小史。彼が自領から持ってきた私物だった。この大修道院にもその本は所蔵されておらず、教室で彼が読んでいた一冊しかない。先日、彼と雑談をしているときに読んでみたいと言ったところ、快く貸してくれたのだ。


「それにしても早いな。小史っていう割に結構分厚い本だと思うんだけど」
「面白かったから一気に読んじゃったの。それに、ずっと借りてるのも悪いと思って」
「面白かったって……、どのあたりが?」


まさか掘り下げられるなんて思ってもみなかったから、私は少しびっくりした。しかもシルヴァンはいつもの人好きのする笑顔ではなく、真顔に近い表情をしている。

面白かった、という表現はスレンの脅威と戦っているゴーティエ家の人間からすれば失礼だったのかもしれない。けれどもいま謝るのは適切じゃないような気がして、先に感想を言うことにした。

まず本の中で印象に残っている部分をいくつかあげる。それから、今までのファーガスやゴーティエの歴史を踏まえた上で自分の所見を伝えた。


「……私が読んで思ったのはこんな感じかな。ごめんなさい、興味深かったって言うべきだった」
「ああいや、そこは気にしてない。感想が聞きたかっただけさ」


お前は昔から考えが論理的だからなぁ。
パラパラと小史をめくりながら、シルヴァンはそう呟く。

本に目を落とす彼を見て、久しぶりにシルヴァンとこんなにたくさん話したな、と思った。先日の雑談もそこまで長くはなかったし、先生も交えてのものだったから。


「……ん?どうした?」
「あ、ええと……。なんだか懐かしいと思って」
「そういやあ最近こんなに長話する機会も無かったか。お互い窮屈で大変だよなあ」
「窮屈……」


私はそう感じたことはなかった。制限されることがあると大変だと感じていたけれど、それは当たり前のことだった。貴族として振る舞うことのうちのひとつで、私が配慮することで国内外が安定するならばそうしない選択肢はなかった。

シルヴァンは窮屈に思っているのか。
それは貴族であることか、紋章を持っていることか、あるいは人生すべてにか。


以前、課題で訪れたコナン塔を思い出す。賊討伐と称して赴いたそこにいたのは、彼の兄だった。紋章に恵まれなかった貴族の長兄。そしてその最期。


生まれも育ちも私たちは選べない。望んでその場所にいるわけじゃない。それなのに疎まれたりやっかまれたり、私たちは他者に様々な感情を向けられて巻きこまれる。それを甘んじて受け入れて生きていかなければならない。それらは反発するには強すぎて、やり過ごすには重すぎるから。


「ああいや、悪い。そんな顔させるつもりじゃなかったんだ」
「……シルヴァン」
「ん?」
「少なくとも私は、もしもシルヴァンと"そう"なったとしてもちゃんと嬉しいよ。紋章とか家柄とか関係なく、シルヴァンと"そう"なれることが嬉しいと思うよ」
「名前……」


シルヴァンは驚いたように私の名前を小さく呼んで、そして黙ってしまった。
近づきすぎただろうか。彼が普段誰にも触れさせないようにしているやわらかな部分に、踏み込みすぎてしまっただろうか。


瞬間、中庭を強風が駆け抜けた。
もう冬支度の季節に入ったせいか、風は随分と冷たい。
空から飛竜がいなくなる。私たちとは正反対の、雄壮で自由な彼ら。


「寒いね、戻ろうか」
「……そうだな」


誤魔化すように笑って言えば、シルヴァンも同じように笑ってくれた。




221022




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