大修道院の書庫はフォドラの中でも抜きん出た蔵書数を誇っている。もちろんファーガスにも貴重な書物を保管した大きな書庫はいくつかあるけれど、大修道院のそれには遠く及ばない。それほどここは幅広い分野をおさえていて、全ての本を読み終えるまでにどのくらいの時間が必要なのか分からないくらい多いのだ。

本はいい。知らないことを知り、知っていることをさらに深めることができる。だから私は時間があれば書庫に出入りして、許す限り読書にふけっていた。


授業のない日曜日、今日も私は朝食を手早く済ませて書庫に向かう。数日前から読み始めた本を読むために。飛び込むように誰もいない書庫へ入り、トマシュさんに挨拶をして、目当ての本を棚から丁寧に引き出す。近くの椅子に座ってそっと開いて文字を追った。



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どのくらいの時間が経ったのか。はたと気づいて顔を上げる。本が焼けないように、書庫には窓がない。昼食を抜いたところで支障はないけれど、あまり姿が見えないと誰かが不審に思うかもしれない。

固まった身体をほぐすように大きく伸びをして、あたりを見回す。薄暗い書庫には誰もいない。書庫番のトマシュさんもどこかへ行ってしまったようだ。
本を戻そうと立ち上がると、こちらへ向かってくる足音が聞こえた。


「ああ、名前。ここにいたんですね」


書庫へと入ってきたのはアッシュだった。私の姿を見て、ホッとしたように笑顔を浮かべる。もしかしたらずっと私を探していたのだろうか。


「どうしたの、アッシュ。なにかあった?」
「いえ、先生に伝言を頼まれただけですよ」


今節の課題のことで、青獅子の学級全員に急いで伝える必要があったらしい。アッシュはかいつまんで私に状況を説明した後、先生からの伝言も伝えてくれた。


「教えてくれてありがとう。探させちゃってごめんなさい」
「僕も書庫に用事があったので気にしないでください。それより、その……」


アッシュは言いにくそうに言い淀んだ後、恐る恐るといった様子で私に問いかけてきた。


「君は前から僕たちと距離をとっているようでしたけど……。理由を聞いてもいいですか?」
「アッシュなら構わないよ。というか、他の誰かに聞かなかったの?」
「それはなんだか失礼な気がして……」


アッシュのこういう生真面目なところが私は好きだった。シルヴァンやイングリットに聞けば教えてくれただろうに、わざわざ本人の私に聞くような、そういう真っ直ぐさを私も見習いたいと思う。

隣の椅子をアッシュに勧め、座ってもらった。書庫は密室に近いけれど、今は誰もいないし話す内容も周知の事実だ。見られても聞かれても問題はない。


「私がみんなと……主に殿下たちと距離をとる理由はね、輿入れする可能性があるからだよ」
「ええ!?」


ギョッとしたようにアッシュが大きく目を見開く。静かな書庫にアッシュの声が反響した。すぐにアッシュは自分の口を両手で押さえる。


「す、すみません、大きな声を出して……。それで、ええと」


混乱するアッシュに、私はひとつひとつ状況を説明していく。

まもなく自分の兄が爵位と領地を父から受け継ぐこと、だから自分はどこかへ嫁ぐことになること。それが殿下かフェリクス、シルヴァンになる可能性が高いこと。まだ誰に嫁ぐかは決まっておらず、だから誰とも懇意にならないように配慮し合っていること。


「許嫁ではないんですね」
「私と同じ立場のご令嬢は他にも何人かいるし、国内情勢も数年で大きく動くこともあるから。ひとつの領地の娘とばかり親密になっていたら、ね」
「確かにそうですね……」


紋章を持つ王族に自分の娘を嫁がせたいと考える王国貴族は多い。たとえ王族に嫁ぐことができなくても、紋章のある貴族に嫁げれば御の字。ランベール様がお隠れになって国内が荒れてから、その思いを露骨に表すようになった貴族も少なくない。そんな時期に幼馴染の私たちが不用意に近づけば、勘繰る者が出ることは必至だ。誰も国内がこれ以上荒れることを望んでいない。だから私たちは用心深く、注意深く生活する必要があるのだ。


「そうだったんですね……。僕、なにも知らず……」
「貴族の勝手な事情だからアッシュが知らなくて当然だよ」


貴族の我欲に塗れた事情なんて、限られた人間だけが知っていればいい。知らずに済むのならそれに越したことはない。とはいえ、アッシュは今後領地を治める可能性がないわけではない。だから耳に入れておいた方がいいだろう。可能性は低くても、私とアッシュが婚姻することもあるかもしれないのだから。


「……前に、イングリットが言っていました。自分には背負わされた役目があると。そのためには夢を捨てなければならないと。君も、そうなんですか?」


アッシュが真剣な目で私を見つめる。まだ出会って数節の私に対してこんなにも気遣ってくれるお人好しさに、驚いて声が出なかった。すぐに否定しなかった私を、彼は"夢を捨てる必要があった"と捉えたらしい。


「僕にできることは少ないかもしれませんが、なにかあったら言ってくださいね」
「……ありがとう、アッシュ」


せっかくの厚意を、私は受け取ることにした。きっと否定してもアッシュは同じことを言ってくれるだろうから。

もしもアッシュに嫁いだなら、もしかしたら末永く仲睦まじく添い遂げることができるかもしれない。彼の誠実な眼差しを見て、そう思った。




220827




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